本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.12.02,Sun
子どものころ、家に「世界のふしぎ」を集めた本があった。
フランスのとある村で幼い子どもたちが偶然発見したラスコーの古代壁画、海面下に沈んだ謎の超文明・ムー大陸の伝説、雪野原に残された異様な足跡を辿って未確認生物・雪男を探索する物語‥‥。当時ですら既に古ぼけて汚れ、赤布ばりの表紙の布がほつれて糸がぴょんぴょん飛び出ていたその本を、わたしは何度もくりかえし読んだ。子ども部屋を整理したくてたまらない母親が「この本捨てていいよね」と何度も聞いてくるたび、わたしはそのつど母親の手から本を取り返したものである。膝の上にふたたび本を開き、幼いわたしは世界にあふれる「ふしぎ」に心おどらせ、まだ見ぬはるかな地平に横たわる無数の古代の神秘を夢見たのであった。
その本のなかにおさめられていたエピソードのひとつが、二千年の昔、火山の大爆発とともに一瞬にして灰のなかに消えた古代都市——ポンペイの物語であった。エピソードの最後には近代に入ってからの発掘の様子が記されており、まるでつい先程までそこに生活があったかのような状態で建物が発掘されたこと、また恐怖と苦痛にあえぐ人々の様子がそのまま発掘されたことなど、そうした記述をわたしのなかに深く刻み込んだのだった。
以来、ポンペイはわたしの夢だったのだ。
と言うとまるで誇張のようだし、じっさいものすごく誇張なのだが、しかし「イタリアにもし行くならばポンペイに‥‥」という思いがこれまで幾度も脳裏をよぎっていたのはまぎれもない事実である。(まあ、前回記したように一回目のイタリア旅行であっさり諦めているあたり思い入れの浅さがうかがわれるのだが、それはそれである)
ちなみに今考えてみれば、くだんのその本、考古学的・歴史学的にふつーに大重要な発見や発掘(ラスコー、ポンペイ)と学研ムー的な超うさんくさいUFO・UMA・超古代文明系の記事(雪男やムー大陸等)とをまったく区別せずにゴッチャにして紹介しているあたり、「子ども向け教育書」としてあまりに非理想的である。母親がその本にうさんくさげな目を向けていたのは、おそらくその見た目の汚さだけが理由ではなかったろう。「いつか行くんだ!」がポンペイだったからまだよかったものの、かりに「おれ、大人になったら絶対ムー大陸に行くんだ!」「おれ、今度の仕事が終わったら絶対に雪男を捕まえるんだ!」になってしまったら、その子がのちの人生を踏み外していたことは言うまでもあるまい。(ある意味死亡フラグに限りなく近い)
というわけで、2007年11月、かつて本ぐるいで夢見がちのオカルト少女だった一人の人間は、●●年の歳月を経てとうとう古代都市に辿りついたわけである。(ちなみにその●●年のあいだに少女の本ぐるいが文学・哲学方向に深まることはなく、たんに陳腐なホラー趣味とトンデモ趣味だけが残って大人になってしまったわけだが、それはまたそれである。)
長すぎる前置きだったが、ここからが本題。今日のエントリはポンペイ見学日記です。
トンデモ本で形成された童子の夢はもういいとして、ここで少し、まじめにポンペイについて説明しておきたい。ポンペイとはナポリ近郊にある古代ローマの遺跡である。ギリシャ・ローマ時代の古代遺跡はローマあるいはイタリア各地に多く見られるが、生きた人間が使用する近現代の建物と古代の半壊した建物が並んで立っているそれらの光景とは異なり、ポンペイの特徴は、一つの古代都市全体がそっくりそのままに遺跡として残されていることだ。
紀元79年夏に突如として噴火したヴェスヴィオ火山は、当時ローマ帝国のリゾート都市であったポンペイを、たった一昼夜のあいだに完全に灰の底に沈めた。この噴火を運良く逃げ延びた当時17才の少年(小プリニウスと呼ばれ、ポンペイの名士の甥であった)が、のちにかの歴史家タキトゥスに手紙でかれの目撃したものを伝え、ポンペイの悲劇はのちの世の人間の知るところとなったのである。ゆえに、たとえばシュリーマンのトロイ発掘などとは異なり、「神話・伝説だと思っていたのに、実在の歴史だったのか!」というような事はなく、ポンペイという悲劇の史実性自体は中世・近世を通じ広く知られていたようだ。
とはいえ、18世紀になって本格的な発掘が始まったとき、灰の中から現れたものは人々の目を驚嘆させ、大きな興奮を巻き起こすに十分なものだったようだ。他のローマ時代の遺物が長年の風雨と政治動乱のなかで崩れはて、色を失い、断片化していったのに対し、1700年という気の遠くなるような時間を灰の中で過ごしたポンペイは、ローマ時代の街のありよう、人々の古代の生活のありようを、そのまま今生きる人間の目に伝えたからである。
当然ながら、当時の芸術品や工芸品も圧倒的にすぐれた保存状態で発掘されている。紀元一世紀といえば、ローマ帝国の領土拡張期がいったん収束し、帝国全体が政治的に安定した「パクス・ロマーナ」の真ん中あたり。いわばローマの文化の爛熟期である。ローマ芸術の頂点をなす品々が、部分的にであれ、時間ゆえの劣化という通常逃れえないはずの運命を奇跡的に逃れて保存されているとあらば、古代史や考古学にとってそれがもつであろう計り知れない価値は、想像に難くない。
さて、実際の見学記に移ろう。古代とはいえ「一都市まるまる」の遺跡である。かなり広いと予想されたため、わたしたちはポンペイ見学に丸一日を当てていた。前日にローマからナポリに移動しておいて一泊し、朝にナポリからポンペイに向かったのである。結果的に言えば、このプランは正解だった。というか、オープン後1時間くらいで入ってクローズまでいたのに、見どころを全部まわりきれなかった‥‥。
事前にちらりと見ておいた天気予報では、幸運なことに旅行中の一週間の天気は抜群だった。天気予報を信じる限り、滞在都市はすべて快晴。だがUKに2年暮らしたわたしは、すでに天気予報なるものへの信頼をことごとく失っていた。だからポンペイ見学の朝、ホテルの窓から青い空を見たときの感動は大きかった。
「すごい‥‥イタリアって、天気予報、当たるんだ!」
日本も当たりますね。
いや、UKは天気予報が当たらないというより、「一週間のうち七日間はくもり時々雨で降水確率50%」とかいう予報を出してきやがるので、天気に対する信頼が失われていると言うほうが正確なのだが‥‥
ナポリの中央駅からポンペイに向かう方法はいくつかあるようだが、『地球の歩き方』(以下チタマと略)でも、Lonley Planet(英語ガイドブックの大手、以下ロンプラと略)でも勧められているのは、「ヴェスヴィオ周遊鉄道」を使う方法である。この周遊鉄道はヴェスヴィオ山をぐるりと回るサークル状の鉄道らしく、「ポンペイ」という駅で降りれば、遺跡の入り口はすぐそこである。(他の鉄道を使うと1kmほど歩かなければならない場合もあるようだ。)
ヴェスヴィオ周遊鉄道はいかにも「地元路線」という感じで、それほど小ぎれいな見かけではないが、乗っている人の中には親切な人もいるらしく、「ポンペイ行くの!?ここだよ!」と叫んで降りる駅を教えてくれた人がいた(イタリア語はわからないので、叫んだ内容は推測)。ちなみに、イタリアの鉄道は停車駅の車内放送がありません。自分で逐一駅をチェックせねばならないのです。天気がいいからってヴェスヴィオ火山見てたらあやうく乗り過ごすところだったよ‥‥。
駅を出ると、入場口までの100mほどの通りに、ひたすら売店が並びまくっている。われわれはここで水を買った。ペットボトル一個あたり1ユーロ程度であるが、ナポリ市内のスーパーで買ったら25ユーロセントと4分の1なので、ケチる人は前もって買っておいたほうがよかろう。ちなみにわたしは「買っておけばよかった」と思った(ケチだから)。関係ないが一目で日本出身と見抜かれたらしく「アリガト!」と言われた。
さらに重要事項!バッテリー充電ではなく乾電池のデジタルカメラを持参の人、必要ならば必ずここで買っておくべし! 駅のキヨスクに売っている。なんと、ポンペイはいったん遺跡の中にはいると売店が皆無なのだ。ポンペイ本を売っている売店にも乾電池はない。ここで買っておかないと、途中で電池が切れて泣きを見ることになる。ちなみにわたしは泣きを見たのだが、まあそれについては、おいおい。
さて、いよいよ入場である。ロンプラには「音声ガイドか良いガイドブックが必要、さもないと重要な見どころを見逃しかねない」という記述があったため、音声ガイドを借りたほうがいいかな‥‥でも高いしな‥‥などと迷っていたのだが(ケチ)、じっさいには、入場の時にくれる「Brief Guide to Pompeii」がBriefのくせにかんなり詳しいので、音声ガイドは必要ないと思う。69の見所ひとつひとつについて、1ページを費やして説明がされている。ただ日本語バージョンがあるかどうかは定かでないが‥‥。聞いてみる価値はあると思う。
入場ゲートを抜けるとすでにもう遺跡で、古代の城壁門をくぐって都市の中に入る。中世ヨーロッパの都市が防衛戦略として分厚い要塞壁に囲まれていたことは有名だが、「Brief Guide to Pompeii」によれば、ポンペイも初期においては、防御のために市壁に囲まれていたらしい。都市全体をぐるりと壁で囲む習慣というのはかなり古いもんなんだな‥‥。ローマ帝国のナポリ近隣への支配が確固たるものになり、また都市の人口が増加し住宅地が拡大するに従って、市壁は用をなさなくなり、少しずつ壊されていったという。最初に見学者が抜ける門は、ポンペイ埋没当時にまだ残っていた市壁の一部らしい。
午前だったせいか、入った当初さほど見学者はいなかったのだが、十数分のあいだにあれよあれよとツアー客がやってきた。見たかんじ、アメリカンなグループが多そうである。やはり専門ガイドさんの言うことは「Brief Guide to Pompeii」よりもずっと詳しいので、近くでこっそり立ち聞きするわたし。(せこい)
下の写真は、入り口入ってすぐの「ヴィーナスの神殿跡」からの眺めである。朽ち果てた建物と、抜けるように青い空のコントラストが印象的だった。友人が「風光明媚だねえ」と呟く。じじつ、穏やかな美しい眺めだった。
このポンペイ、ひたすらでっかいだけあって、「順路」なるものが存在しない。好きなところに行って、好きなように見て回るのである。まあ、これだけの広さがあって順路なんてあったら、2時間で終わらせたい人とか「ムキー」ってなるわなそりゃ。
そんなわけで、テロテロ歩いてたわれわれは、案の定、なんか見所エリアをはずれて変なところに来てしまった。
あたりには人っ子一人いない。細かく縦横に走った小さな通りをいくつも曲がるが、どこを覗いても目の前に広がるのはただ、朽ちかけた古代の壁。古代の門。半壊した無人の住居。静まりかえった、生きる者のいない街。足元には二千年前の石畳。見上げれば二千年前と同じであろう青空。
まあ、細かい地図があるので「やばい迷った!」というわけではないのだが、一瞬ふしぎな感覚に襲われた。行けども行けども生者の世界に出られないような、そんな感覚である。
まあ裏を返せば、「重要な見どころ」の外、すなわち大多数の観光客が足を踏み入れもしないようなところにも、広大な面積の遺跡が広がっている、ということなわけで。なんのスポットマークもついていない、「Brief Guide to Pompeii」にも載っていない建物に、ふと、びっくりするほど綺麗に残ったモザイクがあったりする。
モザイクはポンペイから発土するローマ時代の文化作品のうちでもよく知られたもののひとつだ。多くは個人住居の床を彩る装飾であったらしい。意匠の凝ったモザイクは、玄関先と、玄関を通り抜けた先の踊り場状の部屋を飾っていたという。上の写真は個人の住居と思われるものの玄関にあったモザイク。有名な「凶犬注意」のモザイクも玄関のものである。(きれいに撮れなかったのでこちらのサイトの写真で‥‥)
しばらく無人地帯をさまよって時間の迷い子気分を堪能したあと、地図にしたがって見どころエリアに戻った。見どころエリアに戻ると、日も高くなったせいかさらにツアー集団が増加しており、「死都放浪」気分はちょっと薄まる。でも、生きてる人間は生きてる人間の場所にいなくちゃね。(なんのこっちゃ)
<つづく>
つーかポンペイ一回のエントリで終わらなかった‥‥。なんか旅行記って書いてると記憶が鮮明になってきますね。ベルリン旅行記もちゃんと詳しく書きたくなってきたよ、忘れないうちに‥‥。
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時折超つたない英語を喋りますが修行中なのでどうかお許しください。
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