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本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
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Posted by - 2024.05.15,Wed
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Posted by まめやもり - mameyamori - 2008.12.20,Sat
 整理しよう整理しようとおもてた総合もくじをつくったよ。
 なんか最近ブログって実はhtmlより面倒なんじゃ…とか思っている。
もちろん、簡単にきれいなデザインのフォーマットは使えますし、コメントとかトラックバックとかの機能も便利なんですけど、淡々と文章アップするだけで、とにかくシンプルな機能だけでいいんだったら、htmlウェブページのほうが楽じゃね?
 いちいち更新ボタン押さなくても、ローカルでデザインチェックできますし。

 とはいえ、コメント機能とかカレンダーとかRSSとかトラックバックとかやっぱあったほうがいいかなーと思うのでブログを続けてしまうわたし。

 あとまあーブログでやっかいなのは構造を設定する式のなかで自分が知らないのを使ってる点だよね。いちから自分で作っているわけじゃないから、どこでどういうタグが設定されてるからこういう見栄えになってる、というのがよくわかってない。だから、ちょっとデザインに手を入れようとしたときに思うようにいかなくなるんだよね。わたし本当に基本的なhtml知識しかないもんで、かなり基礎なスタイルシートでさえお手上げなんですよ。むうう・・・
 今回は各インデックスに下部構造としてテーブルを入れて、インデントが入ったみたいな見栄えにしたかったんですけど、テーブルの中にアラインレフト設定を入れても、テーブル内の文章ぜんぶが中央寄せになってしまって格好わるい・・・いや、そもそもインデントをテーブルで作ること自体が古臭いのかも。
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Posted by まめやもり - mameyamori - 2008.10.26,Sun
 ここのところ博士論文執筆からの逃避のため幼少時に見たガンダムへのアニメノスタルジー(危険度高)が起こっています。
 しばらくの間、思い出したようにキモいエントリが上がるかもしれませんが、ご容赦ください。

 ひょんなことから古代世界ならぬガンダム世界に呼び戻されたごく普通の女子中学生ならぬいい年こいた大学院生・まめやもりは、ただ今「富野由悠季における対概念の欠如――小野不由美におけるセックスの欠如」という前後編構成の小論だとか、「医療言語の思考停止に抗して――カミーユ・ビダン境界例(ボーダーライン)論への批判」という題の小論とかを、本気で書こうかと考えているやばい状態です。きわめて急性の発作であり、早急な処置が必要です。つーかそんなもの書いてるひまがあったら博士論文のための本の一冊でも読めよ
 
 そんなわけで、キモいエントリ第一弾はずぶのアニメ素人が昔なつかしいロボット系アニメのオープニングについて、5年ごとの例を見くらべてみた感想です


 機動戦士ガンダム(1979年~1980年)
 機動戦士Zガンダム(1985年)
 機動警察パトレイバー(1989年~1990年)
 新世紀エヴァンゲリオン(1995年)


 このうちまともに見てるのは最初の二つだけなんですけどね。エヴァはアニメで半分くらい、漫画で半分くらい読んだだけなので、結末を知りません。パトレイバーは面白そうだなーと思ってましたが、結局どの媒体でもほとんど見たこと無いです。
 
 とりあえず、エヴァOPの再生回数が半端ないのに驚きです。ガンダムは後の世に与えた影響から別にするとしても、Zガンダムとエヴァとでは知名度の高さにおいてやはり比べるべくもないようですね。そりゃそうか。あとパトレイバーは確かビデオが主軸だったはずなんでTV版を見るのは変な気もしますが、こう印象としてOVAってTVより金かけてる気がするんで、媒体が違うのを比べるとフェアじゃないかなあと

 並べてみてひしひしと感じたのは、機動戦士ガンダム(以下ガンダム1st)の色濃いレトロ臭です。まあ、85年以降も少しずつ変わってて、洗練されてってると思うんですが、やっぱこの四作を並べるとガンダム1stだけ圧倒的に異色じゃないでしょうか。つーかガンダム1stはやはり、「古きよきアニメ」というところで楽しむべきではないかと思えます。メカデザインしかり、キャラデザインしかり、キャラの集合演出しかり、彩色しかり。5年後のZガンダムと比べると、彩色やキャラデザインの変化に驚きました。80年代というのは、やはり今から振り返るとアニメカルチャーにおける革新の時代だったのでしょうか。何が1stとZ(ゼータ)の印象を大きく左右しているのかというと、メカやヘルメットの光沢の表現かな。というか、このいかにも熱血少年なロボット対決なレトロ絵柄とキャラで、あんな複雑な話を展開したガンダム1stって……、おそらくゼータガンダムにおいては、ガンダムにおいて小学生向けと最初設定されていた視聴者層が、すでにティーンズ向けで固定されていたんでしょうね。
 Zとパトレイバーの差は、作画やアニメーション技術ってよりは、スタンスの差の気がします。なんつーかZのコテコテ感(とくに緑の髪の女・フォウがフワフワ飛ぶところ)ってすごいなんか、80年代を感じさせるロマンチックコテコテなんですよね。パトレイバーがもう少し普通というか、吹き出さないでも見ていられる安心感があるのは、まあ、たぶん物語のテーマ性のちがいもありますけど。
 エヴァのOPはすげー久しぶりにあらためて見てみましたけど、Zみたいな80年代なかばの作画と比べると細部がさらに端正な気がしました。機器のデザインも現代的なような。だけどここにおける変化は表現の革新というよりは、むしろ「こだわり」になってるんかなーと思いました。絵柄の小刻みな切り替えやサブリミナルっぽい文字の挿入は映画的演出を強く意識してそうです。キャラもあくどいくらい端正な美少年美青年を描いているZガンダムとは違い、また肩の力の抜けた日常っぽいキャラデザインをしてるパトレイバーとも違い、エヴァでは絵柄の特徴がデフォルメされている気がします。なんかこう、精神的にキリキリ追いつめられるような方向に。どれもみんな、キャラデザインや作画の人がもともと特徴ある絵を描くわけですけど(ガンダムの安彦良和、Zガンダムopの北爪宏幸/梅津泰臣、パトレイバーのゆうきまさみ/高田明美、エヴァの貞本義行)、そういう絵柄がヒットする背景にはその時期ならではの特殊性があんのかなあとかなんとか。
 だけどあれですねー歌はどれもこれも時代を感じますね。ただ言えるのは、レトロさとか古さとか時代の流れとか、そういうのぜんぶ無視したとすれば、まちがいなく一番歌い手として上手いのは機動戦士ガンダムの男の人ですね。森口博子は芸人としては驚くほど歌うまいですけど、彼女もエヴァの人もやっぱり発声法とか音程の取り方が「翔べ! ガンダム」の人とは根本から異なる気がします。

 ちなみに上記四つのうち、わたしがもっともリアル世代としての愛着を感じるのはZガンダムです。正確に言えば再放送世代なんですが。これは作品の良い悪いではなく、こう、感情部分での愛着なので、いかんともしがたいものがあります。絵柄もZが見ていていちばん安心します。
 ただしこの作品、物語の質としてはさほどガンダム1stにひけを取らないとしても、その存在感と革新性においてはたぶん前作に及ぶべくもないと思います。オンラインに転がってるガンダム1stの動画ちょっと見てみましたがやっぱすげー。レトロさも今となっては逆に可愛いし、安彦良和のキャラには端正すぎるZのキャラにはない味わいがあるし、あとオリジンゆえの敬意みたいなものも湧いてきますね。一番すきなのはナウシカとラピュタだけどカリオストロの城のよさも十分理解できる。みたいな。そんな感じ。まあ駿作品だとナウシカラピュタは一般認知度もカリオストロやコナンより高いですけどね ガンダム1stとゼータの関係性とは異なって
 エヴァについてはすでに「後の世代のもの」という感じです。つーかふつうに考えればぎりぎりリアル世代か、ちょっと遅いかくらいなんですが。不思議というか残念というか、わたしが愛着を感じうるアニメの絵柄は80年代に限られてしまっているようで、95年のエヴァンゲリオンはすでに取っ付きにくいです。いやー使徒とかいちいちすげーかっこいいと思うんだけど。しかしエヴァで辛いんだからさらに10年後のハルヒはもうダメかも。見てないけど。
 絵柄といえば、面白いと言われたカウボーイビバップ(1998年)も海外のジャパニメーションファンのあいだでダントツの人気を誇っている(気がする)攻殻機動隊(1995年)も、絵柄がいまいち受け付けませんでした。あと声。最近の声優の声がダメなんだよ私。内容はどれも面白いと思うんで、残念なことではあるなーと思います。

 どのあたりで私にとっての絵柄の転換がくるのかなーと見てましたら、まず1990年前後のロードス島戦記がダメでした。上のパトレイバーはぎりぎりイケます。AKIRA(1988年)は問答無用でイケます。ちなみにシティーハンター(1987年)もテレビで見ていた覚えがあります。すると80年代終わりから90年代はじめあたりになにか「私的OKアニメ絵柄」「NGアニメ絵柄」の転換があるのだろうか。

Posted by まめやもり - mameyamori - 2008.09.22,Mon


映画であれ小説であれ漫画であれ、もっとも男性的(マスキュリン)とされるジャンルには、しばしば女がまったく登場しない。古典的に、もっとも純粋な男のロマンとされるものは女を必要としない。

もっとも女性的(フェミニン)とされるジャンルは、多くの場合、必ず男と女の双方を登場させる。古典的に、もっとも純粋な女のロマンとされるものは、男女間の恋愛の成就を描く。

「男的なもの」と「女的なもの」が非対称であるというのは、こういうことである。なぜもっとも女性的なジャンルが「女だけを登場させる作品」ではないのかということである。または、この二つがなぜ非対称であるのかを、歴史的に、分析的に、つきつめて考えよということである。

したがって、それは「なーんだ、男向けと女向けってのは非対称なんだ。男向け漫画は女にも広く読まれているのに、おれは女向け漫画が大嫌いだが、それも無理ないんだ」などという変な自己納得のためにあるのでは、断じてない。

断っておくが、わたしはべつに少女漫画を食わず嫌いしていたりなんとなく嫌いだったりする男をここで非難しているのでは、まったくない。実のところ、わたし自身も上であげた超マスキュリン作品が嫌いじゃないのであって、対して女性作家が女性向けに書いた恋愛ものには苦手なものも多く、それじたいはあんまり正当化できる嗜好でもないなあと思っているからだ(だってわたしは女なのにね)。

わたしがここで言っているのは、むしろそういう自分の(ちょっと変かなと思っている)嗜好の方向性に、ごちゃごちゃとつまらない正当化の理由をつけるなということである。「いやー自分でもつまんないと思うんだけど、どうしても少女漫画って苦手なんだよね」とでも言っておけば良いのである。わかってもいない理論を、さもわかったかのように曲解して用いて自分の嗜好を正当化し、その理論がまさに批判しようとしたところのものを覆い隠すなということである。

批評によって社会のなにかしらの仕組みが明るみに出されるとき、それは概して「実はわたしたちの生きている世界にはこんな構造がありました。どうしてこんなものができてきたのでしょう? この仕組みによって、人と人との関係に何が生まれているのでしょう?」という問いとともにあるのであって、「この仕組みは正当なものです」ということを訴えているわけでは、ない。多くの場合。

なんかいくつかのレビューブログを見てて、フェミニズム批評が変な使われ方をしているのにちらほら出くわしたので、少し愚痴を言っておくよ。

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