本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
Posted by まめやもり - mameyamori - 2006.06.22,Thu
『それから』読了。
(これまでの『それから』日記はコチラとコチラ)
後半の怒濤のような展開に引き込まれるというか、むしろ呆気にとられながら一気に読み通す。いや少し急すぎる気がしたよ。
「漱石ってこういう文章書く人だったんだあ・・・」という感慨はありながらも、それでも前半はまだわたしが漱石の文章としてイメージしていたものと大きく異なってはいなかった。主人公を含めた登場人物のすべてから、そして主人公をとりまく社会状況や情景のすべてから一定の距離を取り、それらをほのかな滑稽さと情緒を込めて描く厭世的な文章(このイメージはもっぱらわたしが「文鳥」とか『三四郎』から得たものなのだろうな。『こころ』も劇的ではあったけれど、どこか対象との距離感が強くあった気がするんだよなあ(気だけ?))。それが先日書いた三千代とのエピソード以降、破滅感を濃厚に漂わせたドラマティカリーにロマンチックな展開と描写に。代助が平岡に「酷い酷い」と詰め寄る場面では呆然としましたよ。いつのまにここまで来たんだ代助!
全体的な感想としては、漱石さんちょっとずるいとか、ラストをああいうふうに切るのはなかなか凄いなあとか、ちとロマンス感が強すぎて困惑するとか、色々あるのだけども、まとまってからまた(廃墟感漂う)ブクログにでも書こうかと思う。とりあえず今日は、些細ではあるけれども印象に残った点を。
感心した点は、そのラブロマンス突っ切った展開においても、文章に粘っこい「ベタベタさ」を感じないところ。たとえば、後半のひとつの山であろう、三千代と代助の対談。二人が「覚悟」に突入する場面です。正直言って、こういうシーンを至極真面目に、ユーモアや皮肉をまったく挟まずに、かつ強い緊張感を漂わせながら描きうるということにわたしは感心した。だってこういう場面って当事者があまりに真剣で心千切れんばかりで、そして時として自分自身にぶくぶく酔ってしまっていながら、傍からすればそれがまったくもって滑稽にしか映らないという、そういうものではありませんか。いやわたしはそれが恋愛というものに根本的につきまとう哀しさだと思っていたんだ。
しかしこの場面。やっぱりこそばゆくはあるし、復讐という言葉を用いることで「今更」な告白をする罪悪感を示してみせようとする代助のずるさはまあ置いておくとして、三千代の言葉や仕草がやたらに、こう、鮮烈だ。
三千代は猶泣いた。代助に返事をするどころではなかった。袂からハンケチを出して顔へ当てた。(中略)代助は椅子を三千代の方へ摺り寄せた。「承知してくださるでしょう」と耳の傍で云った。三千代は、まだ顔を蔽っていた。しゃくり上げながら、
「余りだわ」と云う声がハンケチの中で聞こえた。
この「あんまりだわ」という台詞がとても良いのです。(なんて主観的) こういう場面すら見事に描いてみせるというのは、まずもって著者の美学の産物なのだろうと思う。過剰に芝居がかった「酔い」が、おそらく意識的にそぎ落とされているからなのだろうな。
でもやっぱりなんか漱石ずるいんだよなあ。作品としてとても好きって言えないんだよなあ。まあそのへんはまた今度。
ところでこんなものを読み始めてしまいました
The Da Vinci Code
おお!友よ。ポピュラリズムに堕したわたしを、蔑すんでおくれ!罵しっておくれ。
昨日、The Da Vinci Codeと『それから』と、もう一冊人類学の本を1時間おきくらいにかわりばんこに読んでいたわたしは自分で自分のことをつくづくアホだと思った。(なんでこんなことしてんだ)いや、でもダヴィンチコードなかなか興味深いですよ。こう、いやなんつか色々な意味で。
(これまでの『それから』日記はコチラとコチラ)
後半の怒濤のような展開に引き込まれるというか、むしろ呆気にとられながら一気に読み通す。いや少し急すぎる気がしたよ。
「漱石ってこういう文章書く人だったんだあ・・・」という感慨はありながらも、それでも前半はまだわたしが漱石の文章としてイメージしていたものと大きく異なってはいなかった。主人公を含めた登場人物のすべてから、そして主人公をとりまく社会状況や情景のすべてから一定の距離を取り、それらをほのかな滑稽さと情緒を込めて描く厭世的な文章(このイメージはもっぱらわたしが「文鳥」とか『三四郎』から得たものなのだろうな。『こころ』も劇的ではあったけれど、どこか対象との距離感が強くあった気がするんだよなあ(気だけ?))。それが先日書いた三千代とのエピソード以降、破滅感を濃厚に漂わせたドラマティカリーにロマンチックな展開と描写に。代助が平岡に「酷い酷い」と詰め寄る場面では呆然としましたよ。いつのまにここまで来たんだ代助!
全体的な感想としては、漱石さんちょっとずるいとか、ラストをああいうふうに切るのはなかなか凄いなあとか、ちとロマンス感が強すぎて困惑するとか、色々あるのだけども、まとまってからまた(廃墟感漂う)ブクログにでも書こうかと思う。とりあえず今日は、些細ではあるけれども印象に残った点を。
感心した点は、そのラブロマンス突っ切った展開においても、文章に粘っこい「ベタベタさ」を感じないところ。たとえば、後半のひとつの山であろう、三千代と代助の対談。二人が「覚悟」に突入する場面です。正直言って、こういうシーンを至極真面目に、ユーモアや皮肉をまったく挟まずに、かつ強い緊張感を漂わせながら描きうるということにわたしは感心した。だってこういう場面って当事者があまりに真剣で心千切れんばかりで、そして時として自分自身にぶくぶく酔ってしまっていながら、傍からすればそれがまったくもって滑稽にしか映らないという、そういうものではありませんか。いやわたしはそれが恋愛というものに根本的につきまとう哀しさだと思っていたんだ。
しかしこの場面。やっぱりこそばゆくはあるし、復讐という言葉を用いることで「今更」な告白をする罪悪感を示してみせようとする代助のずるさはまあ置いておくとして、三千代の言葉や仕草がやたらに、こう、鮮烈だ。
三千代は猶泣いた。代助に返事をするどころではなかった。袂からハンケチを出して顔へ当てた。(中略)代助は椅子を三千代の方へ摺り寄せた。「承知してくださるでしょう」と耳の傍で云った。三千代は、まだ顔を蔽っていた。しゃくり上げながら、
「余りだわ」と云う声がハンケチの中で聞こえた。
この「あんまりだわ」という台詞がとても良いのです。(なんて主観的) こういう場面すら見事に描いてみせるというのは、まずもって著者の美学の産物なのだろうと思う。過剰に芝居がかった「酔い」が、おそらく意識的にそぎ落とされているからなのだろうな。
でもやっぱりなんか漱石ずるいんだよなあ。作品としてとても好きって言えないんだよなあ。まあそのへんはまた今度。
ところでこんなものを読み始めてしまいました
おお!友よ。ポピュラリズムに堕したわたしを、蔑すんでおくれ!罵しっておくれ。
昨日、The Da Vinci Codeと『それから』と、もう一冊人類学の本を1時間おきくらいにかわりばんこに読んでいたわたしは自分で自分のことをつくづくアホだと思った。(なんでこんなことしてんだ)いや、でもダヴィンチコードなかなか興味深いですよ。こう、いやなんつか色々な意味で。
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怠け者のちいさなやもりですが色々ぶつぶつ言うのは好きなようです。
時折超つたない英語を喋りますが修行中なのでどうかお許しください。
A tiny lazy gecko (=yamori) always mumbling something
Please excuse my poor English -- I am still under training
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