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本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
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Posted by まめやもり - mameyamori - 2008.09.22,Mon


映画であれ小説であれ漫画であれ、もっとも男性的(マスキュリン)とされるジャンルには、しばしば女がまったく登場しない。古典的に、もっとも純粋な男のロマンとされるものは女を必要としない。

もっとも女性的(フェミニン)とされるジャンルは、多くの場合、必ず男と女の双方を登場させる。古典的に、もっとも純粋な女のロマンとされるものは、男女間の恋愛の成就を描く。

「男的なもの」と「女的なもの」が非対称であるというのは、こういうことである。なぜもっとも女性的なジャンルが「女だけを登場させる作品」ではないのかということである。または、この二つがなぜ非対称であるのかを、歴史的に、分析的に、つきつめて考えよということである。

したがって、それは「なーんだ、男向けと女向けってのは非対称なんだ。男向け漫画は女にも広く読まれているのに、おれは女向け漫画が大嫌いだが、それも無理ないんだ」などという変な自己納得のためにあるのでは、断じてない。

断っておくが、わたしはべつに少女漫画を食わず嫌いしていたりなんとなく嫌いだったりする男をここで非難しているのでは、まったくない。実のところ、わたし自身も上であげた超マスキュリン作品が嫌いじゃないのであって、対して女性作家が女性向けに書いた恋愛ものには苦手なものも多く、それじたいはあんまり正当化できる嗜好でもないなあと思っているからだ(だってわたしは女なのにね)。

わたしがここで言っているのは、むしろそういう自分の(ちょっと変かなと思っている)嗜好の方向性に、ごちゃごちゃとつまらない正当化の理由をつけるなということである。「いやー自分でもつまんないと思うんだけど、どうしても少女漫画って苦手なんだよね」とでも言っておけば良いのである。わかってもいない理論を、さもわかったかのように曲解して用いて自分の嗜好を正当化し、その理論がまさに批判しようとしたところのものを覆い隠すなということである。

批評によって社会のなにかしらの仕組みが明るみに出されるとき、それは概して「実はわたしたちの生きている世界にはこんな構造がありました。どうしてこんなものができてきたのでしょう? この仕組みによって、人と人との関係に何が生まれているのでしょう?」という問いとともにあるのであって、「この仕組みは正当なものです」ということを訴えているわけでは、ない。多くの場合。

なんかいくつかのレビューブログを見てて、フェミニズム批評が変な使われ方をしているのにちらほら出くわしたので、少し愚痴を言っておくよ。

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