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本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
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Posted by - 2024.05.06,Mon
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Posted by まめやもり - mameyamori - 2008.11.29,Sat
 少し前のBBCウェブサイトのトップで、2007年にグラスゴー空港に炎上した車がつっこんだ事件について、容疑者のひとりであるNHSの医師をめぐるニュースが流れていた。(NHSはイギリスの医療保険システム。)ヨルダンで医師免許をとり、イギリスの病院で働き始めて数年になるというこの医師は、主犯格のひとりと疑われる人物(こちらもNHSの医師、イラク出身)に、金銭的援助とアドバイスを行った罪で問われ、裁判が進行中。

(BBCの報道原文に興味のある方はこちら)
 http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/7741884.stm
 http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/7733157.stm
 
 この医師の友人とされる主犯格の人物のほうは、昨年7月にじっさいにジープに乗って空港に突っ込んだ二人のうち一人である(もう一人はのちに全身火傷のため死亡)。こちらは報道によればすでに半分容疑を認めている。半分というのは、「人を殺す目的ではなく、建物で火事を起こして脅かす事が目的だった」と言っているため。
 問題となっているのはもう一人である。彼は事件の現場にいたわけではなく、容疑も否認している。彼は自分が働くNHSの医療システムをすばらしいものだといい、「イギリスという国を愛している」と言った。弁護人は、彼は職場でも有能な医師としてよく慕われていると言う。けれども彼は確かに主犯格の人物の友人で、過去に食事などをたびたびともにしていたという。すなわちグレーゾーンなのだ。もしかしたら本当に彼は主犯格の人物に金を貸していたのかもしれない。だがそれが爆弾事件への援助であったのか、たんにたまたま現金の持ち合わせがないと言っている友人への親切心からの金貸しであったのかなど、どうやって判断がつくだろうか。
 ある人がある特定の地域や国からやってきていて、その地域には特定の「政治過激派」と見られる集団がいたとしよう。そうして、その同じ地域出身の知り合いが――友人であれ親戚であれ――その武装集団の一員として容疑をかけられ、逮捕されたとしよう。だとしたら、その逮捕された人間と知り合いであり、友人であり、親戚であるかぎりにおいて、もう彼・彼女のあらゆる行動は「テロの支援」として糾弾されかねない。そしてその場合、無罪を証明するのはかなり難しいのではないか。なぜなら、「この人が爆弾事件を起こすなんて知らなかった。それを知っていてこの人にお金を貸したんじゃないんです。この人を家に泊めたんじゃないんです」と言ったところで、「知らなかった」という証拠はなにひとつ、あろうはずがないからである。

 このニュースが妙に気になったのは、そのさらに数日前にジム・シェリダンの『父の祈りを』(英題in the Name of the Father、1993年)をDVDで見ていて、その内容が今回の報道と重なって見えたからである。そうして、イギリスは20世紀の後半から現在にいたるまで、ずうっと「テロとの戦い」をやりつづけてきたのだということを、あらためて実感した。1998年の和平合意で北アイルランド紛争が一定の解決を見た3年後、2001年9月にニューヨークで世界貿易センターが攻撃されて世界情勢が一変し、2003年にはイラク戦争が始まった。20世紀から21世紀の変わり目をちょうど転換期に、イギリスはひとつの「テロとの戦い」を終えるやいなや、新しい別の「対テロ戦争」に踏み出したわけだ。そこで大きく変わったのは「市民の安全を脅かすテロリスト集団」とされる対象であり、「潜在的テロリスト」として名指される人々である。前者はIRAから「イスラム過激派」に変わり、後者は「北アイルランドなまりで話す人間」から「中東かパキスタン出身と思われる人間」に変わった。「対テロ対策」のこまかな戦略も、それがわれわれ自身の生活に及ぼす影響も変わっているだろう。だが大枠にはどれだけの違いがあるのだろう?






『父の祈りを』は1974年にロンドンで起きたIRAによるパブ爆破(5名が死亡)の実行犯の罪に問われ、無罪でありながら15年を服役したジェリー・コンロンの自伝をもとにした映画である。数ある北アイルランド関係の映画の中では有名なもののひとつで、先日DVDを借りて視聴してみた。
 ギルドフォード・パブ事件として知られる(らしい、わたしはこの作品を見るまで知らなかったが)この事件は「英国司法史上に残る汚点」とされるのだそうだ。それだけに、映画の内容は白黒はっきりした内容になっており、加害者被害者の構造を良くも悪くも「わかりやすく」描いていた。これについては批判もあろうが、いずれにせよ全般的な演技のレベルは高く、とくに主役のダニエル・デイ・リュイスが印象に残った。作品としては1994年のベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞しているようだ(アカデミー賞にもノミネートされたが『シンドラーのリスト』が受賞)。


 物語は1974年のベルファストから始まる。貧しいカトリック居住区に生まれ育ち、職にもつかず、ちんけな盗みを繰り返しては父親を落胆させている若者ジェリー。そのうち彼は地域一帯の「法」であるIRAに目をつけられ、ロンドンに逃れる事になる。行った先のロンドンでもその日ぐらしをしていたジェリーとその友人ポールは、ある日IRAによるパブ爆破事件の犯人として捕らえられる。おりしもIRAのイギリス本土での活動活発化にともない、新しい対テロ法が施行された直後のことだった。対テロ法にのっとって何日間も抑留されたジェリーとポールは、拷問じみた尋問に耐えきれず、とうとう自白書にサインをしてしまう。そんな嘘の自白だけで自分たちが有罪になるわけはないと思っていたのだ。しかし事態は甘くはなかった。ジェリーとポールの友人二人に加え、ジェリーの叔母一家、そして弁護士をさがしにロンドンにやってきていたジェリーの父親までもが、爆破事件に関わった容疑で丸ごと抑留され、さらには全員が有罪を言い渡されてしまう。物語はジェリーらの無罪判決を求めた長い長い闘いを、彼と父親ジュゼッペとの父子の確執を絡めながら描いていく。





 正直言うと映画の前半は、めまぐるしく展開する各画面のつながりが、どことなくぎこちなかった気がする。だが中盤から後半にいたっては緊張感のある運びで、物語に引き込まれた。慕っていた人間の死を悼み、囚人たちが各々の部屋の窓から火をつけた紙束を夜の中に放り投げ、その何十もの明かりが殺風景な監獄の煉瓦を背景にゆらゆらと落ちていくシーンも美しかった。
 また先にも書いたがダニエル・デイ・リュイスの熱演が光る。いわれない罪を着せられた悔しさとあきらめと開き直り、そして途中で刑務所にやってくるIRAメンバーの行動力に惹き付けられていくさま、そして父親への鬱屈した思いや反感――要するに「父さんはいつだっておれのことを認めてくれやしないんだ」というあれである――これらが絡み合う複雑な心情が印象的に伝わってきた。
 
 ただしこの映画にはそれなりの批判も向けられている。どうやら実際のギルドフォード事件の事実経過をかなり脚色しているらしい。たとえば、映画ではジェリーと父ジュゼッペは同じ刑務所に収監されたことになっている。しかし素人のわたしですら、「父と息子を同じ刑務所の同じ部屋に入れるなんてありえるのか?」と疑問に思った。案の定、これは演出上の脚色だったようだ。実際にはジェリー・コンロンとその父が同じ刑務所に入った事はないという。そのあたりで映画のリアリティが多少削がれていることは否めない。けれども息子と父との関係はこの映画の本筋なので、父親を別な刑務所に入れてしまっては物語が成り立たなくなってしまっただろう。難しいところである。

 DVDの最後にあった監督ジム・シェリダンの述懐によれば、彼はこの映画を通じて「アイルランドのよき父」を描こうとしたのだという。曰く、アイルランドの文芸には「よい父」というものがめったに出てこない、というのである。たしかにアイルランドを舞台にした小説や映画における父親像はたいてい酒飲みで、仕事がなく、臆病で、人生に負けた人間として描かれている気がする。そしてシェリダンはそれへの対抗イメージを、たくましく、強く、自信に満ちた父としては描かなかった。かわりに、病弱で、貧しく、男性として息子に嘲られながらも、何があろうと暴力にはくみしないという信念をつらぬき、また誰に対しても(相手が看守であろうとも)とにかく誠実でありつづける人として描いた。それを通じて、「脆弱でありながらも内なる善をもちつづける父」というものを描きたかったのだという。
 信心深く、まじめで、刑務所のしきたりは破らない「模範囚」でありつづけ、同時にその誠実さから看守とさえも人間らしいふれあいを持ってしまうジュゼッペの人間像には批判もあるかもしれない。やってもいない人殺しの汚名をかぶせられたジェリーが、一方的に押し付けられる刑務所のしきたりになぜ従わねばならないのかという怒りのなか、看守たちを攪乱しようとするIRAメンバーに惹かれていくのは自然に映る。(しかしこの映画においてIRAは結局のところ凶悪な怪物として描かれていている。それがシェリダンの姿勢なのだろう。)それでもジュゼッペのあたたかさは、人間の根底にある情と、その生にただよう哀れみを感じさせて、わたしは嫌いではなかった。貧しいながらも精一杯生きてきたのに、社会からは咎人扱いを受け、それでもその汚名が晴れることを信じて毎日毎日地道に無実を訴えつづけ、報われずに少しずつ弱っていく。どこか、ロシア文学における貧しき人々への視線に似たものがあるように感じた。

 先にも述べたように、この映画は善くも悪くも「白黒はっきりした」お話である。司法の権力濫用はこの上なく明白で、悪徳検事にジェリーと弁護士が立ち向かうという構図だ。脚色上なのか事実なのかは知らないが、検事とその取り巻き連中がやっていることは、じっさい逆に刑事告発されておかしくない。つまり「真実と正義truth and justice」というものの確かさを伝える映画となっているのだ。
 断っておくが、このjusticeという概念は日本で一般に考えられているほどバカにできるものではない。この概念は、日本語に直せば「正義」以外にも、「公平さ」「「公明正大であること」「報い」「処罰」などの多くの意味をもつ。したがってそれは、自称正義の味方が独断で悪者に鉄拳を下すような勘違いのことをさすものではないし、ジョージ・ブッシュが「悪の枢軸」に対置して武力侵攻を自己正当化したようなネオコン言説だけをさすものでもない。むしろ、強大な政治的・経済的な力が目に見えて「フェアでない」「不公正な」何かを行ったとき、つまり何か都合の悪いことを覆い隠し、隠蔽し、無理矢理沈黙させようとしたときに、それに対して異議をとなえるための概念でもあるのだ。
 国家権力が機能し、世界資本が拡大していくかたわらで、それらに否応なく付随するものとして起こった破壊行動や暴力が、国家と資本の利益やイメージ戦略のために隠蔽される——その「不正」への糾弾として「真実と正義」が叫ばれる。Justiceという語はそうした文脈で用いられてきた語なのだ(したがって、チリや南アフリカなど専制政治がかつて敷かれていた地域において、しばしば真実と正義の語のもとに和解がはかられるわけだ)。そして、それらの叫びに満ちたリアリティと苦痛と強烈な怒りの感情を眼前にしたとき、「この世にはいくつもの正義がありますから」などという相対主義の文言を抽象的に繰り返してみたところで、それはとうていお寒いものでしかありえない(と、わたしは思う)。

 けれどもそこから先をさらに突き詰めて考えた時、やはり「真実と正義」に限界があることは確かなのだ。この映画のように、わかりやすい隠蔽工作をした司法権力側を悪者にできる事例ばかりではないし、容疑者となったものの「潔白」とて多くの場合グレーなのではないか。真理と正義についての抽象的な理屈ではなくて、具体的な人間関係や人間の生き様を詳細に見ていったときに、そのグレーゾーンが浮き彫りになってくる。それは武力行動に参加した者との友人関係、家族関係かもしれないし、ずっと昔に一日だけ参加したデモでの乱闘かもしれない。そもそも紛争状況においては、「武力集団」(「過激派テロリスト」)と「一般人」の区別なんて曖昧なのだ。この灰色の領域は、もしかしたら白と黒の構図そのものズラしうる視点を提供してくれるのかもしれない。だがその広大な領域は司法権力でありと世論のイメージによって、白黒にはっきりと塗り分けられてしまうのである。

 グラスゴー空港事件で容疑者となった医師が、冤罪なのかどうなのか、わたしにはわからない。メディアの限られた情報からわかることなどたかが知れている。ただニュースから読み取れるのは、こうした「対テロ捜査」において多くの人が組み込まれるグレーゾーンの存在だ。『父の祈りを』というこの映画は、残念ながら、そのグレーゾーンのただ中に何が見えるのかを示しえた作品ではなかった。けれども「対テロ捜査」が産み出しうるもののおぞましさを存分に伝えるものとはなっていて、その意味で、漠然とした「テロ」イメージへの恐怖に満ち満ちた現在の世界では、一定の重要性をもつ作品ではあるかもしれない。



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・映画データベース「象のロケット」『父の祈りを






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Comments
これ見たいと思っ…
てたんだあああ(なんかいつもこういうこと言ってる気がする)
違法な形で尋問を行った警官の罪は未だ問われていない、どころか爆破事件の真犯人も判明しているのに起訴されていないというのもなんか凄いですね。
何というか、濃淡のグレーによって描かれた世界を上から白と黒に分けようとするっていうのは
「こうあって欲しいんだよ!」という製作者の祈りってことで良いんでしょうかね。
それとも「俺が暴いてやる!」って感じかな。あ、こっちっぽいな。

ところでこのジャケットの人が
ダニエル・デイ・ルイスだと聞いて驚きました。
プ、プレインビューさん…(ゼアウィルビーブラッドの主人公)
この人演技上手いっすよね!
あとお父さん役の人、ひょっとしてピート・ポスルスウェイト?
Posted by しる - 2008.11.29,Sat 20:21:42 / Edit
上手いねえ演技派俳優って感じだなあ。
映画サイト行ってみてみたけど、その人みたいですよー。<ピート
ゼアウィルビーブラッドではダニエルデイリュイス怪演って評判だったみたいですね。わたしは未見なんだけど、機会があったらDVDでも借りて見てみようかなーと思っています。

まあ本文ではああ書いたけど、この事件にかぎって言えば、じっさいに起こった事があまりに白黒はっきりしてたみたいだから、グレーを期待するのが筋違いなのかもしれないねー。
まあそれゆえにこそ、劇的な物語として映画の素材に取り上げられたのだろうしね。
Posted by やもり - 2008.11.30,Sun 12:50:02 / Edit
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