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本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
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Posted by まめやもり - mameyamori - 2010.03.31,Wed
中高英語教育の問題点についてだとか「日本人」は英語ができない、とかそういう記事を他のブログで読んでいて、ぼんやりと思ったことなど。直接の応答となる話ではないんだけどね。


私は2005年から4年間、英国に留学したわけだが、留学する前に英語についての不安はもちろんのこと大きかった。希望する博士課程コースから要求されているTOEFLスコアは、留学の1年以上前にクリアしていたが、じっさいに英語圏で生活するうえでは、そういう点数が何を意味しないこともよくわかっていた。けれども渡英して3ヶ月くらい経てば、いや長くても半年くらいしたら、自然にコミュニケーションが取れるくらいにしゃべれるようにはなるんじゃないかと思っていた。何人もの人から、「1年間暮らしたら英語なんてペラッペラになるらしいよ!」と言われたし、そんなもんかな、と思っていた。

で、4年住んだ結論としては、この「1年暮らせばペラペラになる」というのは


完全な間違いだった。


正直、甘すぎた。1年で外国語がペラペラになる人などいない。いや、いないわけではないかもしれませんが、圧倒的少数者です。あ、大学教育が全部英語のスカンジナビアの人とか、アメリカンスクールの人とか、香港出身とか、そういう日常的に英語を使ってた人は、もちろん除いた話だよ。東アジアからの留学生だと見たことがないし、正直、私は4年たっても自分が流暢に会話できるようになったとは思わない。

英国に暮らしてひとつわかったのは、「言葉がペラッペラ」の概念がいかにあいまいかということだ。たとえば人によっては1年で、旅行会話には不自由しなくなるでしょう。あと、非常に基本的なコミュニケーション(「なんか暗いんだけどカーテン開けていい?」「いいよ、ゴーアヘッド」)もできるようになる。お国文化な会話、すなわち「日本では酒を飲むときのCheersはカンパイと言って、これは『杯を空にする』という意味があって・・・・・・」とか、「イギリスでは夏は乾燥してますが日本の夏は湿ってて家の中にキモい虫がたくさん・・・・・・・」とか、そういう話もできるようになる。
でも、だからといって、よどみないコミュニケーションができているかといったら違う。ウィットの利いた会話や皮肉や冗談をポンポン交わせるようになり、イギリス流のまわりくどい嫌味が自分でも言えるようになるかというと、ぜんぜん違う。

なんというか、日常生活で英語を使う必要性に迫られたことのある人ほど、「ペラペラ」という単語を使わなくなる気がする。というのは、「ペラペラ」って単に、「言葉が話せてるっぽいイメージ」をあらわす言葉だからで、それは「話せない人」が「話せてるように見える人」に対して使う表現だから。


たとえば、ここに3人の人がいたとする。Aさんはあまり英語が聞き取れない、話せない。Bさんはそこそこ。Cさんは英語が母国語。このとき、後ろの2人がその日の夕ごはんについてしゃべってたとして、BさんとCさんの会話が実はこんなふうだったとする。


C:「今日なんか蒸し暑いな。夕ごはん何食べるー? さっぱりしたもののほうがいいかなー肉よりは魚かなー。白菜サラダとか。でもバンバンジーとかでもいいかも」
B:「そうだね今日暑いねー」
C:「そう、それで夕ごはん何にしようかなって。白ワインあったよね、冷蔵庫に入ってなかったっけ。マルコのママが持ってきてくれたやつ」
B:「マルコのママは昨日イタリアに帰ったよ」
C:「そうそう。で、白ワインを一本置いてってくれたでしょう」
B:「白ワイン? ああ、冷蔵庫に」
C:「だよね。じゃあそのワイン開けてー、あと鶏肉と野菜でも買って帰ろうか。白菜重いけど買っていかない?」
B:「ワインは買わなくていいんじゃない?」
C:「うん、ワインはもうあるからさ、鶏肉と野菜買って帰ろうよ。スーパーで。白菜(chinese cabbage)食べたいなー。場所とるけど買っていい?」
B:「キャベツを買うって?」


まあ、けっこうシュールな会話なわけだ。でも、英語圏にはじめて行って数ヶ月、下手したら1年目までの時期は、早口でしゃべるネイティブスピーカーに対し、こういう応答をしてる可能性はものすごく高い。部分部分とか、単語の一部しか聞き取れてなくて、全体の発言の意図が理解できていないわけ。
だけど、Aさんはこのミスコミュニケーションっぷりを理解していないので、BさんがCさんに「答えてはいる」のに対し、「すごい! ペラペラ!」って表現する。こういう場合が往々にしてあるんじゃないかと思う。

考えてみると、「流暢である」ってどのくらいのレベルのことを言うんだろう? たとえば私にとって「流暢さ」とは、たとえば友達とおたがいの親との微妙な距離の話をしつつ、相手がなんとなく示唆したことがなんとなくわかって、それに対し、あくまで失礼じゃないように気をつけながら突っ込んだ質問をするのか、あるいは不自然にならないように気をつけて話題を変えるのかとか、そういうとっさの判断ができる程度の会話力だ。これは4年経っても、ちゃんとできてたと思わない。第一言語でも難しいんだから当然だけど。
あと、「沖縄の基地問題はなんで揉めるのか」みたいな問題を、極論やステレオタイプに走らないように配慮しつつ、不適切な単語を避けながら説明できるくらいのレベル。なんでそのくらいの会話力がほしいのかというと、人文社会系の学会やセミナーでは、このくらいの説明能力が必要だから。そして、第一言語ならそういうこと日常的にやってるんだよねえ。

そう、英語で生活してて感じる辛さって、自分が語彙の少なさゆえに言葉を選べず、そして相手のニュアンスが読み取れないがゆえに、「空気の読めない人」「失礼な人」「暴論を展開する人」になっちゃうことなんだな。
そういう意味では、自分が本当に言語に頼りすぎの人間だったんだなあ、ということが留学生活を通じてよくわかった。シンプルな言葉しか使えなくなった瞬間に、知性や個性までもが奪われたように感じる、自分はそういうタイプの人間だったんだなあ、と。

一般化するとすれば、日本にいるときに自分の意見を日本語で精緻に言語化してればしてる人ほど、そして友達とのコミュニケーションにおいて「言葉」に重きを置いている人ほど(議論好きな人とか)、海外に行ったときの生活がしんどい、ということはあるかもしれない。結局、わたしたちがその言語のネイティブスピーカーでないかぎり、「流暢に話す」という目標にはきりがないんだよね。1年経っても、3年経っても、たぶん10年経っても。そして第一言語である日本語で話すときにだって、「流暢さ」の理想にはきりがない。これから海外で生活を始めようとする人は、そのへんのところ肩の力を抜いていれば、わりと楽に楽しめるんじゃないかなあと思ったりします。

「ペラペラになんて、なるわけないし、ならなくたっていい」ってね。
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