本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
Posted by まめやもり - mameyamori - 2009.09.09,Wed
とある日本のネット相談コーナーの質疑応答スレッドが面白そうだったので、ニヤニヤしながら見始めたが、そのうち見ていて非常に不快な気持ちになる。
まあ内容は、「自分のつきあっている人が研究職志望なのだけれども、結婚して大丈夫ですか」みたいなものだ。不快になったのは主として、それに対する答えのなかに、やたら偉そうなものが見られたため。「こんな状況がありますよ」とかって格差社会論の本を提供したりするならまだしも、その相手の人格や将来性について断言する口調のものに、非常に苛立った。
まあそりゃ、若手の研究者の未来がないということはよくわかる。私だってそれを実感として知っている。イギリスだってひどいが、日本はさらにひどい。とくに付き合う相手とか結婚相手として見たときに、不安があるというのは十分理解するし、それについては合理的な判断をしたほうがいいと思う。未来がはっきりしないのに結婚しちゃって、かつ自分が勤めをやめてしまうなどしたら、いざというときに養えなくなって大変になるのは相手の研究者のほうだし。
ただし、あの「私は有名大学常勤研究者の妻です。だから私は内情を知っています。だから私はその人の将来性について判断できます。ちなみに私の夫は大変優秀で、将来に不安はなく、頭がよいけれど私にはやさしく、完璧です」みたいな態度をとる人、どうにかならんもんなのかいな。こういう発言を見ると、発言の自信というか発言の権威っつうか、そういうものはどこから沸いてくるんだろうと心底不思議になるな。
以前、若い医師の知り合いがこぼしていたのを思い出す。その人の親戚の開業医の奥さんが、大学でこき使われている立場の、まだ駆け出しの医師であるその人に対し、とにもかくにも見下した態度をとるんだそうだ。その人(女性)は、「医者と結婚したら医者と同じだけえらくなると思う人がいるんだよねえ」と愚痴っていた。似たような感慨を今回わたしは抱いた、といったら、たくさんの敵を作るだろうか。
断っておくけれども、医師が偉いとは思わない。研究者が偉いとも思わない。彼らは概して「お勉強がおじょうず」だっただけで、受験勉強に勝ち残る技能など、本来ならば人間に必要とされるであろう多種多様な技能のうち、ごくわずかなものでしかない―最近までこの技能だけがずいぶん特権化されてきた事情こそあるけれども。
また、いわゆる「専業主婦の問題論」みたいなのにくみするつもりもない。「専業主婦」とカテゴライズされる人たちには、その人たちなりの大変さがあり、努力があり、彼女らは、彼女らだけが獲得しえた社会的な知識と技能と経験をもっている。彼女らのはたらきがなければ、これまでの日本社会は絶対的に回ってこなかったろう。わたしはフェミニストとしては落ちこぼれだけれども、彼女らを「優雅なご身分」呼ばわりして社会集団として批判するのはばかげていると思うし、そんなことはしたくないし、できることなら社会的な共闘体勢を組んでいきたい。
それでも、わたしが敬意をもつ彼女たちの経験と技能と知識は、「わたしの夫は社会的に偉い人です。だからわたしには発言権があります」というような態度では断じてない。それは単なるミドルクラス・ハイクラス意識の丸出しにすぎない(すなわち、アッパー・ミドルとの婚姻によって、自分自身の職業・経験がどうあれ、自動的に階級のはしごを上れる=自分も社会的に「エラい」人になる、という信念だ)。そしてまた、そうした態度に見られるのは、格差社会構造の絶対的肯定でしかない。
つーかねーこういうネット相談みたいな発言の責任を問われない場においては、いつだってみんな「同性の見方をする」傾向にあるんだけど、そのとき「男が男の肩を持つ」やりかたと、「女が女の肩をもつ」やりかたには、一般的にみて興味深い差があるよな。えてして男性は「女すべての性悪説」をとる傾向にある。これは基本的に、男のための大衆言説やフィクションが、「女のいない世界」をひとつの理想としてきたこととも呼応する。ホモソーシャルなフィクション世界では、お色気サービスをおこない、場の雰囲気をやわらげる女、すなわちある種の「なぐさめとしての性的サービスを役割とする女」もよく登場したけれど、同時に「男だけのピュアなロマン主義」をまちがいなくひとつの理想世界として描いてきたのだ。この傾向のなか、現実に失恋した誰かを慰めるときなんかも、男は「女という存在は信用できない」という言説価値の上にたって、「女なんてそんなもんだよ。早くあきらめなよ」的な対応をするんじゃないかと思うんだ。
いっぽうで女性はといえば、あくまで同性の肩をもち、相手の異性を批判することについては同じなんだけど、そのときに「ちなみに私の伴侶はそういう男ではない。だからあなたの相手はダメ男。あきらめて別なのを探せ」的な態度をとりがちだと思いませんか。これは女の大衆言説やフィクションが、結局「男のいない世界」をパワフルなジャンルとして生み出しえてこなかったことと呼応しているんだと思う。そういうものを生み出そうとした人はつねにいたけれど、なぜだか多くの女性の支持をえるにはいたらなかった。そうした背景のなか、女は「男すべての性悪説」をとらない。むしろ、「世の中にはいい男と悪い男がおり、いい男を探し出すことこそが理想である」的な価値観を土台にしてものをしゃべる。女の世界には強固な対幻想が見られて、やっぱり「ベストなつがいさえ見つければ幸せになる」的な発想があると思うのだよね。その発想をおしすすめると、現社会状況内で結婚というかたちでそれを実現しようとする人にたいしては、「わたしはいい男を見つけた成功者としてアドバイスする。あんたの今の男はダメだ。これからがんばれ」的な発言になるのかね。
そんなわけで、うっぷんをこんなところに吐き出したのち、博士論文の修正作業に戻る。こんな質疑応答コーナーを見てないで、はやくやるべきことをやれ! というのが、結論。(ダメダメ)
まあ内容は、「自分のつきあっている人が研究職志望なのだけれども、結婚して大丈夫ですか」みたいなものだ。不快になったのは主として、それに対する答えのなかに、やたら偉そうなものが見られたため。「こんな状況がありますよ」とかって格差社会論の本を提供したりするならまだしも、その相手の人格や将来性について断言する口調のものに、非常に苛立った。
まあそりゃ、若手の研究者の未来がないということはよくわかる。私だってそれを実感として知っている。イギリスだってひどいが、日本はさらにひどい。とくに付き合う相手とか結婚相手として見たときに、不安があるというのは十分理解するし、それについては合理的な判断をしたほうがいいと思う。未来がはっきりしないのに結婚しちゃって、かつ自分が勤めをやめてしまうなどしたら、いざというときに養えなくなって大変になるのは相手の研究者のほうだし。
ただし、あの「私は有名大学常勤研究者の妻です。だから私は内情を知っています。だから私はその人の将来性について判断できます。ちなみに私の夫は大変優秀で、将来に不安はなく、頭がよいけれど私にはやさしく、完璧です」みたいな態度をとる人、どうにかならんもんなのかいな。こういう発言を見ると、発言の自信というか発言の権威っつうか、そういうものはどこから沸いてくるんだろうと心底不思議になるな。
以前、若い医師の知り合いがこぼしていたのを思い出す。その人の親戚の開業医の奥さんが、大学でこき使われている立場の、まだ駆け出しの医師であるその人に対し、とにもかくにも見下した態度をとるんだそうだ。その人(女性)は、「医者と結婚したら医者と同じだけえらくなると思う人がいるんだよねえ」と愚痴っていた。似たような感慨を今回わたしは抱いた、といったら、たくさんの敵を作るだろうか。
断っておくけれども、医師が偉いとは思わない。研究者が偉いとも思わない。彼らは概して「お勉強がおじょうず」だっただけで、受験勉強に勝ち残る技能など、本来ならば人間に必要とされるであろう多種多様な技能のうち、ごくわずかなものでしかない―最近までこの技能だけがずいぶん特権化されてきた事情こそあるけれども。
また、いわゆる「専業主婦の問題論」みたいなのにくみするつもりもない。「専業主婦」とカテゴライズされる人たちには、その人たちなりの大変さがあり、努力があり、彼女らは、彼女らだけが獲得しえた社会的な知識と技能と経験をもっている。彼女らのはたらきがなければ、これまでの日本社会は絶対的に回ってこなかったろう。わたしはフェミニストとしては落ちこぼれだけれども、彼女らを「優雅なご身分」呼ばわりして社会集団として批判するのはばかげていると思うし、そんなことはしたくないし、できることなら社会的な共闘体勢を組んでいきたい。
それでも、わたしが敬意をもつ彼女たちの経験と技能と知識は、「わたしの夫は社会的に偉い人です。だからわたしには発言権があります」というような態度では断じてない。それは単なるミドルクラス・ハイクラス意識の丸出しにすぎない(すなわち、アッパー・ミドルとの婚姻によって、自分自身の職業・経験がどうあれ、自動的に階級のはしごを上れる=自分も社会的に「エラい」人になる、という信念だ)。そしてまた、そうした態度に見られるのは、格差社会構造の絶対的肯定でしかない。
つーかねーこういうネット相談みたいな発言の責任を問われない場においては、いつだってみんな「同性の見方をする」傾向にあるんだけど、そのとき「男が男の肩を持つ」やりかたと、「女が女の肩をもつ」やりかたには、一般的にみて興味深い差があるよな。えてして男性は「女すべての性悪説」をとる傾向にある。これは基本的に、男のための大衆言説やフィクションが、「女のいない世界」をひとつの理想としてきたこととも呼応する。ホモソーシャルなフィクション世界では、お色気サービスをおこない、場の雰囲気をやわらげる女、すなわちある種の「なぐさめとしての性的サービスを役割とする女」もよく登場したけれど、同時に「男だけのピュアなロマン主義」をまちがいなくひとつの理想世界として描いてきたのだ。この傾向のなか、現実に失恋した誰かを慰めるときなんかも、男は「女という存在は信用できない」という言説価値の上にたって、「女なんてそんなもんだよ。早くあきらめなよ」的な対応をするんじゃないかと思うんだ。
いっぽうで女性はといえば、あくまで同性の肩をもち、相手の異性を批判することについては同じなんだけど、そのときに「ちなみに私の伴侶はそういう男ではない。だからあなたの相手はダメ男。あきらめて別なのを探せ」的な態度をとりがちだと思いませんか。これは女の大衆言説やフィクションが、結局「男のいない世界」をパワフルなジャンルとして生み出しえてこなかったことと呼応しているんだと思う。そういうものを生み出そうとした人はつねにいたけれど、なぜだか多くの女性の支持をえるにはいたらなかった。そうした背景のなか、女は「男すべての性悪説」をとらない。むしろ、「世の中にはいい男と悪い男がおり、いい男を探し出すことこそが理想である」的な価値観を土台にしてものをしゃべる。女の世界には強固な対幻想が見られて、やっぱり「ベストなつがいさえ見つければ幸せになる」的な発想があると思うのだよね。その発想をおしすすめると、現社会状況内で結婚というかたちでそれを実現しようとする人にたいしては、「わたしはいい男を見つけた成功者としてアドバイスする。あんたの今の男はダメだ。これからがんばれ」的な発言になるのかね。
そんなわけで、うっぷんをこんなところに吐き出したのち、博士論文の修正作業に戻る。こんな質疑応答コーナーを見てないで、はやくやるべきことをやれ! というのが、結論。(ダメダメ)
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時折超つたない英語を喋りますが修行中なのでどうかお許しください。
A tiny lazy gecko (=yamori) always mumbling something
Please excuse my poor English -- I am still under training
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