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本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
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Posted by - 2024.05.15,Wed
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Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.07.26,Thu
おっと、こんなのも発見。

コマンドー・ダック(→)1944年。約7分。



感想:ゴムボート丈夫すぎない?



プロパガンダ作品というよりは、戦争作品かな。舞台は東南アジアの密林ぽいです。あまりにご都合主義の展開に笑いを抑えきれなかったが、『総統の顔』よりはこっちのほうが、まだ出来はいいと思う。あんまり有名でないみたいだけど。『総統の顔』はそのエグさアホさが突き抜けてるという意味で、話題性こそあるかもしれないが、物語の面白味とか、ぜんぜん無かったので。対してこちらは、お決まりな展開ではあるが、少なくとも物語構造がある。

なお、日本軍の描かれ方は当然あからさまにイカニモな感じ。効果音はたぶんこれ、むしろ中国風なんでないかしら。笑った。まあ、東アジアは全部いっしょで、区別つかないんでしょうね。

あと、臆病でうっかり者であるにもかかわらず、最終的には死を覚悟して「りっぱな兵士」たらんとする人間(?)として描かれてるあひるが興味深い。ふむ。愛国主義つうのは兵士をどうあってもそう描くものなんですかな。


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Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.07.26,Thu
げっまじで!

友人に教えてもらったデスニイの戦中反独プロパガンダビデオが、もう消えてる?Yu-Chubu?早いよデスニイ!さすがはデスニイ!

と、思いきや、題名で検索したらあっさりたどり着きました。つーかYu-Chubu上にけっこうたくさん挙がってた。消されては上げ、消されては上げを繰り返してるのかなあ・・・いたちごっこ・・・





さて当該ビデオ、その名も『Der Fuehrer's Face』1943。(→




うわあ・・・・
(リンクはYu-Chubuに直接つながっています。音が出ます)


日本語訳としては『総統閣下のご尊顔』のほうが原題に近い気がしますが。
こないだ日本の戦中ビデオを紹介した(→)ので、今度は別の国のも紹介してみようと思ったわけです。いや、『くもとちゅうりっぷ』はプロパガンダ映画とは言いがたいのだが、わたしがそういう面を強調した紹介の仕方をしたからね。
時間はおよそ8分。ちなみにけっこう有名みたいなので、知ってる方も多いのかも。

でもって感想。





こりゃひどい






出来が悪すぎです。


デスニイには当時のアニメの才能が集結してんのかと思ってた・・・だがここには芸術性なるものの片鱗すらうかがえません・・・それでも1943年のアカデミーの短編作品賞(か、短編アニメ賞?)を取ってるところがなんとも・・・


しかし、ある意味そのアホさを突っ切って見ると笑えるかも。途中、ナチ党員が「一日48時間働いてる」とかいう工場で、総統の肖像写真がベルトコンベアで流れてくるとことか、笑えた。やりすぎ。アホすぎ。何がって、この映画がアホすぎる。つまり、


どう見ても、反独というよりは反米映画にしか見えません。



じっさい、あひるが最後で着てるパジャマもかなりイカニモすぎて笑いましたが、あれって今となってはマイケル・ムーア関連の本で、マッチョな白人男性が着てるビキニの柄になっちゃってますよねえ。(マイケル・ムーアは『華氏911』の人ね)つまり、たとえばムーアの意図からすれば、「アホでマヌケ」なものを演出する洋服柄なわけです。

まあでも、その「やりすぎ感」「アホすぎ感」を自覚の上で、それを愛し突っ走るタイプの嗜好というのも世の中には存在するわけで、それを考えると今日的文脈においてもあながちプロパガンダとして100%失敗してるとは言いがたいのかも。日本でも、日の丸柄のブリーフやビキニ着て砂浜を駆け抜け、朝日に向かって絶叫するような遊びを好む人っていそうじゃないか。こう、あえてアホになる熱さが好き。みたいな。いないか?

しっかし日本の描かれたかもすごい。寝ぼけまなこのあひるが壁にかかった三つの肖像画に敬礼する場面(2:03あたり)がありますが、"Heil!"のあとにその三人の名を言ってることに注意。わ、わかりやすすぎ・・・



とりあえず『くもとちゅうりっぷ』は、もちろんそのキャラクタ像が色々と問題含みであることは当然の上で、まあ作品の出来はやっぱりかなり良いんだなあと思いました。うん。
むしろ質が高く軍事色も直接には感じられない作品のなかに、なにげなくああいう人種的ステレオタイプを織り込んだほうが、ある意味効果は高いっていうか、やっかいな気もするね。「作品そのものは素晴らしい出来じゃないか。そのくらいのことには目をつぶろうよ」っていう声が出てきやすいからです。
逆に、異議を唱えていく側も、ものによっては作品の質の高さをきちんと認めた上で批判をしていく必要がある。ひょっとすると、「すぐれた作品である」ということをまず前提にすることで鮮やかな論がうまれてくる可能性もあると思う。なぜならステレオタイプなイメージというものは、われわれの美意識の根深い部分に、意外と色濃くすりこまれているものだからです。きっと、わたしの美意識の内部にも。


まあ、この作品では到底そんな話にはならんが・・・
あ、でも最後のほうであひるがおかしくなってしまい、弾丸に追われる悪夢の世界に入り込むところはちょっと面白いね。デスニイはこういう、少しだけ非現実的というか、象徴的で感覚的な夢っぽい映像が意外とうまいんでないか。いや、よく知らないんですけど。
まあ全体の狙ったような出来の悪さを補うには到底たりないが・・・。



ちなみに、デスニイが制作した戦中プロパガンダ映画として有名なものに、もうひとつ『新しい精神The New Spirit』というものがあるようです。こちらは、戦争遂行のために財務省がUSA国民に税金を早く支払うよう呼びかける、ドキュメンタリータッチのもの。こちらもアカデミー賞のドキュメンタリー部門にノミネートされたようです(IMDbのサイトより)。
こちらは7分全部を見られるファイルがYu-Chubuで見つからない。ところどころを抜粋した2分ちょいのファイルがありますが、こちらは反プロパガンダの姿勢を明確にした人によるビデオ・クリップです(最初に「プロパガンダの犠牲者にならないために」というテロップが流れ、折々に解説がつく)。参考までにリンク貼っておきます(→
しっかしあひるの声って聞き取りづらいわ・・・




うーん、それにしても週二の更新ってけっこ大変ですね。毎日更新してる人には頭が下がるよ。まあ、ダラダラしてる時間を減らせば、十分毎日書けるはずなんですけど(内省)とりあえず今週中もう一回の更新めざします。




Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.07.15,Sun
 数ヶ月前に、戦前・戦中期の日本アニメ二本が見られるリンクを紹介しましたが(→)、そのうち一本の感想をまだ書いていなかった。ということで、





 『くもとちゅうりっぷ』(1943)。全16分。

 第二次大戦中の作品ですねえ。ちなみにリンクはYoutubeの動画ページに直接つながってます。音が出るので注意!

 こちらは『その時歴史が動いた』でも紹介されたことがあるみたいです。「戦火の中でアニメが生まれた」とかいう特集。平成12年6月の放映だとか。ていうか平成12年って何年前?なんつーか政治スタンスがどうこう言う前に、元号、いちいち調べるの面倒・・・

 さて、この『くもとちゅうりっぷ』は前回紹介した『動絵狐狸達引』とは異なり、明確なストーリーラインのある作品である。ある昼間の野に遊ぶ一匹の「てんとうむし」の少女。可愛らしいその姿を見つめる「くも」男は、あわよくば少女を捕らえて食ってやろうと企む———「遊びましょう、遊びましょう、てんとうむしのお嬢さん」。しかし、てんとうむしは居合わせた「ちゅうりっぷ」の中に隠れて、くもの手から逃れようとする。くもは執拗にてんとうむしを追うが、おりしも天を覆う黒雲、轟風と豪雨がくもとちゅうりっぷを襲う。嵐が去り、夜が明けたのちに・・・というお話。原作の童話があるようです。


 最初に書いておきますが、技術水準は高いなあと思いました。1943年の時点からこんなに綺麗なアニメが作られていたんだなあと。


 そうして、第一印象はディズニーと似てるなあということ。小動物の造型だとか、クラシック風のBGMにあわせたキャラの音楽的な動きとか、『ファンタジア』と雰囲気が濃厚にかぶってました。とくに、『ファンタジア』のなかの、「田園交響曲」(ベートーヴェンの同交響曲にあわせてサテュロスだのディオニュソスだのギリシャ神話のキャラクターが舞い踊る)と、「時の踊り」(ワニとカバとゾウのバレエ)とかすごい似てた。また、晴れた昼→嵐の夜→すがすがしい朝、というように天候と時間の変化のなかに物語の起承転結の地盤を置き、地に生きる者の命運をそのなかに描いていく手法とかも、すごい『ファンタジア』に似てる。
 まあ、『ファンタジア』の封切りは1940年、『くもとちゅうりっぷ』は1943年なので、制作者が前者をずいぶん参考にしてるのかもしれませんねえ。これは必ずしも悪い意味で言っているんじゃないです。ディズニーがいかに色々問題を抱えた会社だとしても、『ファンタジア』は傑作だし、それを思わせる内容を作れるというだけで凄いと思う。なにしろ、資金も道具も限られていた戦中だし。


 しかしながら、戦時中に作られたものというのは、映像作品も文学も童話も、そりゃもうアグレッシブな戦争色から自由にはなりがたい。大戦まっただなかの時代につくられたこのアニメも、やはり当時のえぐい時代性を感じさせるものがあります。
 まず、誰もが気づくことだろうと思うし、事実ウィキペディアの当該項目にも述べられているのが、「主人公」と「敵」のあまりにもワカリヤスイ造型。ぶっちゃけて言ってしまえば、主人公の「てんとうむし」は日本風の顔立ちをした愛らしい女の子で、あきらかに人間的な体型をしている(虫のくせに)。それを食べようとする「くも」は、声からして中年男、黒い肌に茶色い帽子、八本の脚をもった怪物然とした姿で(愛嬌はあるが)、そうしてその顔つきはあからさまにアフリカ系の人間、すなわち「黒人」の典型的なデフォルメとなっている。

 そうして「くも」は「てんとうむし」を騙して捕まえようとしているわけだけど、その「遊びましょう、遊びましょう」っていう声とか、表情とか、性的な含意があまりに濃厚だと思うのはわたしだけではないだろう。
 つまりここで描かれているのは、罪深い「黒人」男が、かよわく愛らしい「日本人」の少女を甘い言葉でかどわかそうとしているお話なわけです。エッグ。なにがエグいって、「黒人」のステレオタイプをそういう風に使いつつ、「敵はこんな顔をして、わたしたちの愛らしい幼い娘を襲おうとしているのです」というメッセージを入れてくること。

 いや、実をいうと制作者はそこまでの意識はなかったかもという気もするのです。手塚治虫が初期の作品でああいうふうに「アフリカの原始人」のイメージを使ったのは、それが内包する意味や現実社会とのつながりに気づかないままに、アメリカ合州国でよく使われていたキャラ造型を取り入れただけだと思うし、それは手塚治虫がすごい偏見に満ちた人間だったということを意味しない。そうしてこのアニメでも似たようなものだったのかもしれない。制作者は単純にクモとてんとう虫のお話を作ったつもりだったのかもしれない。
 だけども、問題なのは制作者の意図がどうだった、こうだったという話ではない。「そう読めてしまう」ということが重要なのです。そうして、そう読まれておかしくない時代風潮が当時あったはずだということ。さらに、そういうイメージが「子ども向けアニメ」を通じて広がっていくのだということ。そういう意味ではかなりエグい。超EGG。


 まあ、戦中のプロパガンダ映画ってのはどれもこれもエグいし、性的含意についても、「敵の男にわれわれの貞潔な娘や妻が奪われる/穢される/犯される」という隠喩は、多くの国で頻繁に用いられてきたイメージではあります。そういう意味ではすごく典型的でもあると思う。

 しかしまあ、この作品は表向き、子ども向けの無邪気な童話風を装ってるので、そのエグさがきわだつわけです。ほんと、見かけのラブリー路線のくせに・・・。
 まあ、わたしは詳しい検討をした本を読んではいないんだけど、ディズニーキャラの造型も人種のステレオタイプをバリバリに再生産しているようなので、無邪気な童話を装った作品というのには気をつけねばならんということですな。全く。
 

 ウィキペディアでは、「くも」が(おそらく第二次大戦中の)欧米などの外敵の隠喩と読める、と書いてあって、それは当時の日本の社会的文脈ではそうなんだろうと思います。「黒人」が邪悪な敵国である欧米全体の象徴。
 だけどもそれに加えて興味深いのが、ここで用いられている黒人のステレオタイプイメージは、欧米社会の中でも十分に機能しえただろうということ。クモに狙われるこのてんとう虫をいかにも白人ぽい女の子に置き換えて、そういうアニメがかつてのUSAで作られていたとしても、全然不思議じゃない。つまりは、欧米社会で長年を通じて作り上げられてきた、人種主義的で、差別的でもあるステレオタイプを、欧米を敵国と見なしていた日本がそっくりそのまま取り込み、そんでもって「白人」の位置を「日本人」と取っ替えて似たようなメッセージを持たせている。それがこのアニメなんだなあと。わたしがもっともエグいと思ったのは、そこです。
 

 ちなみに、Youtubeのコメントは、このエグさに対する指摘で溢れている。単純に「すごい!綺麗!」と褒め称えているのももちろんあるが、たとえば、

「技術的にすごいのは認めるけど、黒人のあまりにも醜いステレオタイプが、なんでここで使われなきゃならなかったんだ?黒人は日本に住んですらいなかったのに!なぜ知りもしない人間に対して、ここまでネガティブなイメージを持てたんだ?」
「しかしUSAの文脈でしか機能しないようなステレオタイプを、この監督はよくわきまえていたもんだよ。驚きだ」

 ・・・等々。USAのような場所に住む人の多くが、このアニメを見て即座にそこにある人種主義的なネガティブなイメージ操作を読み取るのだということがうかがえて、興味深い。
 しかしここのコメント見てると気分鬱になるわ・・・。


 ところで、戦中プロパガンダがどうやって「敵」を邪悪に描いてきたか、つうイメージ戦略を論じた有名な本をここで紹介しようと思ったんだけど、例によってAmazonには画像がないのね。どうしてわたしが紹介しようと思う本にかぎって画像がないのだ、アマゾンは?



(リンクは紀伊国屋の当該書籍のページへ。ちなみに画像もそのページから借りました。)

 ちなみに2006年7・8月号の岩波の『文学』に、このアニメにかんする論考があるみたい。題して「戦中漫画映画におけるウツの用法--蠱惑する『くもとちゅうりっぷ』」。ちょっと気になる。

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