本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
Posted by まめやもり - mameyamori - 2008.01.13,Sun
旅行記をちょっとお休み。
個人的な意見を言えば、ショパンの最高傑作はソナタ第二番だと思う。晩年に作曲されたショパン音楽の集大成と言われる「舟歌」は、たしかに美しく叙情的、きらびやかでもあるのだが、精神性の厳しさおよび物語としての深みにおいて、このソナタにははるかに及ばない。まあショパンはおろか音楽の専門家ですらないわたしが、音楽の「精神性」だの「物語としての深み」などを語ってもちゃんちゃらおかしいことはわかっているのだが、それはそれ、当該分野をほんの少しかじっただけのアマチュアの忌憚なき意見なるものも、世には必要なのである。
ちなみにショパンがこのソナタを作曲したのは29才の時だったということをこちらのウェブサイトを読んで発見し、驚愕した。29才にしてこの思想・・・!作曲家は短命なのが多いが(31才で死んだシューベルトはその代表だ)、音楽の哲学というものにおいては、その深さと生の経験の長さとが関係をもたないのだろうか。文学、絵画などの常識から考えてみたとき、この作品はとても20代の思想から生み出されるものではないように思えるのだが・・・
ちなみに晩年の作と言われる舟歌の作曲はそれでも36才で、没年時は39才であった。若いなあ。
もうずいぶん昔になる。友達があるCDを貸してくれた。
曲というのは演奏者によるというが、本当にそうなのか。正直言ってそれを実感したことがない。好きな曲は好きな曲。嫌いな作曲家は嫌いな作曲家。それを根本からひっくり返してしまうような演奏に、正直言って出会ったことがない。
たしかそんなことをわたしが彼女の前で言ったのだ。そうすると彼女が、じゃ、こんなのどう、と言って一枚のCDを差し出した。それがこれである。
それから十年の歳月を経たが、このソナタ第二番の第一楽章を聞いたときの感動を凌駕する音楽に、わたしはいまだ出会っていない。そういう意味では、わたしの精神史に大きな足跡を残す盤である。いわゆるクラシック音楽というものがつねに家の中に流れている家庭に育ち、自身も幼いときにピアノをそれなりに習っていながら、好きな演奏家が思いつかないほどに音楽的に未熟だったわたしが、このCDとの出会いをきっかけに「演奏の奇跡」というものが世に存在するのだと、漠然と気づいた。そういうCDである。まあ、クラシックファンとすら言いがたいくらい音楽に淡白な自分なので、こう言っても重みがないなあとは、われながら思うんだけど。
簡潔にしてドラマチックな導入からはじまる第一主題。胸に迫るせっぱ詰まった訴えかけが劇的な和音の連打で締められるさまに、まずもう何も考えられなくなる。そこから流れるように、だが百八十度の回転を見せて始まる「いかにもショパン」な叙情に満ちた第二主題。あざといまでに悲壮的な盛り上がりを経て、展開部における体を打ちつけるような演奏は、渦巻く暗闇が暴力的に盛り上がり、最高潮に達するやいなや突如としてまぶしい光へと変貌する物語的官能——とでも言ったらよいのか。通常音に用いられる単語を使って表現することをためらわせるまでの迫力である。その後、展開部をあれほど激しく「やってみせた」後にして、ここまで優しく弾きやがるか、と、もはや悔しくなるまでの再現部。もう言葉のいらないコーダの、終結の鮮やかさ。
クラシックというのは一般にはBGMの印象があるようだが、真に優れた演奏というものはBGMとして聞かれることを許さない。あまりに強烈な存在感に、否応なくひとの意識を虜にしてしまうのだ。この十年間、ことあるごとに幾度と無く聞いてきたこの盤だが、そのたびに他のすべての動きを(歩みをすら)止めて、ただただスピーカーから流れ出す魔術に聞き入ってしまう。そしてまたすごいのは、何百回となく聞いてなお、まぶしいまでに鮮烈な音楽的感動が失わわれないことである。聴く者の状態がどれだけ変わっても、つねにその耳に響く何かをもっている。音楽と自分自身との対話が同時につねにそこにある。真に特別な演奏とはそういうものである。
いま芸術でなく魔術と書いたが、ホロヴィッツは「鬼気迫る」「魔術師」「鬼才」「怪物的」なる言葉があまりにもよく似合う演奏家である。演奏家の天才にも、人道的、禁欲的、激情的、繊細かつ叙情的、などいくつかのタイプがある(と思う)が、ホロヴィッツはなかでも「悪魔的」な天才だ。その演奏にはえてして、すぐれているだけではなく「これは人間の作り出すものではない」と思わせる何かがある。ちなみに、「狂気に満ちた演奏」ではない。ホロヴィッツの演奏はおそろしい解釈とテクニックに満ちあふれ、時にはメチャクチャですらあるのに、つねにどこかしらの余裕を感じさせる。これを弾きながらホロヴィッツはたしかに笑っていたかもしれないと、そう思わせる何かがあるのだ。まさにその奇妙なバランスこそが、彼を悪魔的な演奏家たらしめているのかもしれない。
ところでホロヴィッツ本人は、超絶ワガママで扱いにくく自分勝手な奇人だったようである。やはりショパン弾きとして有名なルビンシュタインというピアニストがおり、この人の演奏はホロヴィッツと同じ曲を弾いているとは思えないほど大人しいのだが、このルビンシュタインとホロヴィッツ双方のピアノの専属調律師を兼ねたという人物の自伝を、昔読んだことがある。それによれば、二人は演奏から想像されるのと呆れるほど符合したパーソナリティをもっていて、たとえばその調律師が子どもを連れてそれぞれの家にお邪魔したとき(だったかな)、ルビンシュタインは優しさあふれる対応で子どもの相手をし、子どももルビンシュタインおじさんが大好きになったのだが、ホロヴィッツはけんもほろろに「何このガキ」という態度を隠さず、子どもは泣いてどこかに逃げてしまったという。またルビンシュタインがいつどこでもどんなピアノでも文句ひとつ言わずに笑顔で弾くのに対し、ホロヴィッツは自分のお気に入りのピアノでなければ決してコンサートを開こうとせず、毎回ヘリコプタ(トラクターだったかな)で会場まで運ばせていたそうである。なんてワガママ。ちなみにこの本、もうずいぶん昔に読んだので、ところどころがあやしくなっているが・・・詳細まちがってたらゴメンナサイ。
さそうあきらの漫画「神童」に描かれている変具合はちょっと子供っぽすぎという気がするが、それでも気むずかしい変な人だったのは確からしい。あと恐妻家だったのも。いや奥さんトスカニーニの娘だしね。奥さんのお父さんが怖いよねとりあえず。
なお言い忘れていたが、このショパンのソナタ第二番はあまりにも有名な「葬送行進曲」(デーンデーンデデーンデーンデデーンデデーンデデーン)の原曲である。第三楽章の主題がアレなのだ。これに関して言えば、昔つきあっていた相手が部屋でこのCDをかけたときに「うっはwwwコレwww」と言って笑い出したという嫌な思い出がある(主観的にとても嫌な思い出である)。第三楽章バカにすんな。
ちなみにこの「嫌さ」は、ムンク展で全身を揺さぶられるような深い衝撃をおぼえ、その後足元もおぼつかないままとぼとぼと出口に向かって歩いていて、ふと横を見ると売店で大量に「叫び」プラスチック風船が売られているのを見たときの「開いた口がふさがらない嫌さ」にすごく似ている。
ところで今回のエントリを書くにあたって少し参考にさせていただいたウェブサイトが面白い。ショパンの全作品を作曲年ごとにまとめて検討しているというもの。途中で挿入されているショパンについての、あるいはウェブサイト管理者さん本人についてのエピソードが楽しい。たとえばこのページの「舟歌」の項目。
なんちゅう適当作曲家ショパン。こんなやつだったのか!ロマンチストでメランコリックでナルシストで神経質で繊細な人というイメージが強いので(いや知らないけど音楽を聴くと)、こういう一面があったと思うと笑える。いや、曲のほかの部分についてはすごく神経質だったのかもしれないのだが。
あとこの部分も素敵。これは管理人さん本人の回想。
「弾いている最中にもかかわらず若い男がノックもせずバーンと入って来て 「そこはどういう指使いにしている?」 などと、いきなり話しかけて来るのだ」って、ああはああ!ロマーン!なんて音楽アカデミーロマン!そんなふうに話しかけられてみたーい!いや若い男がいいんじゃなくてこのピアノしか考えてない強引さが良いのよ。
そんでもってこれをきっかけに無二の親友になったり超いい関係のライバルになったりして・・・うふふ・・・って、たぶんならなかったと思うんですが、なんかいいですね。アシュケナージの息子のレッスン受けられるなんて凄いじゃないか!こう、ヨーロッパの音楽アカデミーというのはこう、のだめカンタービレも顔負けのドラマがそこここにあるわけで。いやイギリスは厳密にはヨーロッパじゃないけどさ。いずれにせよ素敵です。てかこの管理人さんいったい何者でらっしゃるのだろう?音楽のプロではないと書かれているが・・・とりあえず文章が素敵すぐる。
個人的な意見を言えば、ショパンの最高傑作はソナタ第二番だと思う。晩年に作曲されたショパン音楽の集大成と言われる「舟歌」は、たしかに美しく叙情的、きらびやかでもあるのだが、精神性の厳しさおよび物語としての深みにおいて、このソナタにははるかに及ばない。まあショパンはおろか音楽の専門家ですらないわたしが、音楽の「精神性」だの「物語としての深み」などを語ってもちゃんちゃらおかしいことはわかっているのだが、それはそれ、当該分野をほんの少しかじっただけのアマチュアの忌憚なき意見なるものも、世には必要なのである。
ちなみにショパンがこのソナタを作曲したのは29才の時だったということをこちらのウェブサイトを読んで発見し、驚愕した。29才にしてこの思想・・・!作曲家は短命なのが多いが(31才で死んだシューベルトはその代表だ)、音楽の哲学というものにおいては、その深さと生の経験の長さとが関係をもたないのだろうか。文学、絵画などの常識から考えてみたとき、この作品はとても20代の思想から生み出されるものではないように思えるのだが・・・
ちなみに晩年の作と言われる舟歌の作曲はそれでも36才で、没年時は39才であった。若いなあ。
もうずいぶん昔になる。友達があるCDを貸してくれた。
曲というのは演奏者によるというが、本当にそうなのか。正直言ってそれを実感したことがない。好きな曲は好きな曲。嫌いな作曲家は嫌いな作曲家。それを根本からひっくり返してしまうような演奏に、正直言って出会ったことがない。
たしかそんなことをわたしが彼女の前で言ったのだ。そうすると彼女が、じゃ、こんなのどう、と言って一枚のCDを差し出した。それがこれである。
それから十年の歳月を経たが、このソナタ第二番の第一楽章を聞いたときの感動を凌駕する音楽に、わたしはいまだ出会っていない。そういう意味では、わたしの精神史に大きな足跡を残す盤である。いわゆるクラシック音楽というものがつねに家の中に流れている家庭に育ち、自身も幼いときにピアノをそれなりに習っていながら、好きな演奏家が思いつかないほどに音楽的に未熟だったわたしが、このCDとの出会いをきっかけに「演奏の奇跡」というものが世に存在するのだと、漠然と気づいた。そういうCDである。まあ、クラシックファンとすら言いがたいくらい音楽に淡白な自分なので、こう言っても重みがないなあとは、われながら思うんだけど。
簡潔にしてドラマチックな導入からはじまる第一主題。胸に迫るせっぱ詰まった訴えかけが劇的な和音の連打で締められるさまに、まずもう何も考えられなくなる。そこから流れるように、だが百八十度の回転を見せて始まる「いかにもショパン」な叙情に満ちた第二主題。あざといまでに悲壮的な盛り上がりを経て、展開部における体を打ちつけるような演奏は、渦巻く暗闇が暴力的に盛り上がり、最高潮に達するやいなや突如としてまぶしい光へと変貌する物語的官能——とでも言ったらよいのか。通常音に用いられる単語を使って表現することをためらわせるまでの迫力である。その後、展開部をあれほど激しく「やってみせた」後にして、ここまで優しく弾きやがるか、と、もはや悔しくなるまでの再現部。もう言葉のいらないコーダの、終結の鮮やかさ。
クラシックというのは一般にはBGMの印象があるようだが、真に優れた演奏というものはBGMとして聞かれることを許さない。あまりに強烈な存在感に、否応なくひとの意識を虜にしてしまうのだ。この十年間、ことあるごとに幾度と無く聞いてきたこの盤だが、そのたびに他のすべての動きを(歩みをすら)止めて、ただただスピーカーから流れ出す魔術に聞き入ってしまう。そしてまたすごいのは、何百回となく聞いてなお、まぶしいまでに鮮烈な音楽的感動が失わわれないことである。聴く者の状態がどれだけ変わっても、つねにその耳に響く何かをもっている。音楽と自分自身との対話が同時につねにそこにある。真に特別な演奏とはそういうものである。
いま芸術でなく魔術と書いたが、ホロヴィッツは「鬼気迫る」「魔術師」「鬼才」「怪物的」なる言葉があまりにもよく似合う演奏家である。演奏家の天才にも、人道的、禁欲的、激情的、繊細かつ叙情的、などいくつかのタイプがある(と思う)が、ホロヴィッツはなかでも「悪魔的」な天才だ。その演奏にはえてして、すぐれているだけではなく「これは人間の作り出すものではない」と思わせる何かがある。ちなみに、「狂気に満ちた演奏」ではない。ホロヴィッツの演奏はおそろしい解釈とテクニックに満ちあふれ、時にはメチャクチャですらあるのに、つねにどこかしらの余裕を感じさせる。これを弾きながらホロヴィッツはたしかに笑っていたかもしれないと、そう思わせる何かがあるのだ。まさにその奇妙なバランスこそが、彼を悪魔的な演奏家たらしめているのかもしれない。
ところでホロヴィッツ本人は、超絶ワガママで扱いにくく自分勝手な奇人だったようである。やはりショパン弾きとして有名なルビンシュタインというピアニストがおり、この人の演奏はホロヴィッツと同じ曲を弾いているとは思えないほど大人しいのだが、このルビンシュタインとホロヴィッツ双方のピアノの専属調律師を兼ねたという人物の自伝を、昔読んだことがある。それによれば、二人は演奏から想像されるのと呆れるほど符合したパーソナリティをもっていて、たとえばその調律師が子どもを連れてそれぞれの家にお邪魔したとき(だったかな)、ルビンシュタインは優しさあふれる対応で子どもの相手をし、子どももルビンシュタインおじさんが大好きになったのだが、ホロヴィッツはけんもほろろに「何このガキ」という態度を隠さず、子どもは泣いてどこかに逃げてしまったという。またルビンシュタインがいつどこでもどんなピアノでも文句ひとつ言わずに笑顔で弾くのに対し、ホロヴィッツは自分のお気に入りのピアノでなければ決してコンサートを開こうとせず、毎回ヘリコプタ(トラクターだったかな)で会場まで運ばせていたそうである。なんてワガママ。ちなみにこの本、もうずいぶん昔に読んだので、ところどころがあやしくなっているが・・・詳細まちがってたらゴメンナサイ。
さそうあきらの漫画「神童」に描かれている変具合はちょっと子供っぽすぎという気がするが、それでも気むずかしい変な人だったのは確からしい。あと恐妻家だったのも。いや奥さんトスカニーニの娘だしね。奥さんのお父さんが怖いよねとりあえず。
なお言い忘れていたが、このショパンのソナタ第二番はあまりにも有名な「葬送行進曲」(デーンデーンデデーンデーンデデーンデデーンデデーン)の原曲である。第三楽章の主題がアレなのだ。これに関して言えば、昔つきあっていた相手が部屋でこのCDをかけたときに「うっはwwwコレwww」と言って笑い出したという嫌な思い出がある(主観的にとても嫌な思い出である)。第三楽章バカにすんな。
ちなみにこの「嫌さ」は、ムンク展で全身を揺さぶられるような深い衝撃をおぼえ、その後足元もおぼつかないままとぼとぼと出口に向かって歩いていて、ふと横を見ると売店で大量に「叫び」プラスチック風船が売られているのを見たときの「開いた口がふさがらない嫌さ」にすごく似ている。
ところで今回のエントリを書くにあたって少し参考にさせていただいたウェブサイトが面白い。ショパンの全作品を作曲年ごとにまとめて検討しているというもの。途中で挿入されているショパンについての、あるいはウェブサイト管理者さん本人についてのエピソードが楽しい。たとえばこのページの「舟歌」の項目。
タランテラの草稿をフォンタナに送ったときショパンは 「とりあえず6/8拍子で書きましたが、 ロッシーニのタランテラを調べて下さい。 6/8拍子だったらそのままでいいけれど 12/8拍子だったらこれの清書のとき変えて下さい」 と、 拍子はどうでもいいようなことを書き送っているが、(後略)
なんちゅう適当作曲家ショパン。こんなやつだったのか!ロマンチストでメランコリックでナルシストで神経質で繊細な人というイメージが強いので(いや知らないけど音楽を聴くと)、こういう一面があったと思うと笑える。いや、曲のほかの部分についてはすごく神経質だったのかもしれないのだが。
あとこの部分も素敵。これは管理人さん本人の回想。
また私事で恐縮であるが、 この曲には個人的な思い出がある。 イギリスには音楽院をノンプロにも開放する仕組みがあるが、 イギリスに住んでいた頃私もそれを利用し、 レッスンについたり練習室を借りたりしていた。 ある日練習室でこの舟歌を練習していたとき、 弾いている最中にもかかわらず若い男がノックもせずバーンと入って来て 「そこはどういう指使いにしている?」 などと、いきなり話しかけて来るのだ。 日本では考えられない強引さだが、 それをきっかけに親しくなり、 いろいろ情報をもらった。 たとえば、 その音楽院にVovka Ashkenazy (Vladimir Ashkenazyの息子) が教師として来ているから教わるべきだ、 と勧められ、 残っていた3ヶ月の滞在期間中教わることになった。 それもこの学生が強引に侵入して来なかったらなかった話である。
「弾いている最中にもかかわらず若い男がノックもせずバーンと入って来て 「そこはどういう指使いにしている?」 などと、いきなり話しかけて来るのだ」って、ああはああ!ロマーン!なんて音楽アカデミーロマン!そんなふうに話しかけられてみたーい!いや若い男がいいんじゃなくてこのピアノしか考えてない強引さが良いのよ。
そんでもってこれをきっかけに無二の親友になったり超いい関係のライバルになったりして・・・うふふ・・・って、たぶんならなかったと思うんですが、なんかいいですね。アシュケナージの息子のレッスン受けられるなんて凄いじゃないか!こう、ヨーロッパの音楽アカデミーというのはこう、のだめカンタービレも顔負けのドラマがそこここにあるわけで。いやイギリスは厳密にはヨーロッパじゃないけどさ。いずれにせよ素敵です。てかこの管理人さんいったい何者でらっしゃるのだろう?音楽のプロではないと書かれているが・・・とりあえず文章が素敵すぐる。
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怠け者のちいさなやもりですが色々ぶつぶつ言うのは好きなようです。
時折超つたない英語を喋りますが修行中なのでどうかお許しください。
A tiny lazy gecko (=yamori) always mumbling something
Please excuse my poor English -- I am still under training
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