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本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
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Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.12.31,Mon



「秘儀荘」はポンペイの中心都から少し離れ、都の門を出て少し歩いたところにある。ヴェスヴィオ火山のふもとの斜面に寄り添うようにして建っている館だ。その近くには、都の門から走る道沿いに並ぶ「ネクロポリス」がある。このネクロポリス、意味は「死者の都」で、要は墓地。ただし、現代のお墓みたいにただ墓石とか十字架が立ち並んでいるだけではなく、意匠を尽くした巨大な祠や霊廟などが死者のために建てられている。そういえばエジンバラの丘の上に、18世紀・19世紀に死んだ有名人が埋葬されているお墓があって、それもまるで生者の街みたいに一人一人のための場所が壁と門で区画され、塔だのちっこいお家だのが死者のために建てられているんだけど、あれはこの古典方式のネクロポリスに習ったものなのかしら。
 なんでも、ポンペイにいくつかある主要な門から都の外へと向かうすべての道沿いに、この死者の都・ネクロポリスがこしらえられていたのだそうです。この、死者をあくまで都の外(だが忘れ去られるわけではない、訪れやすいような場所)に埋葬するという習慣は、伝染病の蔓延なんかを防ぐ機能を果たしていたんだと思うが、生者の領域を死者の領域が取り巻いている象徴性って、興味深いわあ。
 ちなみに、当時の埋葬方式は火葬だそうです。お墓のなかに入っているのは灰なわけだ。

 ポンペイという死の都のなかでもさらに死者のために作られた都という、入れ子構造みたいなシティ・オブ・ザ・デッド……おお……頭がくらくらするわ……などと思いつつ歩いていたら、目のはしをちっさい何かが横切った。こ、この動きは!このわたしが、この動きを見逃すと思うてか!



死者の都にも生者あり



 ポンペイとかげが二・三匹、霊廟の影でうろうろしてました。わたしたちが近づいていくとちょっと逃げて、それから石の影から顔だけ出して、こっちを覗いたりしてました。かわいいなあ……イギリスって、ほら、とかげいないから……久しぶりに会えて嬉しいよ。


 さて、そんな寄り道をしつつも「秘儀荘」に到着。ガイドブックによると、100を超す数の住居がそのあたりから発掘されているという。多くは当時農業に従事していた人々の家だが、同時に、裕福な人間が住んでいたとおぼしき大きく立派な建物もある。当時の上流階級にとって、街の中心から少し離れた景観と環境のよい場所に住居をもつのは、ファッショナブルなことであったという。「秘儀荘」はそうした館のひとつ。きわめて保存状態がよい建物で、入り口、玄関を抜けたポーチ、応接室など、それぞれを飾る装飾が良質な保存状態で残されている。庭に面する柱とかも、ほんときれいに残ってる。
 ローマの柱というと真っ白で無機質で、ただ上下にくるくるりと装飾がついているだけの気がするが、秘儀荘の柱は真っ赤っかだったり、真っ黄っきだったりする塗装がまだわずかに残ってる。真っ赤、真っ黄といっても、赤は独特のくすみのある朱色、黄色もやまぶき色みたいな色で、わりと渋いんですけどね。それでも原色嗜好には変わりない。

 まあ、われわれのイメージの「ギリシャローマ」がみなぞろ真っ白とか灰色とかなのは、そうしたイメージが近世以降になって作られたものだからで——ルネッサンス以降にギリシャローマを摸してつくられた建築装飾の様式がそのモデルにしたのが、そもそも長い時間のなかで完全に色の落ちた遺跡や発掘物にすぎず、それがのちの世にとって「古典時代風」のイメージになっちゃったという、そういう「ねじれたアンティーク趣味」の歴史的結果にすぎないのだろうという気はするが。

 いずれにせよ、それら保存状態のよいフレスコ画のなかでも、この「秘儀荘」の白眉かつ名称の由来ともなっているのが、トリクリニウムtriclinium(ダイニングルームのことらしい)の壁を飾る巨大な赤い絵。鮮やかな朱色をバックに、いく人もの裸体と着衣の女性が三方の壁を飾るこの絵、たしかに迫力満点である。ガイドによると、これは女性が結婚するときの通過儀礼の秘儀の様子をえがいたものであるらしい。なんか絵を見てると、服を脱いだり沐浴したり、ちょっと年上っぽい女の人に寄りかかって懺悔みたいのをしてる女の人がいるんだけど、当時の上流階級の女の人は、結婚するときにこんな儀式をしてたのかしら。ていうか、秘儀っていったい何が「秘密」だったんだろう……男には知られるべからずの儀式内容だったのだろうか。あ、でもそれだったらダイニングルームに堂々とその内容が描かれてるわけないか……。まあ、いずれにせよ秘儀荘じたいは、ポンペイ名物エロ画像を満載している館というわけではないようです。


 さすがに保存状態をキープするためか、フラッシュが禁止だったので、あんまりきれいに撮れてませんが、下がその「秘儀」のフレスコ画です。




 さて、変ちくりんな格好で踊ってるキューピーのフレスコ画とかを横目で眺めつつ、秘儀荘をあとにして都に戻る。途中、ぐるりと壁を迂回して丘に沿って道を下ったのですが、そのルート、かなりのオススメコース。とにかく景色が最高。
 遺跡の向こうに現在の人が暮らすポンペイの街の様子が見え、背後にヴェスヴィオ火山がその全貌を見せて佇んでいた。天気がよかったせいもあって、影と光のコントラストの古代遺跡、その向こうに太陽光を受けてきらきらと微細に光る現代の街、そうして雲一つなくぽかあんと開けた青空に稜線を描くヴェスヴィオ山と、それはそれは絶景。
 

 ふたたび門をくぐってポンペイに入ると、すでに午後の日差しも傾き始めている。一日中歩きっぱで、そろそろ疲れてきたなあ。だが、まだ遺跡全体の半分程度しか見ていない。たまに石畳につまづいたりしつつ、よろよろ歩く。だって一生に一回しか来られないかもしれないじゃないか!隣を歩く友人含め、「けっこう見たねー。疲れたねー。そろそろ帰ろっか」とかいう選択肢は脳裏によぎりすらしない。まあ、要は貧乏性なのである。


この石畳がまた超でかくてボコボコしてて歩きにくいんだ



 ポンペイの正面入り口近くの区域が、政治や経済や信仰などの中心で、広場だとかマーケットだとか各種の神殿が密集しているのに対し、円形闘技場と劇場にはさまれたあたりの地域は居住区エリアである。人々の住居がこれでもかこれでもかと立ち並んでいる。数百・数千単位で並んでいる住居は、門から中を覗けばどれもフレスコやモザイクできらびやかに彩られている。
 しっかし、ここまで来るとだいぶ二千年前の住居の「通」になってきた気がする。ポンペイ入って最初の頃は、見るもの見るものに対し「おおお……ここで古代人が食べ、眠り、笑いさんざめき……」とか、いちいち感動していたのだが、もうなんかどれも同じように見えるので、見所としてピックアップされてるものを淡々とこなす感じになっている。人間って勝手だわ。それでもなお、帰ろうという選択肢が思い浮かばない貧乏性。
 いや、楽しいんですよ!十分楽しいんですよ。ちょっと疲れてるけどさあ。


 このあたりはまだ発掘が途上のようで、通りの片側はまだ半分以上が土砂に覆われていたりする。ポンペイ全体では66ヘクタールの面積があるらしいのだが、現時点で発掘が終わっているのは45ヘクタール。つまり、あと20ヘクタール、三分の一近くが未発掘のまま土砂のなかに埋もれているのですね。すごいなあ。150年経って、まだ三分の二か……。ポンペイの灰に埋もれつつ一生を生きる考古学者とか、山のようにいたんだろうなあ。そして、これからも山のようにいるんだろうなあ。

 もうだいぶん日も傾いてきた。円形闘技場の外壁が長い影をつくる、その横を通り過ぎる。ローマにあるコロッセウムの縮小版だ。イタリアは初めての友人に、「コロッセウムもこのくらいの大きさ?」と聞かれて、「あーもうちょっと大きいくらいかもね」と答えたのだが、あとでローマに行ってみたら「もうちょっと」どころの騒ぎじゃなかった。規模ちがってた。まあ、ポンペイの闘技場もいいかげん大きいんだけど、コロッセウムが馬鹿でかすぎるんですな。


 一日歩きどうしの疲労がたまってガクガクしてきた足腰で、最後に見たのは娼館(Lupanare)。遺跡クローズの時間も迫り、係員さんが立ち入り禁止の鎖を閉めようとしてたところに、ぎりぎり団体さんがすべりこんだのに、混じって入り込んだ(笑)団体さんありがとう!

 このLupnare、ポンペイ名物エロ画像で有名な場所のひとつ。古代、ポンペイには高級役人・知識人用のやつから、もう少し一般市民用のやつまで、かなりの数の娼館があったそうだ。公開されているのは中でも保存状態のよいやつ。通常は商店の二階とかで買売春が行われていたのとは異なり、このLupanareは売春宿として特別に設計された数少ない建築らしい。二階建てで、一階と二階にはそれぞれ5つの部屋がある。ひとつひとつの部屋は四畳半程度の大きさで、なかには石の寝台がしつらえられている。しっかし痛そうなベッドだなこりゃ。
 天上近くの壁際には、一組の人間が戯れ合うフレスコ画がいくつも描かれていて、一説によると戸口の上に描かれたフレスコ画は、それぞれの部屋の娼婦の「得意領域」を示していたともいう。




 こうした娼館で働く女性たちは、通常は奴隷階級で、ギリシャや中東、その他の異国から連れてこられた人々だったという。値段はだいたい、ワイン2人分から8人分。歴史を通じて、こういう商売の搾取的なシステムというのは驚くほど変わっていない。

 一緒に入った団体さんはドイツ語圏の人々らしく、言ってることは聞き取れなかったが、ガイドさんの説明にかなり湧いていた。目玉の見所のひとつではありますわなあ。いずれにせよ、ぎりぎりでも入れることができてよかったです。


 娼館を出るとすっかり暗くなっている。広場や神殿の近くをよろよろと通り過ぎながら、一日たっぷり堪能したポンペイをあとにしました。うーん、面白かった。疲れたけど。いやでも面白かった。






 余談1。
 ポンペイ内には食事や飲み物を買えるところが一個しかありません。公衆浴場の隣の建物に入ってるレストランとカフェは、ナポリの物価とくらべるとかなり高い。あーナポリ市内でお弁当買ってくれば良かったな、しまったな、と思いつつ、われわれはパニーニ(一個4.5ユーロ)を買いました。
 が、意外や意外!これがすっごく美味しかった。正直言ってイタリアで食べたパニーニのなかで一番うまかったです。わたしのは生ハム、友達のはサラミ。こってりした薫製肉の塩気が、味のあるパニーニ生地によくマッチしてました。試してないけど、もしかしたらレストランも美味しいのかも。

 余談2。
 前回ポンペイ犬の話をしましたが、あの大型犬たち、ポンペイが閉まると同時に観光客にくっついてヴェスヴィオ周遊鉄道の駅までやってきました。全部で七・八頭はいます。いったいなんなんだ……?とくに甘える様子も媚びる様子も見せず、淡々とプラットフォームを歩き回っている。
 ところが!列車がやってきた瞬間、そのうちの一頭が線路に飛び込んだ!騒々しく響きわたる汽笛、驚く観光客たち、いっせいに吠え出す犬ども。
 あまりの事態にあんぐりと口をあけ、なすすべもなく見ていると、犬は間一髪で列車が到着する直前にプラットフォームの向こう側に上陸。他の犬どもは興奮したのか、列車の回りでヴァンヴァン吠えたてている。
 いったいなんだったんでしょう。なんかヤなもの見たなあ……。人間のガキがやっとる危険な遊びを犬が真似しだしたという話なんでしょうか。しっかし、血を見なくて済んでよかったよ、ほんと。


 以上、長々とポンペイ特集でした。次回はナポリ市内特集です。
 ほんと、いつ終わるんだこのイタリア旅行記。


<つづく>


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