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本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
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Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.09.15,Sat
BBCが日本の政治状況にけっこう興味を示しております(笑)
背景記事カテゴリー("SHINZO ABE RESIGNS" - "KEY STORIES", "BACKGROUND")と読者のコメント募集のコーナー("HAVE YOUR SAY")が作られている。
すでに200を超える読者コメントが投稿されているようだ。東京や兵庫など日本からの投稿もちらほら。
全般的に言って、USAよりは日本と政治の関連性が薄いUKのメディアで、3日間で200というと多いような・・?まあ、ほかの記事でどれだけコメントが集まってるのか知らないので、なんとも言えませんが。

こっちの友人と話していたんだけれども、「辞職」をめぐって、日本の場合は"honourable"であることが重要になるんだねと言われた。友人にとっては、「自分の失態に対して責任をとる」というときの責任の取り方が、「みなさまに顔向けできない、だから辞める」という形態をとるのが新鮮に写るらしい。「失態を挽回することで責任を取る」という形態にはならないところが面白い、と言っていた。

たぶんに、これは日本の「恥の文化」へのイメージとつながっての発言だと思う。もちろん、あからさまにそうつなげるほど不注意な友人ではなかったが。それでも漠然とそういうつながりが連想されたのかなと思うと、日本に長く暮らしてきた自分としては、「どんなもんだろう」とちょっと疑問に思ってしまう。内にいる人間としては、より具体的で刹那的で政治ビジネスなドロドロに晒されているせいで、「恥の文化」ってのが今でも連綿と続いているのかな?なんて仄めかされると、「なーに時代状況も具体的なポリティクスも無視したこと言ってんだか」という気分になってしまうのだ。
ただ、辞めろ辞めるなという声、あるいは自分は辞めますという宣言をめぐって、使う言葉やフレーズや比喩に微妙な(あるいは歴然たる)違いがあるのは確かなのだろう、と思う。そうしてその言葉だのフレーズだの比喩だのは、一定程度は長い歴史のなかで変遷しつつ構成されてきたもので、その歴史的バックグラウンド・時代的バックグラウンドのなかで「メイク・センスする」(説得力をもつ)わけだ。だとすると、ある特定の状況で——たとえばある人物が重職を辞めるというような状況で——どういう台詞、どういう言い回し、どういう行動が人を納得させるかということは、当然場所によって違いがある。
「これも全部、日本が恥の文化国だからですよ」などと安直に言ってすっきりしているようなのは、単なる浅薄な本質主義にすぎない(そして一抹の疑問もなく自分を日本人とアイデンティファイしている場合ほど、むしろこうした発言をしてしまいがちな気がする)。だが同時に、内にいては気づきにくいディスコースの特異性というものは、確かにあると思う。それが「文化」をめぐる議論の難しさだ。
「文化は特定の歴史的プロセスの産物としてあるもので、そこには時代時代のポリティクスが大きく影響している」という歴史主義をきっちりふまえた上でも、なお、書き方によっては——あるいは一言にまとめた結論だけをとってみれば——本質主義に近づいて見えることがある。それを避けるのはそれほど簡単なことではないな、というのが言いたかったこと。

まあ、たしかに前首相ブレアなんかを見ていると、「潔く辞めたほうがまだまともであり、"honourable"である」なんていう意識はありそうにない(UKの多くの人がそう思っていた気もするが)。ブレアの場合は失態を挽回しようとすることで悪循環に陥っていた好例のような気もするけどね。(というかイラク戦争に関して言えば、もう軍を引かせたほうがいいのは誰もがわかってるんだけど、いったん出軍させてしまった以上、どのタイミングでひかせるのが最も政治的に穏便かが分からずに手をこまねいて見ている、という感じですね。そんな理由で毎日戦争がつづいているんだから、愚かしいというほかない。)

まあブレアの件は別にしても、本当にUKやUSでは失態をしたときにそれを挽回しようとする人のほうが多く、日本では辞めようとする人のほうが多いのか、そこから検証しないとあかんねということを友人は言っていた。支配的な文化イメージにそぐう例が出てきたときに、それがヤンヤ言われるだけじゃないんかと。たぶんにそういう話ではある。

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Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.08.15,Wed
 「それはとっさの一瞬だった——20世紀をもっとも象徴する写真の一枚が、そこで生まれたのだ。」



このファイルはコチラからダウンロードしたもの。
クリックで拡大。




 読者の方々のなかにも、この写真に見覚えのある人は多いだろう。"VJ Day Kiss (Victory in Japan Day Kiss)"として知られるこの写真は1945年8月14日、ニューヨークで撮られたものだ。日本の降伏のニュースを知り、熱狂的に沸き立つ合州国の一角で、一人の水兵が喜びのあまり、街頭で出会った見知らぬ女性を抱きしめキスをする。第二次大戦終結への社会規模での歓喜を象徴的にとらえたこの映像は、写真家アルフレッド・アイゼンシュテットが撮ったもので、『ライフ』誌の表紙を飾ったのち、各所でくりかえし転載され紹介され、第二次大戦にまつわる映像のなかできわめて有名なものの一つとなった。
 (ちなみに別アングルからの写真が存在する。こちらは合州国海軍のヨルゲンセンJorgensenによって撮られたものという)

 その後60年にわたって、この水兵の素性は論議の対象となってきた。10人以上もの人びとが、「この水兵はまちがいなく自分である」と主張してきたという。それが最近の「科学的調査」によって、今年80才になるテキサス在住の退役海軍兵の男性であることが判明した——というのが、13日のロンドン・タイムズにあったニュースである(ちなみに上記の写真は一面を飾っていた)。今日のエントリを書こうと思い立ったのは、ほかでもなくその記事を読んでのことだ。


 くだんの男性はこのニュースに非常に喜んでいるとのことである。なんでも彼は現在肺ガンと闘病中とのことで、自分が本当に写真の水兵であったことが死ぬまで証明されないのではないかというのが、これまで最大の懸念であったという。

 ちなみにこの写真を撮ったアイゼンシュタットによって、女性のほうは当時ニューヨークの病院で看護婦をしており、現在では89才になる女性として、その身元が確認されているという。

 上記の「科学的調査」なるものは、テキサスのヒューストン警察の犯罪捜査に長年協力し、その成果によってギネスブックにも載った専門家が、写真を綿密に操作することによって行われたという。「私は普段は生死に関係する調査を行っています。したがって、誰かの身元をいいかげんに特定することはありえません」。


この記事は以下の文章で締めくくられていた。


——1945年8月15日のVJデイは、連合国が日本の敗退を祝った日である。正式な降伏は9月2日。
——トルーマン大統領は「今日、ファシズムは最終的に死を迎えた——われわれはそうなるであろうことを知っていた」と言った。
——US、UK、およびオーストラリアは二日間の祝日をもってこれを祝った。
——USでは9ヶ月後、233,000人の新生児が生まれた。


 最後の文章に、わたしは苦笑を禁じ得なかった。ある種の「ほのぼのさ」と茶目っ気の演出をそこに感じたからである。しかしそれは同時に、そのユーモアに対して断絶を感じた苦笑でもあった。

 「戦争の終結を喜ぶ」ということそれじたいは、とても平和主義的でピースフルなものでありうるかもしれない。しかしこの記事に漂う「勝利と平和と愛」の楽天的な空気に、わたしは奇妙な違和感を感じた。もちろん、この写真や記事を戦勝国の奢りだとか言って糾弾する気はまったくない。怒りだの苦々しさだのという感情もまったく覚えない。ただそのあまりのラブリーさと、「ちょっと可笑しいこぼれ話」的な扱いに、失笑と脱力感を禁じえなかったのだ。それは、米英ではこういう記事が「第二次大戦の終結」を思い起こす記事として主要紙のトップを飾りうるんだな、という驚きであったし、また、それはわたしが育った文化の空気とは、やはりずいぶん違っているという隔絶感でもあった。

 日本という国で生まれ育ち、その教育を受けてきたわたしにとって、「1945年8月」「第二次大戦の終結」という事象を取り巻くイメージは、死、飢餓、巨大かつ多層的な喪失と崩壊の感触、そして沈黙である。ここで沈黙とわたしが言うとき、それは戦後に生まれ、当時を知らないわたしが、そのとき人びとにのしかかったであろう重苦しい空気として想起する沈黙であり、また、それらの出来事をめぐって、今なお(あるいは今だからこそ)浅はかな何事かを言うことをためらわせる何かがある、という意味での沈黙である。言うなればそれは、この記事に見える「ほほえましさ」とは対極の一つに位置するであろうイメージだ。


 毎年めぐってくる「日付」のなかで、われわれは過去の戦争を思い起こす。ニュースや雑誌やTVは、歴史的日付とのかかわりのなかで特集を組む。第二次大戦のように多くの国家が介在した戦争について言えば、多くの国に暮らす多くの人びとが、同時多発的に数十年前の過去を想うのだ。
 そこにおいてなお、思い起こされるものがあまりに違うこと、そしてその違いが多分にメディアや教育に影響されたもの、すなわち社会に暮らす中でわれわれが無意識のうちに自分の基礎的な感情や価値観に刻み込んだものに起因するということを、ふとこの写真を見て実感した。わたしが感じた違和感とは、そうも言い換えられる。

 今回にかぎって言えば、わたしは自分の感じた違和感を必ずしも否定的なものとしてとらえていない。それはたんに敗戦国のルサンチマンを内面化しただけの反応として一蹴できるものではないはずだ。UKに2年暮らし、UKメディアに一定程度触れるなかで、それまで自分が自明視していた文化や価値観をある程度相対化できるようにもなったとも思うが、それでもなお、この写真と記事への微妙な違和感を忘れないようにしたいと、わたしは思う。それは自分の生まれ育った文化や価値観を大事にするとか、愛郷心をもつとか、そういう話ではない。戦争を想起するさいにつきまとう沈黙の圧力感は、無くされてはならないと思うからである。または、一方にある喪失と沈黙の感触と、他方にある「勝利と平和と愛」の空気とのあいだにある溝を、考えていかねばならないと思うからである。それらはおのおのの社会に思いのほか深部まで浸透したイメージであり、空気であり、感触であって、たとい戦争と記憶の問題に意識的である人間にとってなお、簡単には拭いされない何かであるように、わたしには思えるのだ。

ちなみにこの記事、日本では少なくとも時事通信のニュースでは紹介されている模様。他のメディアではどのように書いているのかしら。

Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.07.03,Tue
一昨日、グラスゴー空港での事件について、「スコットランドでこれが起こった重要性がうんぬん」と書いたが(→、実のところわたしにとって少し驚きではあったのだ)、今日、同じフラットに住んでる子とその件について話してたら、「ゴードン・ブラウンがスコットランド出身なのも関係があるかもよ」と言っていた。そうか、そういえばブラウンはグラスゴー生まれとか聞いたことがあるような、ないような。ちょっと調べてみると、大学もエジンバラを出ているようだ。歴史でPhDまで出ている。博士論文のタイトルは「労働党とスコットランドの政治変動、1918ー29年」。

余談だが、歴代の英国の首相でオックスフォードあるいはケンブリッジを出ていないのは、彼を含めて四人だけだということ。ううむ・・・さすがというかエグいというか、オックスブリッジ・・・

ともあれ、土曜の事件が新首相の就任をピンポイントで狙った新政権への象徴的な攻撃という可能性はあるのかなあ。うーんどうだろう。

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