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本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
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Posted by - 2024.11.22,Fri
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Posted by まめやもり - mameyamori - 2008.04.03,Thu
ちょうど日本に帰っているのでこっちで見に行けるかなーとか思っていたんだけど、こりゃひどいことになったもんだ。

以前、知人と「日本社会の権力のありかたはとりわけ『自己規律』と『監視の内面化』っていう理論にはまっちゃうんじゃないかねえ」とか話していたんだけど、まさにその例を見た?という気がする。恐怖と過剰な自己規制。まあ念頭にあったのは例のごとくフーコーの権力の話なわけで、わたしはフーコーの専門家でも何でもないのですごく表面的な理解ではあるんだけど、そんなアマチュア的で単純化された、専門家なら怒り出しそうなエセ「フーコー権力論」がまさにピタァと当てはまってしまうような感じ。
まあでも考えてみれば、たぶん、フーコーがヨーロッパ社会を題材にして論じた自己規律と権力の働きの構造はもっと複雑で、安易に非難できない「道徳」や「人のありかた」と密接に結びついたものだったのだろうなあ。民主主義とか個人主義とかいうもののイメージの総体が、良い意味でも悪い意味でも日本とヨーロッパとで(いやUKしか知らないけど)非常に違うから、漠然とそう予想するわけだけど。
その点、今回の「自己規制」は、「表現の自由が許された健全な社会」という、近代主義の権化みたいな社会像から鑑みても、あからさまに「そりゃまずいでしょ」という話なわけで…… 脅迫的暴力への恐怖のなかで振る舞い方を考えるってのは自己規制ではあるかもしれんが、みずからを道徳的に律するとかいう話じゃないからなあ。
でも考えてみれば、そういう「真正の」フーコー権力論があてはまる社会のほうが珍しいのかもね。なんだかんだ言って、個人個人が過度に自分を律したり規制したりしてるように見える(公による/よらない)管理社会ってのは、じつのところ暴力や社会的失脚に対する恐怖で支配された社会でした、という例を、ここ2年ほどにいくつも学んだ気もしないでもない。(東欧とかも一部はそうだしなあ・・・)

話を戻します。いや、シネマ側のリスクが高いってのは分かります。だから腐ってるのがシネマなんだって言うつもりはない。でも、社会全体が腐ってない場合には、こんなことが起きるはずがないんだ。
んで、たぶん高圧的にふるまった人たちも、ここまで社会がぐずぐずだとは思ってなかったんじゃないかなあ。で、大事になって焦っているって感じだろうか。いずれにせよ世も末感をひしひしと感じた一連の出来事です。というか「世も末だ」って言ってるだけじゃ駄目だね。これは本気で。自分も腐った社会を構成しているひとりなわけだし。部分的には。

USAとかUKを含め、海外では公開されることにまちがいはないから、たぶんUKで見ることになるなあ、と思う。そしてそれは、すごく悲しいことだと思う。
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