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本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
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Posted by まめやもり - mameyamori - 2009.08.02,Sun
はてなの人気記事にあった

「女の体で笑うということ」

わたしは普段ブログまわりということをほぼしないので、人気ブログもまったく知らないのだけれど、これはfont-daさんという人のブログらしい。けっこうおもしろかったので、これを読んで思ったことなど。

女は女であるがゆえに、喜劇役者として絶対に演じられないものがあるというのは、わたしも昔から思ってきたことだった。ある種のぶっ飛んだ「おかしさ」のなかには、男性にしか許されていないものがある。それは、歴史的に作られてきた「女であること」の社会定義と、そのある種の「おかしさ」の性質が、根本的に矛盾するからである。「女」の存在を感じさせるものがその笑いの中に少しでも混じると、「おかしさ」の質が変化してしまうのだ。

もちろん、女が女であるがゆえに演じることのできる「おかしさ」だって、もちろんある。だが演じられる「笑い」の領域が、絶対的に、男と女ではズレている(重なってもいるが)。




で、この点とは関係ないんだけど、もうひとつ興味深かったのが、ココナッツと能動性・受動性のくだり。長くなるけれども、わたしが連想的に思いついたことも含めて、書き出してみよう。

ネット上で、懐かしいような文章を書いている人がいた。ヲタケンさんといい、ニコニコ動画で活動している人らしい。全裸になって、笑いをとり、人気を集めている。彼は、ニコニコ動画の生放送で、女性が性的なポーズをとって注目を集めていることに対し、次のように書く。


こう書いて、font-daさんが引用しているのはヲタケンさんの以下の文。

そういった点において女性の身体という武器をつかって視聴者を勝ち取るやり方は卑怯ではあり、糾弾くらいはできようが締め出すことはできないと思う。なぜならニコニコ動画はもはやDMMチャンネルとの連携が示すように性的要素を併せ持つ動画サイトになったからだ。オレがどんなに裸で笑いを引き出そうとしても、見た目のいいオンナが裸になればいくらでも精液が引き出せる。運営サイドにとって笑いと精液とどちらがカネになるかといえば厳密にいえば精液だと思うが、ガキのザーメンと一緒に金は流れてこない。だからニコニコ動画はエロコンテンツをいくらつけようとも儲からない。オレはそう思う。あと匿名で意思表示ができるコメントがある限り2ちゃんねるの呪縛からは逃れられない。これを乗り越えて一般層の支持を得るにはどうすればいいのか。オレは自分の事業でこれを打破することを考える。

 別にフェミニズムを敵に回すわけでもないし、オレは女は大好きだが、いつだって争いを起こす原因は女からだ。女が何の気なしにとった行動ひとつで世界が揺れたことも歴史が変わったこともある。オスにとってメスは宝物だ。大事な宝物をめぐってオスは争う。それだけなら理屈はこんなにも簡単なのに、厄介なことにそのメスというのは自我をもってやがる。自らの意思をもち、そして行動する。それが周りのオスを狂わせる。無人島に仲良いオスが2人漂着したとしよう。持ち物は2人合わせてココナッツ1つ。分け合っておいしくたべようと思いきやそのココナッツがオトコAに「あたしAにしか食べられたくないの」とかのたまいやがる。Bは面白くないけど仕方が無いから魚を取りに行く。また別のとき、共同で家を作ろうとする。するとココナッツがまたクチを開く。「ねぇ、アタシの殻をむいて!もっと殻むいて! Bと家を作るよりアタシの手入れをして!」こうしてAとBの仲に亀裂が入る。大事なもの2つに挟まれて擦り減る神経、そんな状態おかまいなしにと迫る現実。言動の端をつまみとって本来10ある事実のうち3しか見ずに他人の領域に踏み込むずうずうしさ。黙して嵐が過ぎるのを待つべし。どうせそのうち晴れる。件の嵐ももう去りかけだ。人の噂も見事75日。

 ニコニコ生放送も女が性という武器を振りかざして乱入してからずいぶんと様変わりした。出会い系になったとかのスレもたった。ガキがちちくりあって子作りしてガイアとアゲハになるのは勝手にやってればいい。文化の衰退、人間関係の崩壊に女の存在は欠かせない。そう思いながら明日はDreamy Delirium当日。今回は脱がないことにするよ!あぁ会社帰りだから着替えが無いんだとかそういう裏話はどうでもいい。打ち上げはうまいビールが飲みたい。ザンギがあればもっといい。
引用もとはこちら


このヲタケンさんの文、ぱっと見は、「女は悪魔だ!男を性の快楽の罪に誘惑する悪魔の手先だ!」とかいう西洋中世キリスト教な価値観とほぼおんなしというか(いやよく知らんけど)、歴史のなかで無数にくりかえされてきたレトリックであって、さして取り上げる必要もないように見える。だけども、この部分に対してfont-daさんが以下のように書いていて、わたしはちょっとおもしろいなと思ったのだ。

ここにある「精液を引き出す」という表現は、何を指すのだろうか。フェミニズム的にいえば、女性の身体を見て欲情し、自慰により精液を噴出させるのは、男性自身の主体的行為である。しかし、彼はそれを「精液を引き出す」という女性の能動態で書く。このとき射精は、女性の積極的な働きにより、(なかば無理やりに)導き出されているのだ。男性は、女性に欲情するのではなく、欲情させられる。この被害者としての位置取りが、文章全体のトーンを作っている。


たしかに、引用文が「受動的な被害者の男」という立ち居地で書かれているのは、興味深い。なぜなら能動性をもたない「犠牲者」「被害者」として自分を描き出すことは、一種のリスクをともなうからだ。端的に言うと、「自分で行動する能力がない」という批判を引き出しかねない。そしてこれは、これまで支配的だった価値観からしてみれば、女よりも男にとって、より避けたい批判だったはずである。マスキュリニティと能動性、フェミニティと受動性は、歴史的に見ても結びつきの強い組み合わせだからだ。だとすれば、自分のマスキュリニティを危険にさらしてさえ、こうした「被害者としての男」という自己表象の戦略をとるのはどうしてなのか、という疑問が起こる。

結論から言えば、わたしはこのココナツのたとえ話に、「性が自分の(男の)ものでなくなることの自覚と恐怖」を感じ取ったのだ。直感的な印象として、そう感じた。んで、なんでだろうと考えてみた。


よく考えてみると、性と能動性と男女の問題は、きわめて複雑にできあがっている。伝統的な価値観においては、「性的なもの」とは「女」のことだった。女という「存在論的に性と結びついた存在」が現れることによって、「性の問題」が男の世界に現出するのである。男という概念は男として単独で存在しえるが、女という概念は男との関係性のなかでしか存在しえない。乱暴に言い換えると、主人公は主人公として物語の中で単一で存在しうるが、「主人公の想い人」は、主人公がいなければ存在しえない。これと同じ理屈である。

口をすっぱくしていっておくが、ここでわたしが述べているのは個人としての男とか女ではない。個人としての女が物語の主人公になれるとか、なれないとか、そういうことでは全くない。歴史的に、男という概念、女という概念が、上のような構造にあった。それを言っているにすぎない。

んでもって、さして詳しく知っているわけでもないんだけれど、中世ヨーロッパのキリスト教の世界でも、性の問題は「女の誘惑」(厳密に言えば、子どもなどの「男になりきっていない者」による誘惑も含む)としてとらえられてきた、はずだ。女の誘惑に負けて性におぼれることは罪であり、女はその罪をそそのかす悪魔だった。そう書くと、上のたとえ話のなかの、ワガママを言って男同士のハーモニーを崩し、トラブルを起こす「ココナッツ」とおんなじもののように見える。だが、ここで気をつけておきたいのは、女の言葉にしたがって性のトラブルを起こすのは、まず男にとって、「自己をもたない情けなさ」であり、「堕落」であり、悪魔の手に落ちることだった。ようは、それは男の弱さであって、正々堂々といばって言えるようなことではなかったのだ。


このココナッツの話は、何千年もの歴史のなかで何度も言われてきたこととまったく同じレトリックを繰り返しているように見える。だが、実のところ大きなちがいがある。上に述べた西洋中世キリスト教社会では、女に欲情して射精しちまったからと言って、「おれは被害者だ!」なんぞと女にクレームをつけることは、できなかっただろう。せいぜい「おれはなんて弱い人間なんだ」と自虐的になるだけである。
なぜなら、女や性的な誘惑は「悪魔的なもの」であって、彼らが悪なのは当然であったからだ。それは変えることができないし、悪魔にむかって「おまえはひどいやつだ。加害者だ。責任をとれ」と言ってみたところで、無意味きわまりない。だとすれば、罪を負い、責任を負うべきは、「自我をもつはずの人間」である、当の男本人にほかならない。だから、「私は誘惑に負けて射精した」という声明は、罪の告白にはなっても、被害者としての異議申し立てにはなりえなかったのだ。

では、ココナッツの話に見られる現象とはなんなのか。なぜ、この人はあえて「受動的な被害者」として男を描き出そうとし、それが異議申し立てとして成り立つのか? それは端的に、女が「わけのわからん悪魔」あるいは「あっさり悪魔の手先になる、よくわからん弱いもの」ではなくなって、男と同じように罪を負い、責任を負うべき「人間」になったからである。ある意味では、女は人間として、男と同じ地平に立ったのだ。それによって、はじめて「女という集団」が「男という集団」に対する加害者として糾弾されうるようになったのである。

ただし、自分が被害を受けたと認識し主張することは、自分の力の弱さを認識し、暴露することでもある。ものごとを自分の意思のとおりに進められない、他人の意思のもとに置かれなければならないという、立場上の弱さを暴露することだ。だからこそ、わたしはココナツの話に恐怖の響きを感じとる。

たとえば西洋中世的な悪魔と性の価値観であれば、人間にとっての性の問題は、あくまで男のものだろう。女は性や誘惑と不可分に結びついた存在ではあるけれども、性的な関係をもつかどうか最終的に決めるのは、男であり、男の意志力である。ここで女は自分自身の「意思」をもたないから(悪魔の言いなりになっているにすぎない)、男が他人の「意思」によって無理やり射精させられることは、ない。だが、被害者・加害者の関係が成立する地平上に立つということは、男が女の意思によって、無理やり性的関係をもたされかねない位相に立つということである。性の決定権が、奪われるということだ。

ココナッツの話の「男=性の被害者」論に、漠然とした焦燥を感じるのは、こうした理由からなのではないか。女に「誘い受け」されることによって、男の意思ではなく女の意思によって(性的な)ものごとが進められることへの恐れ。


ひるがえって考えてみよう。女向けジャンル(小説・映画・漫画)は「女の主体性」への憧れを描きながら、同時に「でも攻めは男であってほしい」というズルい(かつヌルい)願望も再生産しつづけてきた。それによって生まれたのが「誘い受けする女」という表象であり、役割であり、キャラである。そういう意味では、ココナッツの話に見え隠れする恐怖からもうひとつ見えてくるものは、伝統的な女ジャンルの願望が現在の社会において(トラブルや恐怖をともないながら)成就されつつあるという兆しなのかもしれない。ウヘェ。


まあ、ヲタケンという人が言っている「ねぇほらあたしをみてもっとほめてもちあげてちやほやして」ていう丸見えの願望がうざいとか、特殊技能もないのに乳房とまんこついてるというだけの理由で(一時だけだろうが)人気をもってく同業者にはイライラするとかいう感情は、理解できないでもないんだけど。

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Comments
ん!
このエントリ見て何か思いついたので帰宅してからコメントします!(ふせんをはる)

************************

帰りました!

んで、思ったこと(というか感じたこと)なんですけど、個人的には誘惑するもの=悪魔的なもの、というと女性的というよりは両性的なものを思い浮かべます。手塚治虫が描いたメフィストフェレスのような、エドガーが「お気に召すまま」で扮したロザリンドのような。もっと言えば「どっちにでもなれるもの」。
でも考えてみれば、誘惑する側が女であり 男が常に誘惑される側であった時代――女が「人間」ですらなかった時代には、悪魔は女の姿さえしていれば良かったわけですよね。(同性愛という要素はこの際省くとして)
ということは、この両性的な悪魔のイメージ、私の持っている「どちらでもない」が故の悪魔的なビジョンは、ひょっとして「女性」という存在がある程度確立されてからのひな形なんでしょうか。


ところで、ちょうどこのエントリを読んでいたところで面白いやりとりをみました。それは某所の数字板―要するにBLを愛する人々の集う板でかわされていたものなのですが、ちょっと中身を変えて引用しますね。わかりやすいように。


519 :風と木の名無しさん
>>460
つまり●●が攻め、■■が受けで自分の体を■■に見立てて
●●がこうすると■■は感じてって風に■■に成り切ってオナニーするんだよね?
それが腐でしょ?

521 :風と木の名無しさん
>>519
待てwwwwwwwww腐女子が全員、受に自己投影してると思うなよwwwww
自分は■■受だけど、●●になりたいと思うし、勿論それで妄想してるw
あぁ自分にティリンコがあればなぁ的なwww

522 :風と木の名無しさん:
自分も受けになりたいと思ったことない。
スケベなオヤジ目線で受けを見てるもん。

523 :風と木の名無しさん:
ドSプレイで■■を鳴かせたい。

524 :風と木の名無しさん:
神視点で二人のがっちゅんをじっくり見たい。
そんな腐もいます。

**************

こういう身も蓋も無い下品さは割と好きです。わかりやすいし。
さて、彼女たちの会話ですが、非常に「両性的」ではないでしょうか?
ある人は受の視点で攻様に愛され、またある人は受の髪をひっ掴んで後背位でガツガツ掘って、これまたある人はそれを上空から眺めつつ甘露を飲むと。
まあ倒錯的とも言うかもしれないが…

それが良いか悪いかはともかくとして、私はこの方向の「やおい萌え」という文化は、間違いなく女性が近代になってようやく得た権利の一つであると思うんですよねえ。女性が持つ事を許された性欲の一つの形ではないかと…
ベッドシーンに女性がいるだけで、ある意味それは「男性向け」になってしまう。彼女たちはそこから逃げ出して、新たな土地を開拓しようとしたのではないかしら。
まあ、だからって声高に主張されても困るし、やおいエロ本が文化的だとは微塵も思わないのだが…
エントリ元のfont-daさんが仰っていた「私はもう、マイノリティとして生きたくない。抑圧されたくない。自由でいたい。私は誰を誘惑することもなく、私のためだけのおまんこを持ちたい。」
という言葉とやおい文化にどこか通じるものを感じたのでした。「こうあるべき」というひな形からの脱却。(もちろんfont-daさんが腐女子とかいうことを言ってるんじゃあないんですけど)


って書いてるうちにとんでもない脱線を起こしたような気がするが、女って生き物は平気で男を誘惑しておきながら、その傍らで完全に男からの視点を排除したBLごっこで快楽にふけったりもするのだから大したもんです。
(なかなかその両方を両立させているつわものはおりませんが…)
というか実際のところ、このエントリを読んで言いたかったのは
最近のニコニコ動画はギスギスしてるんだなあ。ということです。
動画上げる人が他人の動画を見て
「あいつはおっぱいとまんこで俺の客を取ってる」なんて考えてるとは思いもしませんでした。意識が高いんだなあ。(意識の高い人は他人の芸に文句などつけんもんだが)

じゃああんたもちんこ出せばいーじゃん。って誰か言ってあげたらいーのに。あ、出してんのか。すでに。
Posted by しる - 2009.08.03,Mon 14:19:13 / Edit
無題
> ベッドシーンに女性がいるだけで、ある意味それは
> 「男性向け」になってしまう。彼女たちはそこから
> 逃げ出して、新たな土地を開拓しようとしたのでは
> ないかしら。

ここについては完全に同意。というか、腐女子文化について私があまりにも無知であることを踏まえての発言であるけれど(だから我ながらうさんくさいと思うのだが)、わたしにとって「やおい」って、女が「見られる客体」から「見る主体」へと転換しようとした性文化に見える。性的なもの(美青年たち)を観察し、視姦し、欲情する主体。

あなたが言うように、男と女のベッドシーンというものは、両性にひらかれているように見えて実は根本的に男向けだと思うのね。より正確に言えば、女を見るためのものというか。カメラはいつでも女に向いてるし。本文中で言っている「伝統的な女向けジャンル」っていうのは、男の女に対する視姦的視線を女が自分の中に内面化したもんのような気がするのよね。見られる自分に欲情する系の。欲情される自分に欲情する系の。

以前も言った気がするけど、そういう意味で、男と女のベッドシーン(かつ女が中心的に描かれているシーン)を描いて女の欲情を誘うレディースコミックは、歪んだ鏡の中の自分に欲情する系の、かなり複雑に入り組んで何度も反射に反射をくりかえした欲情経路の気がするんだ。だからそういう意味で、ダイレクトに「こっちが見てやる!欲情してやる!視姦してやる!」なヤオイのほうが、ある意味では「健全」(ストレート)なんじゃないかと思うのよね。
両性的っていうのに関しては、そうだねえーレディースコミックもやおいも、それぞれ別な意味で両性的なのかもしれない。

んでもって、このへんのは私の中では書く書く言ってた『隣の801ちゃん』批判へとつながってくるんだようー
つまり、えーとですね、徹底的に「見られる性」であることを否定したやおい文化から転じ、「見る性」としての自分を維持しつつ(自分のBL趣味は保ちつつ)伝統的な「見られる女」への妥協(つまりは外社会との妥協)をはかったのが「隣の801ちゃん」系の昨今の流れだと私は思っているわけだが。そんでもって、ある種のズルさというか、世渡りのうまさというか、純朴でルサンチマンに満ちた古いタイプの腐女子の裏をかいた狡猾さというか、そんなもんを感じて批判レビューでも書いてやろうと思っていたわけなのだが……うん……まだ……書いてないんだ……

つーか最近は、その「かたいっぽで誘惑しときながら裏では徹底的に相手を視姦してる」ようなタイプのほうが、可能性があるっつーか良い意味で現代的というか、ポジティブな生き方として評価できる気がしてきて さらに考えがまとまんなくなってます

Posted by yamori - 2009.08.05,Wed 09:05:08 / Edit
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