本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.07.15,Sun
数ヶ月前に、戦前・戦中期の日本アニメ二本が見られるリンクを紹介しましたが(→★)、そのうち一本の感想をまだ書いていなかった。ということで、
『くもとちゅうりっぷ』(1943)。全16分。
第二次大戦中の作品ですねえ。ちなみにリンクはYoutubeの動画ページに直接つながってます。音が出るので注意!
こちらは『その時歴史が動いた』でも紹介されたことがあるみたいです。「戦火の中でアニメが生まれた」とかいう特集。平成12年6月の放映だとか。ていうか平成12年って何年前?なんつーか政治スタンスがどうこう言う前に、元号、いちいち調べるの面倒・・・
さて、この『くもとちゅうりっぷ』は前回紹介した『動絵狐狸達引』とは異なり、明確なストーリーラインのある作品である。ある昼間の野に遊ぶ一匹の「てんとうむし」の少女。可愛らしいその姿を見つめる「くも」男は、あわよくば少女を捕らえて食ってやろうと企む———「遊びましょう、遊びましょう、てんとうむしのお嬢さん」。しかし、てんとうむしは居合わせた「ちゅうりっぷ」の中に隠れて、くもの手から逃れようとする。くもは執拗にてんとうむしを追うが、おりしも天を覆う黒雲、轟風と豪雨がくもとちゅうりっぷを襲う。嵐が去り、夜が明けたのちに・・・というお話。原作の童話があるようです。
最初に書いておきますが、技術水準は高いなあと思いました。1943年の時点からこんなに綺麗なアニメが作られていたんだなあと。
そうして、第一印象はディズニーと似てるなあということ。小動物の造型だとか、クラシック風のBGMにあわせたキャラの音楽的な動きとか、『ファンタジア』と雰囲気が濃厚にかぶってました。とくに、『ファンタジア』のなかの、「田園交響曲」(ベートーヴェンの同交響曲にあわせてサテュロスだのディオニュソスだのギリシャ神話のキャラクターが舞い踊る)と、「時の踊り」(ワニとカバとゾウのバレエ)とかすごい似てた。また、晴れた昼→嵐の夜→すがすがしい朝、というように天候と時間の変化のなかに物語の起承転結の地盤を置き、地に生きる者の命運をそのなかに描いていく手法とかも、すごい『ファンタジア』に似てる。
まあ、『ファンタジア』の封切りは1940年、『くもとちゅうりっぷ』は1943年なので、制作者が前者をずいぶん参考にしてるのかもしれませんねえ。これは必ずしも悪い意味で言っているんじゃないです。ディズニーがいかに色々問題を抱えた会社だとしても、『ファンタジア』は傑作だし、それを思わせる内容を作れるというだけで凄いと思う。なにしろ、資金も道具も限られていた戦中だし。
しかしながら、戦時中に作られたものというのは、映像作品も文学も童話も、そりゃもうアグレッシブな戦争色から自由にはなりがたい。大戦まっただなかの時代につくられたこのアニメも、やはり当時のえぐい時代性を感じさせるものがあります。
まず、誰もが気づくことだろうと思うし、事実ウィキペディアの当該項目にも述べられているのが、「主人公」と「敵」のあまりにもワカリヤスイ造型。ぶっちゃけて言ってしまえば、主人公の「てんとうむし」は日本風の顔立ちをした愛らしい女の子で、あきらかに人間的な体型をしている(虫のくせに)。それを食べようとする「くも」は、声からして中年男、黒い肌に茶色い帽子、八本の脚をもった怪物然とした姿で(愛嬌はあるが)、そうしてその顔つきはあからさまにアフリカ系の人間、すなわち「黒人」の典型的なデフォルメとなっている。
そうして「くも」は「てんとうむし」を騙して捕まえようとしているわけだけど、その「遊びましょう、遊びましょう」っていう声とか、表情とか、性的な含意があまりに濃厚だと思うのはわたしだけではないだろう。
つまりここで描かれているのは、罪深い「黒人」男が、かよわく愛らしい「日本人」の少女を甘い言葉でかどわかそうとしているお話なわけです。エッグ。なにがエグいって、「黒人」のステレオタイプをそういう風に使いつつ、「敵はこんな顔をして、わたしたちの愛らしい幼い娘を襲おうとしているのです」というメッセージを入れてくること。
いや、実をいうと制作者はそこまでの意識はなかったかもという気もするのです。手塚治虫が初期の作品でああいうふうに「アフリカの原始人」のイメージを使ったのは、それが内包する意味や現実社会とのつながりに気づかないままに、アメリカ合州国でよく使われていたキャラ造型を取り入れただけだと思うし、それは手塚治虫がすごい偏見に満ちた人間だったということを意味しない。そうしてこのアニメでも似たようなものだったのかもしれない。制作者は単純にクモとてんとう虫のお話を作ったつもりだったのかもしれない。
だけども、問題なのは制作者の意図がどうだった、こうだったという話ではない。「そう読めてしまう」ということが重要なのです。そうして、そう読まれておかしくない時代風潮が当時あったはずだということ。さらに、そういうイメージが「子ども向けアニメ」を通じて広がっていくのだということ。そういう意味ではかなりエグい。超EGG。
まあ、戦中のプロパガンダ映画ってのはどれもこれもエグいし、性的含意についても、「敵の男にわれわれの貞潔な娘や妻が奪われる/穢される/犯される」という隠喩は、多くの国で頻繁に用いられてきたイメージではあります。そういう意味ではすごく典型的でもあると思う。
しかしまあ、この作品は表向き、子ども向けの無邪気な童話風を装ってるので、そのエグさがきわだつわけです。ほんと、見かけのラブリー路線のくせに・・・。
まあ、わたしは詳しい検討をした本を読んではいないんだけど、ディズニーキャラの造型も人種のステレオタイプをバリバリに再生産しているようなので、無邪気な童話を装った作品というのには気をつけねばならんということですな。全く。
ウィキペディアでは、「くも」が(おそらく第二次大戦中の)欧米などの外敵の隠喩と読める、と書いてあって、それは当時の日本の社会的文脈ではそうなんだろうと思います。「黒人」が邪悪な敵国である欧米全体の象徴。
だけどもそれに加えて興味深いのが、ここで用いられている黒人のステレオタイプイメージは、欧米社会の中でも十分に機能しえただろうということ。クモに狙われるこのてんとう虫をいかにも白人ぽい女の子に置き換えて、そういうアニメがかつてのUSAで作られていたとしても、全然不思議じゃない。つまりは、欧米社会で長年を通じて作り上げられてきた、人種主義的で、差別的でもあるステレオタイプを、欧米を敵国と見なしていた日本がそっくりそのまま取り込み、そんでもって「白人」の位置を「日本人」と取っ替えて似たようなメッセージを持たせている。それがこのアニメなんだなあと。わたしがもっともエグいと思ったのは、そこです。
ちなみに、Youtubeのコメントは、このエグさに対する指摘で溢れている。単純に「すごい!綺麗!」と褒め称えているのももちろんあるが、たとえば、
「技術的にすごいのは認めるけど、黒人のあまりにも醜いステレオタイプが、なんでここで使われなきゃならなかったんだ?黒人は日本に住んですらいなかったのに!なぜ知りもしない人間に対して、ここまでネガティブなイメージを持てたんだ?」
「しかしUSAの文脈でしか機能しないようなステレオタイプを、この監督はよくわきまえていたもんだよ。驚きだ」
・・・等々。USAのような場所に住む人の多くが、このアニメを見て即座にそこにある人種主義的なネガティブなイメージ操作を読み取るのだということがうかがえて、興味深い。
しかしここのコメント見てると気分鬱になるわ・・・。
ところで、戦中プロパガンダがどうやって「敵」を邪悪に描いてきたか、つうイメージ戦略を論じた有名な本をここで紹介しようと思ったんだけど、例によってAmazonには画像がないのね。どうしてわたしが紹介しようと思う本にかぎって画像がないのだ、アマゾンは?
(リンクは紀伊国屋の当該書籍のページへ。ちなみに画像もそのページから借りました。)
ちなみに2006年7・8月号の岩波の『文学』に、このアニメにかんする論考があるみたい。題して「戦中漫画映画におけるウツの用法--蠱惑する『くもとちゅうりっぷ』」。ちょっと気になる。
『くもとちゅうりっぷ』(1943)。全16分。
第二次大戦中の作品ですねえ。ちなみにリンクはYoutubeの動画ページに直接つながってます。音が出るので注意!
こちらは『その時歴史が動いた』でも紹介されたことがあるみたいです。「戦火の中でアニメが生まれた」とかいう特集。平成12年6月の放映だとか。ていうか平成12年って何年前?なんつーか政治スタンスがどうこう言う前に、元号、いちいち調べるの面倒・・・
さて、この『くもとちゅうりっぷ』は前回紹介した『動絵狐狸達引』とは異なり、明確なストーリーラインのある作品である。ある昼間の野に遊ぶ一匹の「てんとうむし」の少女。可愛らしいその姿を見つめる「くも」男は、あわよくば少女を捕らえて食ってやろうと企む———「遊びましょう、遊びましょう、てんとうむしのお嬢さん」。しかし、てんとうむしは居合わせた「ちゅうりっぷ」の中に隠れて、くもの手から逃れようとする。くもは執拗にてんとうむしを追うが、おりしも天を覆う黒雲、轟風と豪雨がくもとちゅうりっぷを襲う。嵐が去り、夜が明けたのちに・・・というお話。原作の童話があるようです。
最初に書いておきますが、技術水準は高いなあと思いました。1943年の時点からこんなに綺麗なアニメが作られていたんだなあと。
そうして、第一印象はディズニーと似てるなあということ。小動物の造型だとか、クラシック風のBGMにあわせたキャラの音楽的な動きとか、『ファンタジア』と雰囲気が濃厚にかぶってました。とくに、『ファンタジア』のなかの、「田園交響曲」(ベートーヴェンの同交響曲にあわせてサテュロスだのディオニュソスだのギリシャ神話のキャラクターが舞い踊る)と、「時の踊り」(ワニとカバとゾウのバレエ)とかすごい似てた。また、晴れた昼→嵐の夜→すがすがしい朝、というように天候と時間の変化のなかに物語の起承転結の地盤を置き、地に生きる者の命運をそのなかに描いていく手法とかも、すごい『ファンタジア』に似てる。
まあ、『ファンタジア』の封切りは1940年、『くもとちゅうりっぷ』は1943年なので、制作者が前者をずいぶん参考にしてるのかもしれませんねえ。これは必ずしも悪い意味で言っているんじゃないです。ディズニーがいかに色々問題を抱えた会社だとしても、『ファンタジア』は傑作だし、それを思わせる内容を作れるというだけで凄いと思う。なにしろ、資金も道具も限られていた戦中だし。
しかしながら、戦時中に作られたものというのは、映像作品も文学も童話も、そりゃもうアグレッシブな戦争色から自由にはなりがたい。大戦まっただなかの時代につくられたこのアニメも、やはり当時のえぐい時代性を感じさせるものがあります。
まず、誰もが気づくことだろうと思うし、事実ウィキペディアの当該項目にも述べられているのが、「主人公」と「敵」のあまりにもワカリヤスイ造型。ぶっちゃけて言ってしまえば、主人公の「てんとうむし」は日本風の顔立ちをした愛らしい女の子で、あきらかに人間的な体型をしている(虫のくせに)。それを食べようとする「くも」は、声からして中年男、黒い肌に茶色い帽子、八本の脚をもった怪物然とした姿で(愛嬌はあるが)、そうしてその顔つきはあからさまにアフリカ系の人間、すなわち「黒人」の典型的なデフォルメとなっている。
そうして「くも」は「てんとうむし」を騙して捕まえようとしているわけだけど、その「遊びましょう、遊びましょう」っていう声とか、表情とか、性的な含意があまりに濃厚だと思うのはわたしだけではないだろう。
つまりここで描かれているのは、罪深い「黒人」男が、かよわく愛らしい「日本人」の少女を甘い言葉でかどわかそうとしているお話なわけです。エッグ。なにがエグいって、「黒人」のステレオタイプをそういう風に使いつつ、「敵はこんな顔をして、わたしたちの愛らしい幼い娘を襲おうとしているのです」というメッセージを入れてくること。
いや、実をいうと制作者はそこまでの意識はなかったかもという気もするのです。手塚治虫が初期の作品でああいうふうに「アフリカの原始人」のイメージを使ったのは、それが内包する意味や現実社会とのつながりに気づかないままに、アメリカ合州国でよく使われていたキャラ造型を取り入れただけだと思うし、それは手塚治虫がすごい偏見に満ちた人間だったということを意味しない。そうしてこのアニメでも似たようなものだったのかもしれない。制作者は単純にクモとてんとう虫のお話を作ったつもりだったのかもしれない。
だけども、問題なのは制作者の意図がどうだった、こうだったという話ではない。「そう読めてしまう」ということが重要なのです。そうして、そう読まれておかしくない時代風潮が当時あったはずだということ。さらに、そういうイメージが「子ども向けアニメ」を通じて広がっていくのだということ。そういう意味ではかなりエグい。超EGG。
まあ、戦中のプロパガンダ映画ってのはどれもこれもエグいし、性的含意についても、「敵の男にわれわれの貞潔な娘や妻が奪われる/穢される/犯される」という隠喩は、多くの国で頻繁に用いられてきたイメージではあります。そういう意味ではすごく典型的でもあると思う。
しかしまあ、この作品は表向き、子ども向けの無邪気な童話風を装ってるので、そのエグさがきわだつわけです。ほんと、見かけのラブリー路線のくせに・・・。
まあ、わたしは詳しい検討をした本を読んではいないんだけど、ディズニーキャラの造型も人種のステレオタイプをバリバリに再生産しているようなので、無邪気な童話を装った作品というのには気をつけねばならんということですな。全く。
ウィキペディアでは、「くも」が(おそらく第二次大戦中の)欧米などの外敵の隠喩と読める、と書いてあって、それは当時の日本の社会的文脈ではそうなんだろうと思います。「黒人」が邪悪な敵国である欧米全体の象徴。
だけどもそれに加えて興味深いのが、ここで用いられている黒人のステレオタイプイメージは、欧米社会の中でも十分に機能しえただろうということ。クモに狙われるこのてんとう虫をいかにも白人ぽい女の子に置き換えて、そういうアニメがかつてのUSAで作られていたとしても、全然不思議じゃない。つまりは、欧米社会で長年を通じて作り上げられてきた、人種主義的で、差別的でもあるステレオタイプを、欧米を敵国と見なしていた日本がそっくりそのまま取り込み、そんでもって「白人」の位置を「日本人」と取っ替えて似たようなメッセージを持たせている。それがこのアニメなんだなあと。わたしがもっともエグいと思ったのは、そこです。
ちなみに、Youtubeのコメントは、このエグさに対する指摘で溢れている。単純に「すごい!綺麗!」と褒め称えているのももちろんあるが、たとえば、
「技術的にすごいのは認めるけど、黒人のあまりにも醜いステレオタイプが、なんでここで使われなきゃならなかったんだ?黒人は日本に住んですらいなかったのに!なぜ知りもしない人間に対して、ここまでネガティブなイメージを持てたんだ?」
「しかしUSAの文脈でしか機能しないようなステレオタイプを、この監督はよくわきまえていたもんだよ。驚きだ」
・・・等々。USAのような場所に住む人の多くが、このアニメを見て即座にそこにある人種主義的なネガティブなイメージ操作を読み取るのだということがうかがえて、興味深い。
しかしここのコメント見てると気分鬱になるわ・・・。
ところで、戦中プロパガンダがどうやって「敵」を邪悪に描いてきたか、つうイメージ戦略を論じた有名な本をここで紹介しようと思ったんだけど、例によってAmazonには画像がないのね。どうしてわたしが紹介しようと思う本にかぎって画像がないのだ、アマゾンは?
(リンクは紀伊国屋の当該書籍のページへ。ちなみに画像もそのページから借りました。)
ちなみに2006年7・8月号の岩波の『文学』に、このアニメにかんする論考があるみたい。題して「戦中漫画映画におけるウツの用法--蠱惑する『くもとちゅうりっぷ』」。ちょっと気になる。
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Comments
どぐらとやもりっぷ
ごぶさたです!
昭和12年は1937年です。
昭和の年号は25を足すと西暦になりますです!
以上、どぐらの豆知識でありました。
家帰ったらくもとちゅうりっぷを見るぜ。へっへ。
(会社からコメントすんじゃないよ)
昭和12年は1937年です。
昭和の年号は25を足すと西暦になりますです!
以上、どぐらの豆知識でありました。
家帰ったらくもとちゅうりっぷを見るぜ。へっへ。
(会社からコメントすんじゃないよ)
”ぷ”ってのが、こりゃまた
会社からかよ!(笑った)
ちなみに上で書いたのは平成12年。(笑)
だけど昭和豆知識、便利だわ。25年か・・・意外とわかりやすいのね・・・・サンクス!
くもとちゅうりっぷ、見てー。けっこえぐいぜ。えぐいけど綺麗なんだ。つかクモが容赦なくひどい人。
ちなみに上で書いたのは平成12年。(笑)
だけど昭和豆知識、便利だわ。25年か・・・意外とわかりやすいのね・・・・サンクス!
くもとちゅうりっぷ、見てー。けっこえぐいぜ。えぐいけど綺麗なんだ。つかクモが容赦なくひどい人。
見つつ。
いかにちゃんと文章読んでないかってことですね。やはり職場で読むもんじゃありません。仕事が無いとはいえ。(ろくでもねー)
平成12年は7年前ですな!多分今年19年だから。平成の年号を算出する方法が無いんですなあ今んとこ・・・1900年代と2000年代に被ってるから。めんどくさい!
黒人の描き方には年代が出るなあと思うんですよね。描写に限って言うと、手塚治虫より石森章太郎のが前時代的かなあ。ほんと古い黒人像って、唇が分厚くて丸い目をしていて 何つーか人間としてのフォルムさえ手放した感がありますな。この蜘蛛もそれですね。
平成12年は7年前ですな!多分今年19年だから。平成の年号を算出する方法が無いんですなあ今んとこ・・・1900年代と2000年代に被ってるから。めんどくさい!
黒人の描き方には年代が出るなあと思うんですよね。描写に限って言うと、手塚治虫より石森章太郎のが前時代的かなあ。ほんと古い黒人像って、唇が分厚くて丸い目をしていて 何つーか人間としてのフォルムさえ手放した感がありますな。この蜘蛛もそれですね。
平成めんどい!
そういえば石ノ森章太郎の漫画って実はあんまり読んだことなかった。『チックンタックン』(学研小学生)とか?サイボーグ009もちらっとしか見たことないんだ。でも面白いんだろうなあ。
時代が出るってのはほんとにそうね。まあ手塚さんに関して言えば、知らないのに敵役として登場させたっつうよりは「知らないから」何の気なくアメリカっぽいのを真似ちゃったのかなあ、とは確かに思う。
たぶん黒人キャラは誰が描いてもいつでも見た目一緒だったってのが問題なのかな。しかし手塚さんの場合はキャラいつでも顔いっしょだしなあ(笑)ランプとかロックとか。しかしこのアニメだと日本人女子のお決まりの造型も笑える。自己イメージこんなんかい・・・
時代が出るってのはほんとにそうね。まあ手塚さんに関して言えば、知らないのに敵役として登場させたっつうよりは「知らないから」何の気なくアメリカっぽいのを真似ちゃったのかなあ、とは確かに思う。
たぶん黒人キャラは誰が描いてもいつでも見た目一緒だったってのが問題なのかな。しかし手塚さんの場合はキャラいつでも顔いっしょだしなあ(笑)ランプとかロックとか。しかしこのアニメだと日本人女子のお決まりの造型も笑える。自己イメージこんなんかい・・・
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まめやもり - mameyamori
怠け者のちいさなやもりですが色々ぶつぶつ言うのは好きなようです。
時折超つたない英語を喋りますが修行中なのでどうかお許しください。
A tiny lazy gecko (=yamori) always mumbling something
Please excuse my poor English -- I am still under training
時折超つたない英語を喋りますが修行中なのでどうかお許しください。
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