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本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
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Posted by - 2024.05.16,Thu
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Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.08.22,Wed
紀伊國屋書店ウェブの批評空間のレビューを見て知った。









ほ、ほしい!
超ほしい!




だけど英語版が見つかりませんよ。なぜ!?
チェコでの出版は2006年冬。
英語版が出てもいい時期のはずなのに……!



…………。



こんにち、われわれは英語が世界的公用語と化しつつある英語帝国主義の世界に生きている。それでもなお、世界各国の文化の紹介について、それぞれの言語での紹介の次に英語での紹介が最も詳しくかつ先進的である、とは限らない。そのことを最近ようやく実感しはじめた。結局、US・UK・オーストラリア・カナダ等の社会において「関心を持たれやすい」文化圏以外の国の文化は、英語でだって紹介されにくいんですな。

たとえば、日本文化の紹介だって、「伝統的」な「サムライ」「ゲイシャ」「ZEN」とかだと英語での紹介が多いかも知れないけど、サブカル系の漫画だったらフランス語での紹介のほうがずっと元気がいいのかもしれない。いや、よく知りませんけどね。でも、うちのような閑散ブログに「Japanese comic books」とかいう検索フレーズで来てたのは、フランス語表示ブラウザの人だったもの。(そのうち英語で少女漫画レビュー書きたいと思ってます。ほんとに……)

さて話を戻すと、東欧作品について言えば英語での紹介・翻訳は思ったほど潤沢ではない。往々にして日本での紹介のほうが詳しいこともあるんではないか。昨今のEU統合の流れでUKに東欧各国(ポーランド・スロバキア・ルーマニアなど)から多くの労働移民が流れ込んでいることは、UKでは毎日のように新聞に取り上げられる話題だが、それが大きな社会現象として注目されだしたのはしょせん最近のこと。結局のところ東欧の多くの国は「東」の旧共産圏であるわけで、逆に「英語」というものは「西」の象徴的言語であるわけだ。じゃあこの東欧カルチャー紹介の希薄さは、ベルリンの壁崩壊以前には英語圏に住む人にとって東欧文化への関心(および接触の機会そのもの)が大きく限られていた、そのなごりなんだろうか。
というか日本ってチェコ、ポーランド、ブルガリアなど東欧文化が比較的人気ある国なんだなあ、と思いました。ブルガリアン・ボイスのCD(グラミー賞受賞歴有り)がUKでほとんど売ってないのに驚愕しましたよ。
いずれにせよ、英語圏において東欧文化への興味はまだまだ未発展分野のようです。だって、だって、


シュヴァンクマイエルですよ!



しかも、原作テキストはイギリス人のルイス・キャロルですよ!



そんな馬鹿な……英語版がないなんて……



いや、彼の映像作品はほとんど英語版が出ているようなんですけどね。研究書もいくつかあるようだし。



まあそれに、この絵本については、アマゾン.co.jpに日本語訳版を海外発注すればいい話ではあります。しかしアマゾンジャパンの海外発注って利用したこと無いわ。友達が持ってきてくれる/ついでに送ってくれるなら別だけど、なんかせっかくUKにいるのにわざわざ日本の本を取り寄せるのもなあ、という気がしてしまうのです。一冊につき送料1500円くらいかかるしさ。





1500円か……あれ、もしかして安くないか?コレ(はた)





ところで、自分はシュヴァンクマイエル大ファンのはずですが、2006年に公開された最新作は見逃してます。
本当にファンなの?

そんなヘタレファンなので、この絵本も次に帰国したときまで買うのを待つかも知れません。ていうか、英訳出してくれ。つーか原作英語なんだから、「訳す」必要すらない本だぞ。いや、もしわたしの勘違いで、とっくに英語版が出ているのなら、どなたか教えてくださいな。でもAmazon.comにもAmazon.co.ukにも無かったんだよ。Svankmajerで検索したんだけど、綴り、あってますよね……




話変わるけど、今アマゾンco.jp行ったら、「いま最もクリックされている商品」としてトップページに表示されたのが、

  ・太宰治『人間失格』
  ・『クライシス コア - ファイナルファンタジーVII』
  ・『実践イラスト版 スローセックス完全マニュアル』

の三タイトルだった。
ファイナルファンタジーに本買うほど萌えた後、スローセックスを実践イラストつきで研究し、その後人間失格を読む生活を想像して、一瞬「なんかやだ」って思った。
でも考えてみたら(たといそういう人間がいたとしても)、まあ、ふつうの生活と言えなくもない。


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Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.06.08,Fri
 おおお・・・一仕事終わった・・・しめきり一日遅れた・・・ダメ人間・・・と思いきや、まだ書かなきゃならんものがあるよ、と知らされる。まあたいした量じゃないんだけど、めんどくせえ。オオ・・・きちんと確認していなかった自分が悪いんだけど。今日の午後までに仕上げろとのお達し。逃避にブログ書く。(余計ダメ人間度アップ)




 検索サイトから来られる方の検索ワードを見ていると、ときおり興味深いものがある。関連エントリのなかで、検索者が求めていると思われる情報が微妙に微妙なラインで書かれていない場合も多く、少し気になる。ので、以下補足的な情報を書いてみる。


・ジキル ハイド 切り裂きジャック


 そういえば以前のエントリ(→ )では『ジキル博士とハイド氏』を19世紀末の怪奇趣味のなかでまとめて挙げただけで、当該作品と切り裂きジャックのあいだの関係性については言及しなかった。
 R.S.スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』は事件より2年前の1886年に出版された作品で、そういう意味では切り裂きジャック事件がスティーヴンソンをインスパイアしたりしたわけではない。
 直接的な関連として挙げられるのは、切り裂きジャック事件と同時期に『ジキルとハイド』の演劇版の上演が大成功を収めており、そのおどろおどろしい内容のために、出演した俳優こそが切り裂きジャックその人であるという噂が流れた、ということらしい。
 スティーヴンソンの原作において、ハイドは怪しく醜く欲望に忠実な人間ではあるが、記憶では殺人に関わるのもたしか一回きりだし、「血に飢えた連続殺人犯」というイメージではない。そのへんがどうも腑に落ちなかったのだが、『ジキルとハイド』の翻案のなかにはハイドが凄惨な連続殺人を犯したり、はたまた義賊であったりするような様々なバージョンがあるようなので、この演劇もその一つだったのかもしれない。

 間接的な関連としては無数の可能性があるけれども、前回にも書いたとおり、当該時期のロンドンには、下町の急速なスラム化および怪奇趣味ブームがあいまって、「ふとした街角に潜む人智を超えた邪悪」への想像力と恐怖が満ち満ちていた、ということである。そうした空気の産出に、両者はともに一役買っているであろう。
 なお、この「人智を超えた邪悪」のイメージには、ダーウィン主義の大衆社会への普及が影響しているという論もある。チャールズ・ダーウィン『種の起源』の最初の出版は1859年だが、その後数十年のあいだに、「人間は猿から進化した」という発想は、どこか歪んだ、どこか寓意的な形で一般の人びとにとらえられるようになっていたようだ。そうした発想が一方では、「より原始的な人種」をアジア人やアフリカ人のなかに見いだし、ヨーロッパ社会による他社会への支配を正当化する方向へとむかっていくというのは有名な話だが、他方で人びとは、自分たち自身のなかに眠っているかもしれない「人間でないもの」に対する恐怖と、また一抹のあこがれをも募らせていたという。この背景には、市民であること(シティズンシップ)倫理の発達も影響しているだろう(※)。

 ジキル氏の人物像は倫理的で尊敬できる「よき市民」の典型であるわけだが、かれのなかで少しずつハイド氏としての人格が比重を大きくしていく過程には、そうした「よき市民」倫理の人工性や抑圧性に対する疑いが読み取れる。作者スティーヴンソンがそうした倫理に対しどのような態度をとっていたのかは知らないが、少なくとも彼の作品が社会に受けいれられた地盤としては、「理性のとどかない闇、人間の法や倫理の届かない獣性がわれわれ人間の内部にある」という人間本質論みたいなものが、当時期のイギリスに広く浸透していたのではないだろうか。

※ きちんと読んでないが、イングランド人/大英帝国人の観念の発達とゴシック・ホラーの関係を論じた論文でオンラインで読めるの(→ )をみっけた。たぶんこのほかにもたくさんあるのだろう)




 なおわたしは19世紀大衆英文学の専門でもないので、上記のは一人のアマチュアがこれまで触れたアマチュア知識にお気軽にネットでちょびっと調べたものをつけたして書いた程度のものである(しかしこうして書いてみると信憑性の怪しい文章だ)。この時期の数ある怪奇作品のなかでピンポイントで『ジキルとハイド』を狙って検索してくるあたり、検索者は実は私が上に書いたことなどとっくに知っている気がしないでもないのだが、念のため記してみた。





Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.05.30,Wed

 昔読んだ『ヰタ・セクスアリス』を、青空文庫でちらちら眺めていたら次のような記述に行き当たった。

 そのうちに出歯亀(でばかめ)事件というのが現われた。出歯亀という職人が不断女湯を覗く癖があって、あるとき湯から帰る女の跡を附けて行って、暴行を加えたのである。どこの国にも沢山ある、極て普通な出来事である。西洋の新聞ならば、紙面の隅の方の二三行の記事になる位の事である。それが一時世間の大問題に膨脹(ぼうちょう)する。所謂(いわゆる)自然主義と聯絡(れんらく)を附けられる。出歯亀主義という自然主義の別名が出来る。出歯るという動詞が出来て流行する。金井君は、世間の人が皆色情狂になったのでない限は、自分だけが人間の仲間はずれをしているかと疑わざることを得ないことになった。

 『ヰタ・セクスアリス』を以前に読んだのは定かでないがたしか高校生の頃で、もうXXX年も昔のこと。こんな記述があったことはすっかり忘れている。
 それにしてもこの記述。もしかして出歯亀というのは実在の人間だったのか。驚いてちょっと検索してみたところ、なんと1908年に起きた強姦殺人事件の容疑者ということではないか。なんと・・・。もしかしてこれは良く知られた話なのか。しかしものを知らんなあ自分。
 ウィキペディアのページを見てみると、どうやら当該事件は直後から長く冤罪疑惑が付きまとっているいわくつきの事件でもあるらしい。

 ウィキペディアは変な記事が多いというか大半が変な記事のような気もするのだが、この出歯亀の項目はなぜだか文章が落ち着いている。「窃視趣味と強姦殺人(あるいは致死)との間には大きな隔たりがある」などはまったくその通りだろう。「なお歯科医の立場からは、歯の噛み合わせと好色とには相関関係は無いとされる」などの馬鹿馬鹿しい一文や(冗談のつもりかもしれないがそれにしてもできが良くない)、「その他」項目をのぞけば、まともな部類に入るのではないか。

 いっぽう、手元の広辞苑(第五版)には

でば-かめ【出歯亀】
(明治末の変態性欲者池田亀太郎に由来。出歯の亀太郎の意)女湯をのぞくなど、変態的なことをする男の別称。

と、あるが、上記のような事件の性質を考えればこの記述は酷すぎないか。
 冤罪うんぬんを脇に置くとしても、かりにも強姦殺人という深刻な事件をこういうふうに扱うのはどんなものか・・・ううむ・・・いや辞書の性質上、くわしいことを書けないのはわかっているつもりなんですが。
 
 まあそんなことを言ったら、そういう深刻な事件にたいして出歯亀主義とか出歯るとかアホなこと言って喜んでる明治の文壇もこう、なんというか・・・救いようがないというか。・・・出歯るって、なあ。やたらレトロモダンな語感(10年くらい前の語感)の造語であるのがよけいアホくさい。(コクるとかスタバるとかそのへんの)




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