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本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
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Posted by まめやもり - mameyamori - 2008.11.17,Mon
 気づいたのは誰だったのだろう。仕事へ学校へと向かうニューヨークの人々の早朝の寝ぼけ頭が、一瞬のうちに覚醒する。1974年8月。当時世界最高を誇っていた世界貿易センターのツインタワーのふもと。誰かが110階のビルディングのてっぺんを指差し、その双子のビルの間に渡された細い細い綱の上をゆっくり歩いている人間がいると指摘したのだ。
 たちまちのうちにツインタワーの下には黒山の人だかりができる。地面からは砂粒のようにしか見えないその人影は、ただ綱を一度渡りきっただけでは満足しない。彼は空中に渡された綱に足をひっかけてぶら下がり、あるいは綱の上にごろりと横たわってポーズをとってみせるなどして(!)、およそ1時間ものあいだ、高度400mの空中にて信じがたいパフォーマンスを繰り広げた。人々は唖然としてその様子を見つめるばかりだった。
 居合わせた警官は言った――「誰もが呪文にかかったように彼を見上げていました。世界が二度と見ることのないものを自分がいま目撃していると、みな知っていたのです」





 夏に見に行ったドキュメンタリー映画『マン・オン・ワイヤー』。けっこう面白かったですよー。ようやくレビューを書きましたのでUP。





 存在自体が芸術であるというのは、このような人物のことを言うのだ。
 フィリップ・プティ、当時25歳。フランスで生まれ育ったこの生まれながらの大道芸人には、まさに魔術師(magician)という呼称がふさわしい。ただし、そこにはタネも仕掛けもない。それはホログラフィのトリックでもなければ、下にネットが用意されたパフォーマンスでもなく、彼は命綱もつけてはいなかった。けれどもその破天荒さによってその場に居合わせたあらゆる人々の意識を虜にした彼のパフォーマンスは、まさしくマジカル(奇術的)に人を魅了する芸術であったといえる。

 『マン・オン・ワイヤー』(2008)は、フィリップ・プティが6年以上もの歳月をかけて綿密な計画を練り、訓練を積み、この「華麗なる犯行」を成し遂げるまでを追ったドキュメンタリー映画である。監督はイギリスのジェイムズ・マーシュ。英米各紙の映画レビューを集めたサイトRotten Tomatoesでは、サイトがリンクする各紙の映画評論家(合計130人)のすべてが肯定評をつけるという絶賛作品となった。わたしの主観的な感想としても、よくできたスリラーであり、娯楽映画である。このブログでも何度か書いてきたように、ドキュメンタリー映画というものは通常、政治的・社会的な訴えをおこなう表現手段と見なされており、それはそれとしてドキュメンタリーのすぐれた側面である。けれども、ドキュメンタリーにはこういう方向性もありえるんだと、あらためて感じさせてくれた作品だ。「サスペンス」という語の語源が「宙ぶらりん」という意味であるならば、まったくもってこの映画以上に「サスペンス」の名にふさわしい作品は存在しないだろう(笑)……というのは冗談としても、綱渡りが無事に終わったという結末を知っているにもかかわらず(プティは映画の序盤から30年後の元気な顔を見せている)、ここまでハラハラドキドキさせられるとは、くそっ、不覚!

 映画は、30年の歳月ののちにプティや仲間たちに行ったインタビューや、70年代当時の写真とあわせ、若い俳優たちにプティらを演じさせる動画を織り交ぜて、ツインタワー・パフォーマンスにいたるまでの彼らの訓練と計画を再現してゆく。新しい再現フィルムにはあえて劣化加工をおこない、いかにも70年代風にして当時の写真との違和感をなくすなど、編集はお見事。正直、最初「この人たち、自分たちのトレーニングと訓練の様子をビデオに撮ってたのか?」などと勘違いしてしまったほどに自然な再現動画だ。
 
 しかしまあ、このプティという人、エキセントリックというかなんと言うか、極度の変人である。そして魅力的な人物だ。もともと彼はパリの人気大道芸人で、ジャグル(お手玉みたいなやつ)や玉乗りなどを街角で披露しては、多くの人の喝采を浴びていた。そんな彼が初めてツインタワー・パフォーマンスを思い立ったのは、なんとタワーの建設が始まってもいない頃だったという。たまたま行ったパリの歯医者の待合室で、そこに置かれていた雑誌を何気なく開いたプティの目に飛び込んで来たのが、はるかニューヨークで建設が予定されているというツインタワーの完成予想図だった。それを見てプティは思ったのだった。「あ、このタワーの間、渡りたい」と。
 
 ツインタワー事件はじつはプティの初の犯行ではない。パリのノートルダム大聖堂で、オーストラリアのシドニー・ハーバー・ブリッジで、世界のどこかに高いものがあると見るや、彼はいつでもその場に飛んで行って綱渡りに挑んできたのである。そしてそのたびに米粒のようなパフォーマーを大地から見上げる大観衆を唖然とさせ、そのたびに現地の警察に逮捕されてきた(笑)。



1973年、ハーバー・ブリッジで撮影された写真であるそうな



 ツインタワーで1時間のパフォーマンスを終えたプティは、綱からビルのてっぺんに降り立つやいなや、今度もそこで待ち構えていた警官達に現行犯逮捕される(笑)。この華麗なるパフォーマンスは、結局のところ違法だったし、プティも仲間もそれをようく知っていたのだ。
 彼のニュースはたちまちのうちに世界に知れ渡った。「なぜあんなことをしたのか」という無数の質問のひとつに対し、プティは答えた。「ぼくは三個オレンジがあればジャグルを始めちゃうし、二つ塔があればその間を渡っちゃうんです」――なんとクールな答えであろうか。

 映画全体を見ていて伝わってくるのは、このプティのパフォーマンスそのものが、彼と彼をとりまく仲間たち全員でつくりあげた「作品」であったということだ。もちろんプティという天才なくしてこの作品はありえなかったが、同時に計画のひとつひとつを進めていく仲間たちの行動の積み重ねなくして、やはりこの作品はありえなかった。しかし、絵や彫刻のように形として残る芸術とは異なり、この「作品」には終わりがくる。共同作業の過程で積み重なっていった興奮と連帯感は、プティが地面に降り立ち連行されていったときに、ふしぎと瓦解していく。プティはさほどのおとがめなく釈放されるのだが、計画の最初から最後まで彼を支えた最重要人物であった恋人との関係は終わりを告げ、仲間達も去っていく。
 プティに愛想をつかしたとか、そういうことではない。そのとき彼らのなかで、何かが「終わった」のである。仲間のひとりはインタビューのさなか、30年前の連帯感とその終わりの記憶に、声を震わせ涙をこぼす。その無常の感覚とノスタルジアがまた切なく、映画の観賞後に味わい深さを残すものとなっている。
 そしてまたこの映画がノスタルジアを誘うのは、プティの華麗なる犯行が、70年代であればこそ可能だったからである。これはプティが年を取ったことを言っているのでもなければ、ツインタワーが2001年に破壊されたことを言っているのでもない。いま仮にプティとまったく同じ天才が現れ、彼をひきつけるパフォーマンス物件がどこかに存在したとしても、それを遂行することは不可能だろう、という意味である。どこもかしこもがハイテクな「テロ対策」を導入している現在、プティのようなやんちゃ者が政治経済の中心たる重要ビルの中にもぐりこんで、その圧倒的な魔術を見せることはおそらく不可能だ。たとえもぐりこめえたとしても、「セキュリティ」のために兵士か警官にうむを言わさず撃ち殺される可能性がなきにしもあらずで、それは華麗なる犯行ではなく愚かしい悲劇に終わるだけの話である。そもそも「前科犯」で有名なトラブルメーカーでもあるプティは、合州国のような国ではパスポートの個人識別・生体コードチェックでひっかかり、入国すら許可されないかもしれないのだ。そういう意味で、綱の上に立つプティの屈託ない笑いは、現在の世界が失った天真爛漫さを示してもいるのかもしれない。



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Comments
待ってた!
このエントリ、待ってました。
これーこれすごい観たいんですよー…
日本の配給会社は買ってないんだろうか…
日本で観れない面白そうな映画って
今更だけど多すぎる!
チャンベールの「レスキュー・ドーン」も
ボビー・サンズを描いた話題の
「ハンガー」も観れないなんて…
(まーこっちはまだ分かんないけど)

それにしてもプティさんの写真は
どれもこれも心臓に悪い!
ぜひスクリーンで観たいもんです。
Posted by dogra - 2008.11.17,Mon 13:42:31 / Edit
綱渡りシーンはハラハラするよー
待ってたというお言葉素直にうれしいざんす!
あんま完成度の高くない文章ばっかり書いてるけれど、これからもレビュー書こうかなあって元気づけられます(笑)

そんでもって「ハンガー」のことを知ってるのに驚いたんだけどどういうことよ(笑)実は先週ちょうど二回見に行ったんですよ、あの映画! 日本でも話題になってるのかな? 
結論から言うと恐るべきインパクトの作品でした。そのうちこれもレビュー書くねー
Posted by やもり - 2008.11.17,Mon 17:36:43 / Edit
東京国際映画祭には来たらしい
↑ハンガー。
観に行きゃ良かった…
有名ではないかもしれませんが
「ただもんじゃない映画である」
という風評はひしひし来てますね。
レビュー楽しみにしてます!

しかしニューヨークのツインタワービルの間で綱渡りをしたフランス人の映画を
イギリス監督が映画に撮ったって
何かすごいですね。
さらにその映画の感想を日本人が書けるわけだから、ネットワークとグローバリゼーションの現代社会も捨てたもんじゃないかもしれませんぜ。綱渡りはできずとも。
Posted by dogra - 2008.11.18,Tue 09:39:44 / Edit
こりゃ一本とられた
いわれてみれば確かにそうだった。しかもイギリスに住んでる人間が(その大多数は地球の反対側にいるはずの)日本語が読める人に向けて書いてるレビューだもんなあ。ある意味わたしの視点や価値観そのものがグローバリゼーションの産物にほかならん気もするぜ。
Posted by やもり - 2008.11.20,Thu 00:03:32 / Edit
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