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本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
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Posted by まめやもり - mameyamori - 2009.06.05,Fri
 大学の試験監督のバイト中に暇だったので、恋愛という現象について考察した論文を読んだ。

 恋愛は果たして誰もがもつ本能的な感情か? あるいは、「恋愛ってのはこういうもんでしょ」という社会の型に自分を当てはめ、社会で王道と見なされてる恋愛物語な状況の主人公として自分自身を夢想してはじめて、人は恋愛を経験するのではないか? とかいう議論を紹介している論文。では「恋愛ってのはこういうもんでしょ」という型を、人間はいつ身につけるんだろうって疑問が起こるわけで、そのあたりでなかなか興味深い研究事例が挙げられていた。

 北アメリカでの研究だと思ったが、ある小学校で生徒たちに、「身勝手なヒーローに愛想を尽かしたヒロインが、彼に別れを告げ、日没に向かって自分一人で歩いて行く」というラストで終わるドラマを見せ、感想を聞いた。すると、男子の方がフラれた男により同情的という違いはあったものの、その小学生たちは、男子女子ともにそのラストに不満を示し、ヒーローとヒロインが一緒になるラストのほうが良かった、と答えたという。
 子供たちは、男女ふたりの関係が破綻したことをもって、そのドラマをバッドエンドの物語ととらえたのであって、ヒロインが行動力と主体性を身につけていく最後をハッピーエンドととらえはしなかったのだ。たしかに、前者のほうが「わかりやすい」し、恋愛を扱いながらも個人の主体の問題に主眼をおくようなドラマは「大人向け」なんだろうな、というのは予想がつく。だけども、「女は男を獲得してこそハッピーエンド」みたいなあまりにも伝統的な価値観を、人が小学生の時点ですでに身につけているって、考えてみればすごいよなあ。考えてみれば、わたしが小学校2年とか3年のときにも、みんな「りぼん」とか「なかよし」とか普通に楽しんでたし、そのころからすでに恋愛物語は個人のなかに内面化されているんだよなあ。いったい何歳くらいのときに、こういう物語類型こそが「王道」だと知るんだろ。3歳?4歳? 人間の社会への順応ってすごいな。

 もうひとつ興味深い例というか、悲しさが漂っている例。「風と共に去りぬ」の大ファンの女性を対象に調査をしてみたところ、バトラーがスカーレットをレイプするシーンを、多くのファンが「暴力的」というよりは「ロマンティック」ととらえていることがわかった。彼女らにとって、そのシーンは男が女に暴力をふるうシーンではなくて、男がその愛のために盲目的に女を求めるシーンである。つまりは、スカーレットがその魅力でもってバトラーという男を虜にし、力関係が スカーレット>バトラー になるシーンだと解釈しているというのだ。それをもって、レイプシーンはまさに女性にとって「ロマンティック」に映っているのだ、という話。
 つまり、男性的価値観であれば「女を力づくでものにした」と解釈するであろうシーンを、女性ファンは「女が男を屈従させた」シーンとして解釈するのだ、という話。ある意味では「女による女のための主体的な読み替え」なのかもしれないけど、空しすぎるだろこのズレ……
 男性的視点と女性的視点、それぞれが自分たちにとって都合のいいような、言い換えれば願望充足的な解釈を作り出しているというわけなんだけれども……。願望充足的な物語ってのは巷にあふれかえってるってか、人気の出るお話ってのはたいてい願望充足的であることが多いけど、これって言い換えると単に視野が狭いというか……社会全体にとっても、他人とのコミュニケーションにとっても、すごく不毛だろコレ。

(念のため書いておくけど、これは実際の男性や女性がみんなこういう解釈をする、とか言っているわけではない。男性的言説(表現)と女性的言説(表現)のギャップの話。個人個人の解釈は多種多様だと思う)

 まあ、わたしはもともと、女性向けロマンティック恋愛ジャンルに流れている「誘い受け」の雰囲気が も の す ご く 苦手なので(無粋だからそういう複雑な回路に共感できないんですね)、よけい否定的に見えてしまうのかもしれない。そういう意味では、鋭いフェミニスト批評家には絶対なれんのだろうなあ。本当に鋭いフェミニスト批評家だったら、こっからもう一層ひっくりかえした議論をしてくれる気がする。

 ちなみに論文の題名は「社会学者だって恋をする」だった(笑) ちょっと狙い過ぎですね。でもこういうゆるい感じな題名の学術論文は日本でも増えていいような気も。
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Posted by まめやもり - mameyamori - 2009.05.19,Tue
 ちょっとスイス行ってました。ううー楽しかったよー



 その旅行記はまたのちのちアップすることにして、今日は突然ですがドラゴンボールエヴォリューションの感想です。見に行ったまんま書いてなかったことを思い出したんで。

 たぶん巷ではブッチギリで酷評が並んでいるんじゃないかということは検索しなくても予想がつくんですが、私自身はまったく期待というものを抱かずに見に行った、というか 半分以上笑いのネタにするために見に行った感じだったんで、それなりに楽しめました。突っ込みどころを探しにいった感じ。

 全体的には、アメリカンハイスクール青春ラブTVドラマと、SFアクションCGゲームを足して二で割ったものに、ドラゴンボール由来の単語やガジェットを散りばめてみたぜ! という感じの内容でした。平たく言うと、ドラゴンボールが先にあるんじゃなくて、アメリカン青春ラブストーリーのお決まりのプロットと、SFゲームCGのエフェクトが先にあって、後からそこに適当にドラゴンボールな要素をくっつけた という感じかなあ。

 とにかく、地味で目立たなくっていつも馬鹿にされてる少年主人公が、あるときひょんなことから周囲に秘めたる力を見せつけて、ハイスクール1の人気者の女の子にちょっと一目置かれちゃって、これで俺も男になるんだぜ! みたいなプロットって ほんっとデジャヴだったなあ。なんか80年代90年代のコメディ映画とかでそんなの山のようにありませんでしたか。どれかって聞かれるととっさには思い出せないんだけれども、なんかいっぱいあった気がするんだな。スーパーマンとか。ポパイとか。ちょっと違うか……あと、80年代でもないか……。なんかでも、いっぱいあった気がするんですよう!

 まあそういう定型化したプロットを再生産することじたいは別にいいんだけど、その少年主人公がことあるごとに「GOKU……!」って呼ばれてるのが気になって仕方なくってなあ。
 なんていうんでしょう。私がドラゴンボールをかなり初期しか読んでない、見てないっていうせいもあるんだろうけど、悟空って思春期の悩みとか色恋沙汰からはかけ離れた「変ちくりんな怪力小僧」ってイメージだったのね。チチと結婚して子どものゴハンが生まれたあたりは知っているけれども、あの夫婦って全然、性愛的な香りがしないじゃないですか。鳥山明って漫画家は下品なネタばっかり使うけど、性愛のねとねと感(若々しい甘酸っぱさを含めて)はあんまり描かないようなイメージがあったのね。とくに悟空なんかはその筆頭で。

 そんな悟空がセクシーアジアン美女なチチと二人でうっとりロマンチックキスシーンとかしてるのを見るのはかなり辛いもんがありました。上にも書いたけど、こう生々しすぎるんだ。

 あと「こりゃ無いよ!」と思ったのはヤムチャ。まあ原作でもかなり早い段階から、戦闘の解説係以上の役を与えられてなかったような記憶がおぼろにあるけど、あまりにもうさんくさいパツキンチンピラになってしまった彼が不憫でなりませんでした。

 それにしても、主人公をのぞくほとんどの登場人物を東アジア人で固めてたのが興味深かった。というのはつまりこれ、日本でも連綿と使われてきた人種設定をそっくりそのまま裏返したもののような気がするんですが、考えすぎなんでせうか。つまり日本の少年少女漫画というのは、主人公だけ日本人で、あとは外国人(多くは白人)という変ちくりんな設定を何十年も多用してきたわけだ。で、外国人の人たちはメインヒーローな日本人主人公の補佐役として地味な活躍をする。そういうキャラ配置に外国(とくにオクシデント)に対する奇妙な羨望と、そのコンプレックスのなかから出てくる「でもやっぱ主人公は俺らじゃなきゃ! 日本男児最高!」みたいな、プライドと劣等感のデリケートなバランス(わらい)が端的にあらわれてたと思うんだけど、まあこのへんはやっぱり穿って見すぎなのか、あるいは今更言う必要もないくらい自明のことなのか。最近、自分の価値観がどれだけ世の同意を得られるのか、どんどん自信がなくなってきてるので、どっちかわからんのだけれども。
 いずれにせよ、ドラゴンボールにおける人種配置がこの構図をそっくりそのままひっくり返したものなんだとしたら、それはそれで面白いよなあというか、確実に20世紀は終わり、いまは21世紀なんだなあ、とか考えたりもする。いや実のところ、中国に起源を発して日本で独自の発展をとげた文化潮流がヨーロッパで大流行し、猫も杓子も「アジア超かっけー」というブームになる状況なんてのは、21世紀になって初めて見られるようになったわけでも、なんでもない。ヨーロッパでは19世紀なかばあたりに中東趣味やアジア趣味が勃興してくることは、サイードをひくまでもなく、多少19世紀西欧の文化史に触れればすぐにもわかることだ。けれども、そこにあったクラシックな近代的オリエンタリズムと、わたしが今回ドラゴンボールを見て感じた「アジアなものへのファンタジー」とは、ちょっと違う気がするんだな。なにが違うかというと、そこにおけるオクシデントとオリエントのパワーバランスが違う気がするんだけれども……


 近代のオリエンタリズムを論じる上でいつも議論の焦点だったのは、「書く力」、すなわち「表現するのは誰か」という問いだった。つまり、「描く側」と「描かれる側」には力関係が存在し、「現実」や「知識」をつくりあげていくのは「描く側」にのみ存する力とされていた。近代オリエンタリズム・ブームにおける「アジアン」は、憧れの対象であり美学的な影響力をもつように見えて、じっさいは徹頭徹尾受動的に、「描かれる」ばかりだったのだ。そこにおいて、彼ら自身による「オリエントとはこういうものだ」「アジアとはこういうものだ」という声が介在する余地はなかった(与えられなかった)——これがオリエンタリズム論である。
 ではそれと比較して考えてみたとき、わたしが今回感じたものは何が違うのか? うーん、たとえば日本のアニメや漫画界で「主人公・ヒロインは日本人でまわりはみんな外国人」的なファンタジーやバトル物が描かれるとき、はたしてそこにおいて「表象の権力」はどのくらい作用しているんだろう、ということだ。アメリカ人、インド人、ドイツ人、フランス人、エジプト人、ブラジル人がそれぞれ一人ずつ仲間として出てきて主人公の高校生ヒロシ君の大活躍を支えるみたいな物語があったとき、もしその物語を「諸外国のステレオタイプを構築し、それによって諸外国に対する日本の文化的・政治的優位を再生産していくおこないだ」とかなんとか分析したら、エッそれは違うんじゃ……ということにならないか。
 その物語で描かれているのがアホウなステレオタイプであることに間違いは無いだろう。しかし、そうやって「ステレオタイプを消費する」ことじたいが、はたしてグローバルな目で見たときに「一方的な表象権力の行使」になるかというと、違うんじゃないか、と。なんていうか、そりゃお互い様なことをやってるんじゃないか、と。だってさ、アニメ絵のメイドさん見て、あれが本式のイギリスヴィクトリア朝風の正当派メイドだ とか信じる人いないでしょう。表象のぱっと見に説得力と権威がないのよ、近年のサブカルにおける文化ステレオタイプは。良い意味でも悪い意味でも。(権威的でないのはいいことだが、あまりにも頭が悪そうだ)

 つまりは、日本のサブカルがアホウで歪んだ異文化表象を作り上げ、消費してきたのとまったく同じように、諸外国の内部では、日本や中国を題材にしたアホウなステレオタイプが勝手に作られ、消費される。わたしが21世紀的だと感じたのは、NINJAやSAMURAIやBUSHIDO愛好趣味に見られるような、あんまりにもアホウであんまりにも非権威的な表象のブームなのではないかしら。

 と、話がドラゴンボールからズレにズレてしまった。まあ、映画じたいは興味深く見たのでありますよ。ブルマが可愛かったし。あと「亀」模様の道着が出てきたときは、隣の友人と同時に吹き出してしまったよ……しかしあれ、英語圏の人間が見ても意味不明なのじゃないかなあ……。説明皆無だったし……。

Posted by まめやもり - mameyamori - 2009.04.25,Sat

ホラー趣味と中世趣味とゴシックオカルト趣味が三拍子そろったアタシがこんなに趣味の悪いニュースを見逃すとお思いかい、え!


Metroの22日の記事より

デヴォンで葬儀屋さんを営む男性が、自宅の改修中に400年前に死んだと思われる猫のミイラを発見しました。

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