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本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
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Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.12.31,Mon



「秘儀荘」はポンペイの中心都から少し離れ、都の門を出て少し歩いたところにある。ヴェスヴィオ火山のふもとの斜面に寄り添うようにして建っている館だ。その近くには、都の門から走る道沿いに並ぶ「ネクロポリス」がある。このネクロポリス、意味は「死者の都」で、要は墓地。ただし、現代のお墓みたいにただ墓石とか十字架が立ち並んでいるだけではなく、意匠を尽くした巨大な祠や霊廟などが死者のために建てられている。そういえばエジンバラの丘の上に、18世紀・19世紀に死んだ有名人が埋葬されているお墓があって、それもまるで生者の街みたいに一人一人のための場所が壁と門で区画され、塔だのちっこいお家だのが死者のために建てられているんだけど、あれはこの古典方式のネクロポリスに習ったものなのかしら。
 なんでも、ポンペイにいくつかある主要な門から都の外へと向かうすべての道沿いに、この死者の都・ネクロポリスがこしらえられていたのだそうです。この、死者をあくまで都の外(だが忘れ去られるわけではない、訪れやすいような場所)に埋葬するという習慣は、伝染病の蔓延なんかを防ぐ機能を果たしていたんだと思うが、生者の領域を死者の領域が取り巻いている象徴性って、興味深いわあ。
 ちなみに、当時の埋葬方式は火葬だそうです。お墓のなかに入っているのは灰なわけだ。

 ポンペイという死の都のなかでもさらに死者のために作られた都という、入れ子構造みたいなシティ・オブ・ザ・デッド……おお……頭がくらくらするわ……などと思いつつ歩いていたら、目のはしをちっさい何かが横切った。こ、この動きは!このわたしが、この動きを見逃すと思うてか!



死者の都にも生者あり



 ポンペイとかげが二・三匹、霊廟の影でうろうろしてました。わたしたちが近づいていくとちょっと逃げて、それから石の影から顔だけ出して、こっちを覗いたりしてました。かわいいなあ……イギリスって、ほら、とかげいないから……久しぶりに会えて嬉しいよ。


 さて、そんな寄り道をしつつも「秘儀荘」に到着。ガイドブックによると、100を超す数の住居がそのあたりから発掘されているという。多くは当時農業に従事していた人々の家だが、同時に、裕福な人間が住んでいたとおぼしき大きく立派な建物もある。当時の上流階級にとって、街の中心から少し離れた景観と環境のよい場所に住居をもつのは、ファッショナブルなことであったという。「秘儀荘」はそうした館のひとつ。きわめて保存状態がよい建物で、入り口、玄関を抜けたポーチ、応接室など、それぞれを飾る装飾が良質な保存状態で残されている。庭に面する柱とかも、ほんときれいに残ってる。
 ローマの柱というと真っ白で無機質で、ただ上下にくるくるりと装飾がついているだけの気がするが、秘儀荘の柱は真っ赤っかだったり、真っ黄っきだったりする塗装がまだわずかに残ってる。真っ赤、真っ黄といっても、赤は独特のくすみのある朱色、黄色もやまぶき色みたいな色で、わりと渋いんですけどね。それでも原色嗜好には変わりない。

 まあ、われわれのイメージの「ギリシャローマ」がみなぞろ真っ白とか灰色とかなのは、そうしたイメージが近世以降になって作られたものだからで——ルネッサンス以降にギリシャローマを摸してつくられた建築装飾の様式がそのモデルにしたのが、そもそも長い時間のなかで完全に色の落ちた遺跡や発掘物にすぎず、それがのちの世にとって「古典時代風」のイメージになっちゃったという、そういう「ねじれたアンティーク趣味」の歴史的結果にすぎないのだろうという気はするが。

 いずれにせよ、それら保存状態のよいフレスコ画のなかでも、この「秘儀荘」の白眉かつ名称の由来ともなっているのが、トリクリニウムtriclinium(ダイニングルームのことらしい)の壁を飾る巨大な赤い絵。鮮やかな朱色をバックに、いく人もの裸体と着衣の女性が三方の壁を飾るこの絵、たしかに迫力満点である。ガイドによると、これは女性が結婚するときの通過儀礼の秘儀の様子をえがいたものであるらしい。なんか絵を見てると、服を脱いだり沐浴したり、ちょっと年上っぽい女の人に寄りかかって懺悔みたいのをしてる女の人がいるんだけど、当時の上流階級の女の人は、結婚するときにこんな儀式をしてたのかしら。ていうか、秘儀っていったい何が「秘密」だったんだろう……男には知られるべからずの儀式内容だったのだろうか。あ、でもそれだったらダイニングルームに堂々とその内容が描かれてるわけないか……。まあ、いずれにせよ秘儀荘じたいは、ポンペイ名物エロ画像を満載している館というわけではないようです。


 さすがに保存状態をキープするためか、フラッシュが禁止だったので、あんまりきれいに撮れてませんが、下がその「秘儀」のフレスコ画です。




 さて、変ちくりんな格好で踊ってるキューピーのフレスコ画とかを横目で眺めつつ、秘儀荘をあとにして都に戻る。途中、ぐるりと壁を迂回して丘に沿って道を下ったのですが、そのルート、かなりのオススメコース。とにかく景色が最高。
 遺跡の向こうに現在の人が暮らすポンペイの街の様子が見え、背後にヴェスヴィオ火山がその全貌を見せて佇んでいた。天気がよかったせいもあって、影と光のコントラストの古代遺跡、その向こうに太陽光を受けてきらきらと微細に光る現代の街、そうして雲一つなくぽかあんと開けた青空に稜線を描くヴェスヴィオ山と、それはそれは絶景。
 

 ふたたび門をくぐってポンペイに入ると、すでに午後の日差しも傾き始めている。一日中歩きっぱで、そろそろ疲れてきたなあ。だが、まだ遺跡全体の半分程度しか見ていない。たまに石畳につまづいたりしつつ、よろよろ歩く。だって一生に一回しか来られないかもしれないじゃないか!隣を歩く友人含め、「けっこう見たねー。疲れたねー。そろそろ帰ろっか」とかいう選択肢は脳裏によぎりすらしない。まあ、要は貧乏性なのである。


この石畳がまた超でかくてボコボコしてて歩きにくいんだ



 ポンペイの正面入り口近くの区域が、政治や経済や信仰などの中心で、広場だとかマーケットだとか各種の神殿が密集しているのに対し、円形闘技場と劇場にはさまれたあたりの地域は居住区エリアである。人々の住居がこれでもかこれでもかと立ち並んでいる。数百・数千単位で並んでいる住居は、門から中を覗けばどれもフレスコやモザイクできらびやかに彩られている。
 しっかし、ここまで来るとだいぶ二千年前の住居の「通」になってきた気がする。ポンペイ入って最初の頃は、見るもの見るものに対し「おおお……ここで古代人が食べ、眠り、笑いさんざめき……」とか、いちいち感動していたのだが、もうなんかどれも同じように見えるので、見所としてピックアップされてるものを淡々とこなす感じになっている。人間って勝手だわ。それでもなお、帰ろうという選択肢が思い浮かばない貧乏性。
 いや、楽しいんですよ!十分楽しいんですよ。ちょっと疲れてるけどさあ。


 このあたりはまだ発掘が途上のようで、通りの片側はまだ半分以上が土砂に覆われていたりする。ポンペイ全体では66ヘクタールの面積があるらしいのだが、現時点で発掘が終わっているのは45ヘクタール。つまり、あと20ヘクタール、三分の一近くが未発掘のまま土砂のなかに埋もれているのですね。すごいなあ。150年経って、まだ三分の二か……。ポンペイの灰に埋もれつつ一生を生きる考古学者とか、山のようにいたんだろうなあ。そして、これからも山のようにいるんだろうなあ。

 もうだいぶん日も傾いてきた。円形闘技場の外壁が長い影をつくる、その横を通り過ぎる。ローマにあるコロッセウムの縮小版だ。イタリアは初めての友人に、「コロッセウムもこのくらいの大きさ?」と聞かれて、「あーもうちょっと大きいくらいかもね」と答えたのだが、あとでローマに行ってみたら「もうちょっと」どころの騒ぎじゃなかった。規模ちがってた。まあ、ポンペイの闘技場もいいかげん大きいんだけど、コロッセウムが馬鹿でかすぎるんですな。


 一日歩きどうしの疲労がたまってガクガクしてきた足腰で、最後に見たのは娼館(Lupanare)。遺跡クローズの時間も迫り、係員さんが立ち入り禁止の鎖を閉めようとしてたところに、ぎりぎり団体さんがすべりこんだのに、混じって入り込んだ(笑)団体さんありがとう!

 このLupnare、ポンペイ名物エロ画像で有名な場所のひとつ。古代、ポンペイには高級役人・知識人用のやつから、もう少し一般市民用のやつまで、かなりの数の娼館があったそうだ。公開されているのは中でも保存状態のよいやつ。通常は商店の二階とかで買売春が行われていたのとは異なり、このLupanareは売春宿として特別に設計された数少ない建築らしい。二階建てで、一階と二階にはそれぞれ5つの部屋がある。ひとつひとつの部屋は四畳半程度の大きさで、なかには石の寝台がしつらえられている。しっかし痛そうなベッドだなこりゃ。
 天上近くの壁際には、一組の人間が戯れ合うフレスコ画がいくつも描かれていて、一説によると戸口の上に描かれたフレスコ画は、それぞれの部屋の娼婦の「得意領域」を示していたともいう。




 こうした娼館で働く女性たちは、通常は奴隷階級で、ギリシャや中東、その他の異国から連れてこられた人々だったという。値段はだいたい、ワイン2人分から8人分。歴史を通じて、こういう商売の搾取的なシステムというのは驚くほど変わっていない。

 一緒に入った団体さんはドイツ語圏の人々らしく、言ってることは聞き取れなかったが、ガイドさんの説明にかなり湧いていた。目玉の見所のひとつではありますわなあ。いずれにせよ、ぎりぎりでも入れることができてよかったです。


 娼館を出るとすっかり暗くなっている。広場や神殿の近くをよろよろと通り過ぎながら、一日たっぷり堪能したポンペイをあとにしました。うーん、面白かった。疲れたけど。いやでも面白かった。






 余談1。
 ポンペイ内には食事や飲み物を買えるところが一個しかありません。公衆浴場の隣の建物に入ってるレストランとカフェは、ナポリの物価とくらべるとかなり高い。あーナポリ市内でお弁当買ってくれば良かったな、しまったな、と思いつつ、われわれはパニーニ(一個4.5ユーロ)を買いました。
 が、意外や意外!これがすっごく美味しかった。正直言ってイタリアで食べたパニーニのなかで一番うまかったです。わたしのは生ハム、友達のはサラミ。こってりした薫製肉の塩気が、味のあるパニーニ生地によくマッチしてました。試してないけど、もしかしたらレストランも美味しいのかも。

 余談2。
 前回ポンペイ犬の話をしましたが、あの大型犬たち、ポンペイが閉まると同時に観光客にくっついてヴェスヴィオ周遊鉄道の駅までやってきました。全部で七・八頭はいます。いったいなんなんだ……?とくに甘える様子も媚びる様子も見せず、淡々とプラットフォームを歩き回っている。
 ところが!列車がやってきた瞬間、そのうちの一頭が線路に飛び込んだ!騒々しく響きわたる汽笛、驚く観光客たち、いっせいに吠え出す犬ども。
 あまりの事態にあんぐりと口をあけ、なすすべもなく見ていると、犬は間一髪で列車が到着する直前にプラットフォームの向こう側に上陸。他の犬どもは興奮したのか、列車の回りでヴァンヴァン吠えたてている。
 いったいなんだったんでしょう。なんかヤなもの見たなあ……。人間のガキがやっとる危険な遊びを犬が真似しだしたという話なんでしょうか。しっかし、血を見なくて済んでよかったよ、ほんと。


 以上、長々とポンペイ特集でした。次回はナポリ市内特集です。
 ほんと、いつ終わるんだこのイタリア旅行記。


<つづく>


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Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.12.21,Fri
なんか旅行記アップがいちじるしく遅れているので、とりあえず書いた分だけアップ。しかしポンペイがこれで三回にわかれてしまった。いつ終わるんだイタリア旅行記。








 さて、前回書いたような感じでふらふらと見どころエリアを歩いていると、観光客の団体さんがきまって足を止め、ガイドさんの説明を聞いている場所がある。団体にまみれると色々と見るのが大変なので(おしあいへしあいになる)できるだけズレたり避けるようにしていたのだが、ある場所があまりにも人気らしいので、ついて行ってみることにした。

 赤と黄色のフレスコ画が色鮮やかに残る壁と屋根の下に、ガラスケース。そのまわりに人だかりができており、ガイドさんが声を張り上げて英語で説明している。「この人は身長が当時のローマ人の身長より明らかに高い。おそらく北アフリカから連れてこられ、奴隷として使役されていた人だと思われます……」どうやら、ポンペイの都とともに灰の下に生き埋めになった(あるいは火山の有毒ガスで死亡した)人の死体から、型を取ってつくった石膏型らしい。よく見ると、足から骨が突き出ていたり、口の中に歯が見えたりしている。あまりにリアルなその様子にぽかんと口をあけて見入っていると、先ほどの団体さんが去ってまた次のが来た。今度は日本から来たご一行らしい。ガイドさんはイタリアの方と見えたが、非常に流暢な日本語で似たような説明をしている。「はい、この人は男性の奴隷ですね。はい、胴体のあたりをご覧くださいね、ベルトの跡があるのがおわかりでしょうか、はいそうなんですね、これが奴隷のしるしなわけで……」若い美人のガイドさんだったが、なんでか喋り方が異様にジジババくさい。





 ポンペイには、ヴェスヴィオ火山爆発とともに命を落とした人々の、こうした石膏型がいくつもあるのだが、これらはどうやら18世紀半ばに発掘が始まったときに作られたものであるらしい。灰が死体を取り込んで固まった跡、中の死体が腐って、硬い岩の型だけを残して空洞状になる。その空洞に発掘時に石膏を流し込んで固め、死体の型をとるという行程を通じてできたものらしい。しゃがみこんだ人、苦しんで胸をかきむしっている人にはじまり、体を歪めて断末魔の叫びをあげている犬など、人間はおろか動物の石膏型まであるのだ。しかし、前回紹介したモザイク画にもあったけど、犬ってのはほんとうに古くから飼われていたんだなあ。まあ2000年前だったら当然という感じなのだろうか。石器時代から飼ってたとかいうしね。

 ちなみにポンペイは現在も(生きた)犬だらけである。観光客から弁当のおこぼれなどをもらって暮らしているのか、あちこちにゴロゴロ伸びて日光浴をしている。非常にふてぶてしい。しかも大型犬ばかり。




ゴロゴロするポンペイ犬たち




 さて、また少し歩いて見所のひとつである公衆浴場にさしかかったところで、デジタルカメラが突然ピーと音を立てた。見ればメッセージが出ている。「電池が消耗しています。交換してください」
 やべ!替えの電池持ってこなかったよ!せっかく日本から来た友達に量販店で買いだめして貰ってきたのに!はるばる日本から持ってきてくれたのに全部ナポリのホテルに置いてきちまった……
 青ざめつつ電池売り場を探すが、どこにも見つからない。ポンペイ内で唯一のレストランには本屋が附属しているが、売っているのはどれもポンペイ本ばかり、「電池はありますか」と聞いても「無い。ポンペイの遺跡の中には電池は売っていない」との答え……
 意を決して、一度外に出て電池を買うことができるかどうか、確かめてみることにする。入り口ゲートまで戻り、改札をしていたゲートの兄ちゃんに、「電池が切れた。どうしても写真を撮りたい。すぐに戻ってくるから、もう一度入場料を払わずに入れてもらえないだろうか」の旨、哀れっぽくしつこく訴えかける(ちなみにわたしはイタリア語ができないので英語で。つくづく迷惑な客である)。兄ちゃんは肩をすくめて鼻をほじりつつ「仕方ないね。いいよ」の答え(じっさいは鼻ほじっていなかった気がするが、ほじっていても違和感ない感じの面倒くさげな様子だった)。やったやった!聞いてみるもんである。
 そそくさと遺跡を離れて、ヴェスヴィオ周遊鉄道ポンペイ駅のキヨスクで単三電池を買った。四本入りで4〜5ユーロほど。量販店に比べれば馬鹿高いが、まあイギリスで普通に買ってもこんなもんである。
 ついでに、チケット売り場でトイレにも入っておいた。なんと、ポンペイには遺跡の中にトイレが無いのだ。みなさん、見学を始める前にぜひトイレに入っておいてくださいね。しかし、まともに見れば軽く一日かかる規模の遺跡に、トイレが一個もないっていったいどういうことなんじゃ。

 一時はどうなることか、せっかく絶好の観光日よりに世界遺産に来ていて、これ以上写真なしかと思ったが、ともあれ無事に電池も手に入り、終わりよければすべてよし、気を取り直して見学を始める。公衆浴場を覗いた後、かつて工房だったというあたりをぶらぶらする。工房には壷だの花瓶だのが数百数千の規模で無造作にゴチャゴチャ所狭しと並んでいて、その一つ一つは貴重なローマ時代の遺品にちがいないのだろうが、どう見てもジャンクな失敗作を倉庫に詰め込んでいるようにしか見えない。



中にはこんな彫刻も転がっている



 古代ローマというと、きわめて写実的で、肉体美を極めた人物彫刻の絶頂期のような気がしていたが、上のようにプリミティブというか古代神話っぽい感じの彫刻も出土しているようだ。なんだか中世芸術っぽいなあ。こうして見ると、やっぱり中世って、ローマより以前に「返ちゃった」みたいな文化なのねえ。



死都の一角にいまだ残る古代の道路標識。
牛が可愛い。



 少し中心街エリアをうろうろした後、チタマに「やや離れた場所にあるが大変重要な見所スポット。見過ごすな!」と書いてあったとかいう「秘儀荘」に向かうことにする。秘儀荘って、なんだかミステリアスでセクシーな響き……もしかしてポンペイ名物の、あのエロチック画像とかがたくさん収められている館なのかしら……
などと、あまり純粋無垢でない期待を抱えつつ、秘儀荘に向かう道に足を踏み出すところで、本日はここまで。




Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.12.02,Sun



 子どものころ、家に「世界のふしぎ」を集めた本があった。

 フランスのとある村で幼い子どもたちが偶然発見したラスコーの古代壁画、海面下に沈んだ謎の超文明・ムー大陸の伝説、雪野原に残された異様な足跡を辿って未確認生物・雪男を探索する物語‥‥。当時ですら既に古ぼけて汚れ、赤布ばりの表紙の布がほつれて糸がぴょんぴょん飛び出ていたその本を、わたしは何度もくりかえし読んだ。子ども部屋を整理したくてたまらない母親が「この本捨てていいよね」と何度も聞いてくるたび、わたしはそのつど母親の手から本を取り返したものである。膝の上にふたたび本を開き、幼いわたしは世界にあふれる「ふしぎ」に心おどらせ、まだ見ぬはるかな地平に横たわる無数の古代の神秘を夢見たのであった。

 その本のなかにおさめられていたエピソードのひとつが、二千年の昔、火山の大爆発とともに一瞬にして灰のなかに消えた古代都市——ポンペイの物語であった。エピソードの最後には近代に入ってからの発掘の様子が記されており、まるでつい先程までそこに生活があったかのような状態で建物が発掘されたこと、また恐怖と苦痛にあえぐ人々の様子がそのまま発掘されたことなど、そうした記述をわたしのなかに深く刻み込んだのだった。




 以来、ポンペイはわたしの夢だったのだ。




 と言うとまるで誇張のようだし、じっさいものすごく誇張なのだが、しかし「イタリアにもし行くならばポンペイに‥‥」という思いがこれまで幾度も脳裏をよぎっていたのはまぎれもない事実である。(まあ、前回記したように一回目のイタリア旅行であっさり諦めているあたり思い入れの浅さがうかがわれるのだが、それはそれである)

 ちなみに今考えてみれば、くだんのその本、考古学的・歴史学的にふつーに大重要な発見や発掘(ラスコー、ポンペイ)と学研ムー的な超うさんくさいUFO・UMA・超古代文明系の記事(雪男やムー大陸等)とをまったく区別せずにゴッチャにして紹介しているあたり、「子ども向け教育書」としてあまりに非理想的である。母親がその本にうさんくさげな目を向けていたのは、おそらくその見た目の汚さだけが理由ではなかったろう。「いつか行くんだ!」がポンペイだったからまだよかったものの、かりに「おれ、大人になったら絶対ムー大陸に行くんだ!」「おれ、今度の仕事が終わったら絶対に雪男を捕まえるんだ!」になってしまったら、その子がのちの人生を踏み外していたことは言うまでもあるまい。(ある意味死亡フラグに限りなく近い)



 というわけで、2007年11月、かつて本ぐるいで夢見がちのオカルト少女だった一人の人間は、●●年の歳月を経てとうとう古代都市に辿りついたわけである。(ちなみにその●●年のあいだに少女の本ぐるいが文学・哲学方向に深まることはなく、たんに陳腐なホラー趣味とトンデモ趣味だけが残って大人になってしまったわけだが、それはまたそれである。)
 長すぎる前置きだったが、ここからが本題。今日のエントリはポンペイ見学日記です。




 トンデモ本で形成された童子の夢はもういいとして、ここで少し、まじめにポンペイについて説明しておきたい。ポンペイとはナポリ近郊にある古代ローマの遺跡である。ギリシャ・ローマ時代の古代遺跡はローマあるいはイタリア各地に多く見られるが、生きた人間が使用する近現代の建物と古代の半壊した建物が並んで立っているそれらの光景とは異なり、ポンペイの特徴は、一つの古代都市全体がそっくりそのままに遺跡として残されていることだ。
 紀元79年夏に突如として噴火したヴェスヴィオ火山は、当時ローマ帝国のリゾート都市であったポンペイを、たった一昼夜のあいだに完全に灰の底に沈めた。この噴火を運良く逃げ延びた当時17才の少年(小プリニウスと呼ばれ、ポンペイの名士の甥であった)が、のちにかの歴史家タキトゥスに手紙でかれの目撃したものを伝え、ポンペイの悲劇はのちの世の人間の知るところとなったのである。ゆえに、たとえばシュリーマンのトロイ発掘などとは異なり、「神話・伝説だと思っていたのに、実在の歴史だったのか!」というような事はなく、ポンペイという悲劇の史実性自体は中世・近世を通じ広く知られていたようだ。
 とはいえ、18世紀になって本格的な発掘が始まったとき、灰の中から現れたものは人々の目を驚嘆させ、大きな興奮を巻き起こすに十分なものだったようだ。他のローマ時代の遺物が長年の風雨と政治動乱のなかで崩れはて、色を失い、断片化していったのに対し、1700年という気の遠くなるような時間を灰の中で過ごしたポンペイは、ローマ時代の街のありよう、人々の古代の生活のありようを、そのまま今生きる人間の目に伝えたからである。
 当然ながら、当時の芸術品や工芸品も圧倒的にすぐれた保存状態で発掘されている。紀元一世紀といえば、ローマ帝国の領土拡張期がいったん収束し、帝国全体が政治的に安定した「パクス・ロマーナ」の真ん中あたり。いわばローマの文化の爛熟期である。ローマ芸術の頂点をなす品々が、部分的にであれ、時間ゆえの劣化という通常逃れえないはずの運命を奇跡的に逃れて保存されているとあらば、古代史や考古学にとってそれがもつであろう計り知れない価値は、想像に難くない。



 さて、実際の見学記に移ろう。古代とはいえ「一都市まるまる」の遺跡である。かなり広いと予想されたため、わたしたちはポンペイ見学に丸一日を当てていた。前日にローマからナポリに移動しておいて一泊し、朝にナポリからポンペイに向かったのである。結果的に言えば、このプランは正解だった。というか、オープン後1時間くらいで入ってクローズまでいたのに、見どころを全部まわりきれなかった‥‥。


 事前にちらりと見ておいた天気予報では、幸運なことに旅行中の一週間の天気は抜群だった。天気予報を信じる限り、滞在都市はすべて快晴。だがUKに2年暮らしたわたしは、すでに天気予報なるものへの信頼をことごとく失っていた。だからポンペイ見学の朝、ホテルの窓から青い空を見たときの感動は大きかった。


 「すごい‥‥イタリアって、天気予報、当たるんだ!」




 日本も当たりますね。



 いや、UKは天気予報が当たらないというより、「一週間のうち七日間はくもり時々雨で降水確率50%」とかいう予報を出してきやがるので、天気に対する信頼が失われていると言うほうが正確なのだが‥‥


 ナポリの中央駅からポンペイに向かう方法はいくつかあるようだが、『地球の歩き方』(以下チタマと略)でも、Lonley Planet(英語ガイドブックの大手、以下ロンプラと略)でも勧められているのは、「ヴェスヴィオ周遊鉄道」を使う方法である。この周遊鉄道はヴェスヴィオ山をぐるりと回るサークル状の鉄道らしく、「ポンペイ」という駅で降りれば、遺跡の入り口はすぐそこである。(他の鉄道を使うと1kmほど歩かなければならない場合もあるようだ。)
 ヴェスヴィオ周遊鉄道はいかにも「地元路線」という感じで、それほど小ぎれいな見かけではないが、乗っている人の中には親切な人もいるらしく、「ポンペイ行くの!?ここだよ!」と叫んで降りる駅を教えてくれた人がいた(イタリア語はわからないので、叫んだ内容は推測)。ちなみに、イタリアの鉄道は停車駅の車内放送がありません。自分で逐一駅をチェックせねばならないのです。天気がいいからってヴェスヴィオ火山見てたらあやうく乗り過ごすところだったよ‥‥。


 駅を出ると、入場口までの100mほどの通りに、ひたすら売店が並びまくっている。われわれはここで水を買った。ペットボトル一個あたり1ユーロ程度であるが、ナポリ市内のスーパーで買ったら25ユーロセントと4分の1なので、ケチる人は前もって買っておいたほうがよかろう。ちなみにわたしは「買っておけばよかった」と思った(ケチだから)。関係ないが一目で日本出身と見抜かれたらしく「アリガト!」と言われた。
 さらに重要事項!バッテリー充電ではなく乾電池のデジタルカメラを持参の人、必要ならば必ずここで買っておくべし! 駅のキヨスクに売っている。なんと、ポンペイはいったん遺跡の中にはいると売店が皆無なのだ。ポンペイ本を売っている売店にも乾電池はない。ここで買っておかないと、途中で電池が切れて泣きを見ることになる。ちなみにわたしは泣きを見たのだが、まあそれについては、おいおい。

 さて、いよいよ入場である。ロンプラには「音声ガイドか良いガイドブックが必要、さもないと重要な見どころを見逃しかねない」という記述があったため、音声ガイドを借りたほうがいいかな‥‥でも高いしな‥‥などと迷っていたのだが(ケチ)、じっさいには、入場の時にくれる「Brief Guide to Pompeii」がBriefのくせにかんなり詳しいので、音声ガイドは必要ないと思う。69の見所ひとつひとつについて、1ページを費やして説明がされている。ただ日本語バージョンがあるかどうかは定かでないが‥‥。聞いてみる価値はあると思う。

 入場ゲートを抜けるとすでにもう遺跡で、古代の城壁門をくぐって都市の中に入る。中世ヨーロッパの都市が防衛戦略として分厚い要塞壁に囲まれていたことは有名だが、「Brief Guide to Pompeii」によれば、ポンペイも初期においては、防御のために市壁に囲まれていたらしい。都市全体をぐるりと壁で囲む習慣というのはかなり古いもんなんだな‥‥。ローマ帝国のナポリ近隣への支配が確固たるものになり、また都市の人口が増加し住宅地が拡大するに従って、市壁は用をなさなくなり、少しずつ壊されていったという。最初に見学者が抜ける門は、ポンペイ埋没当時にまだ残っていた市壁の一部らしい。

 午前だったせいか、入った当初さほど見学者はいなかったのだが、十数分のあいだにあれよあれよとツアー客がやってきた。見たかんじ、アメリカンなグループが多そうである。やはり専門ガイドさんの言うことは「Brief Guide to Pompeii」よりもずっと詳しいので、近くでこっそり立ち聞きするわたし。(せこい)


 下の写真は、入り口入ってすぐの「ヴィーナスの神殿跡」からの眺めである。朽ち果てた建物と、抜けるように青い空のコントラストが印象的だった。友人が「風光明媚だねえ」と呟く。じじつ、穏やかな美しい眺めだった。



青空は二千の年月を経てなお突き抜けるように明るい






古代の都市の中心地フォロ(フォーラム)
ヴェスヴィオ火山を背景に




 このポンペイ、ひたすらでっかいだけあって、「順路」なるものが存在しない。好きなところに行って、好きなように見て回るのである。まあ、これだけの広さがあって順路なんてあったら、2時間で終わらせたい人とか「ムキー」ってなるわなそりゃ。

 そんなわけで、テロテロ歩いてたわれわれは、案の定、なんか見所エリアをはずれて変なところに来てしまった。
 あたりには人っ子一人いない。細かく縦横に走った小さな通りをいくつも曲がるが、どこを覗いても目の前に広がるのはただ、朽ちかけた古代の壁。古代の門。半壊した無人の住居。静まりかえった、生きる者のいない街。足元には二千年前の石畳。見上げれば二千年前と同じであろう青空。
まあ、細かい地図があるので「やばい迷った!」というわけではないのだが、一瞬ふしぎな感覚に襲われた。行けども行けども生者の世界に出られないような、そんな感覚である。


 まあ裏を返せば、「重要な見どころ」の外、すなわち大多数の観光客が足を踏み入れもしないようなところにも、広大な面積の遺跡が広がっている、ということなわけで。なんのスポットマークもついていない、「Brief Guide to Pompeii」にも載っていない建物に、ふと、びっくりするほど綺麗に残ったモザイクがあったりする。



無銘のモザイク



 モザイクはポンペイから発土するローマ時代の文化作品のうちでもよく知られたもののひとつだ。多くは個人住居の床を彩る装飾であったらしい。意匠の凝ったモザイクは、玄関先と、玄関を通り抜けた先の踊り場状の部屋を飾っていたという。上の写真は個人の住居と思われるものの玄関にあったモザイク。有名な「凶犬注意」のモザイクも玄関のものである。(きれいに撮れなかったのでこちらのサイトの写真で‥‥)



 しばらく無人地帯をさまよって時間の迷い子気分を堪能したあと、地図にしたがって見どころエリアに戻った。見どころエリアに戻ると、日も高くなったせいかさらにツアー集団が増加しており、「死都放浪」気分はちょっと薄まる。でも、生きてる人間は生きてる人間の場所にいなくちゃね。(なんのこっちゃ)

<つづく>









つーかポンペイ一回のエントリで終わらなかった‥‥。なんか旅行記って書いてると記憶が鮮明になってきますね。ベルリン旅行記もちゃんと詳しく書きたくなってきたよ、忘れないうちに‥‥。





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