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本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
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Posted by - 2024.11.01,Fri
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Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.07.01,Sun
 たまには時事ネタで。


 昨日のロンドンはヘイマーケットでの爆弾自動車発見のニュースから一夜明けて、今度はスコットランド・グラスゴー空港での事件。
 一台のジープが空港のメインエントランスに突っ込み、その車が炎上しはじめたという話。車に乗っていた二人は、車の炎上と共に脱出をはかったが、その場で逮捕されている。

 この事件をもって、UKの現在の警戒度は最高レベルの「危機的critical」となった。

 BBCオンラインによるとUK時間午後11時の時点でグラスゴーへ向かう、あるいはグラスゴーから飛び立つフライトは全部停止状態になってるようです。


 なんだかきな臭さが惨憺たるありさまになってきた。ナイトクラブという場所を狙った昨日の爆弾も衝撃的だったが、個人的には、これがグラスゴーで起こったということの重要性もまた、でかい気がする。ロンドンは腐ってもUKの首都であって、「イラク侵攻」の象徴のひとつであったろう。しかしグラスゴーは違う。人口にしてUKで第3か第4の大産業・商業都市とはいえ、UKの政治的中心ではないのだ。しかも、歴史的に大英帝国や英国支配が取りざたされるとき、「支配者」として想定されてきたイングランドに属してすらいない。UKを構成する主要なネイションとして、現在は実質的にイングランド社会とほぼ同等の社会・経済権益を享受してきてはいるけれども、スコットランドは歴史的観点からは自らを「イングランド支配に抗う者」と見なすネイションなのである。
 まあ、たぶんに「狙いやすかった」とか、都市でなく空港それじたいの規模とか重要性とか、そういうのがバーミンガムでもマンチェスターでもなくグラスゴーが狙われた理由なのかもしれないが、それにしてもスコットランドでこれが起こった以上、UKのどこでもこれが起こりうると考えるべきだろう。少なくともUKの主要な空港すべてが、もはや「安全」とはいえない場所になったのだ。なお現在の所、エジンバラおよびイングランド北部のニューキャッスルやリバプールの空港で、車のアクセスが制限されているようである。


 昨年ヒースローでの液体爆弾持ち込み未遂事件の直後、空港のセキュリティチェックがえらいことになったのを鬱々と思い出す。あらゆる化粧品や多くの薬が持ち込みを制限され、乳幼児の命にかかわりかねないミルクなどにいたっては、親がそれを捜査員の目の前で飲むことまでが要求された数ヶ月間。そうしてあれが印象づけたのは、「テロ対策」方針の限界だったように思う。

 かつて(現在でも世界の多くの場所でそうなのだが)「潜在的テロリスト」として扱われたのは特定の民族や特定の集団であって、厳重な警戒態勢は局所的に用いていれば良いものだった。それは多くの場合、「先進国」の中心から遠い場所の話だった。だからこそ暴力的で、時には人権侵害的とすら言われるような警戒と捜査が可能だったのだ。だが、くだんの液体爆弾事件の後に導入されたのは、UK最大の出入り口たるロンドン・ヒースローにおいて、「チェックを抜ける誰もが危険な犯人であるかもしれない」と想定する、そういう捜査システムである。フライトの多くがキャンセルされ、セキュリティチェックを抜けるのに時には4時間以上がかかり、混乱のなかで荷物の多くが行方不明になる。結果、社会的に経済的に、そうして世論的に多くの支障が出てくる。
 結局、UKの中心地であらゆる「市民」を潜在的犯人扱いするシステムが数ヶ月も立ちゆくはずがない。そもそも無理があるのだ。事件が起こってはセキュリティレベルを引き上げ、社会が立ちゆかなくなり、セキュリティレベルを引き下げ、そうしてまた事件が起こる。繰り返しである。

 加えれば、どれだけ厳重なセキュリティチェックをしても、あらゆる事態を想定することなど到底不可能なのだ。先日、BBCニュースである保安関係の捜査員が言っていた。「100回に一回の成功で向こうは勝つ。我々は100回に一回の失敗で負ける」。
 「向こうthey」という漠然とした語で想定されているものは、じっさいの捜査においていったい誰に向けられる視線なのだろうか。この言葉が明瞭に示しているのは「包囲された恐怖」にひどく近いものではなかろうか。「包囲の心理 siege mentality」とは心理学の用語で、自分が敵に囲まれており常に抑圧や攻撃にさらされていると感じる精神状態のことだ。民族紛争や政治紛争において、この心理状態はしばしば経済的にも政治的にも他方を圧倒しているはずの、いわゆる支配集団に見られた。そうした集団の意見を代弁するレトリックの中には、「犠牲者」観の複雑な転倒が見られるのである。

 今日UK国内において(詳細を知らないがUSAにおいてもそうか?)「対テロ」活動が支持される心理に特徴的なのは、本来的には数においてすら「相手」を圧倒しているはずでありながら、その「相手」がどこに潜んでいるかわからないという恐怖ゆえに、この「包囲の心理」に近いものが発生していることではなかろうか。「大多数の市民は無実のはずだが、彼らと同じ顔をした危険分子がどこに潜んでいるのか知れない」・・・そういう心理である。現在その「潜在的危険分子」と見なされやすくなっているのは、パキスタン系や中東系の顔立ちや名前を有した人びとである。だが捜査線上に浮かび上がる「容疑者」の群像はより複雑なものになっているし、UKが多文化社会の実現をうたう以上、人種や民族で人を犯罪者扱いしているとの疑いは、当局と言えども絶対的に避けなくてはならないところである。恐怖の対象はより漠然としていくばかりだ。

 離れた何かを力でねじふせようとするポリティクスは、まさにそのポリティクスのお膝元の社会をひたすら強迫神経的な弛緩と恐怖に陥れる結果になったのではないか。数日前に新首相に就任したゴードン・ブラウンが喋る。「いまやあらゆるイギリス人が自警団員たるべきだ...イギリスの人びとが団結し、一つになり、断固として強くあろうことを、私は知っている。」このさして目新しくもない発言に、しかしながら見えるはまさしく集団的包囲の心理である。ただしここにおいて誰が「あらゆるイギリス人」に含まれるのか、それは「敵」の視覚的な不透明性ゆえに、「自警団員」たらんとするか否かという各々の個人の「態度」で決定される。「敵」の造型が曖昧なら、「一丸となる」集団の境界もまた、ひどく恣意的である。
 漠然とした「包囲の心理」にとらわれた集団が、時として過激なまでに攻撃的・抑圧的な方向へと走っていくのは、歴史の中でしばしば見られた現象である。ブラウンの見る団結の先ははやくも暗澹としている。


 とりあえず、UKを訪ねてきて一週間前に日本に帰国した友人に、今来ていなくて良かったねと伝えておくことにしよう・・・もしいま来てたらチェック抜けるのかなり憂鬱だったんじゃないかと思うよ・・・







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