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本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
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Posted by - 2024.11.22,Fri
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Posted by まめやもり - mameyamori - 2009.04.01,Wed




 さて、ナポリに三泊し、失われた都市ポンペイとナポリ市内を堪能したあと、われわれはローマに向かった。ローマの目的はカタコンベ、ヴァチカン博物館、それに骸骨寺! である。

 行きにも利用した急行列車なので、帰りはちょっとリラックス。そのまま車外の風景の写真をとったり、ごはんを食べたりしつつ、2時間ほどでローマに着く。

 それにしても、以前にイタリアを旅行したときにもローマ・フィレンツェ間で列車を利用しているのだが、窓から見える風景の印象がずいぶん違っていた。ローマ・フィレンツェでは田園風景の美しさがとにかく印象で、ゆったりとした畑地のあちこちに独特のピンクがかった赤褐色の屋根屋根が見えるありさまが非常にかわいらしかったのだが、今回のナポリ・ローマで見えた光景は、ずっと荒涼としていた。裸山の赤土とゴロゴロ転がる石のなかに電線がはり巡らされている という印象だ。





 ポンペイのことを考えても、南イタリアというのは火山地帯で、それゆえに風景もこうした荒々しい感じになるのだろうか。トスカーナで目にしたかわいらしい風景を期待していたので、最初はこうした寒々した光景が残念でもあったが、これはこれで面白いとも言える。



・聖カリストのカタコンベ

 さて、ローマに着いたその日にまず目指したのは聖カリストのカタコンベ(地下墳墓)。中央駅からバスに乗って中心街の外に出て、20分ほど乗ったあたりで、ローマでもっとも有名で旅行者の多いこのカタコンベに着く。

 現在ローマには40以上のカタコンベがあると言われている。そのほとんどの入り口はローマの中心街の外にある。もともと、ローマ時代には都の中に死者を埋葬する事が禁じられていたので、地下墳墓はみな市壁に囲まれた都の「外」に造られたわけである。ちなみに、ポンペイのネクロポリス(死者の都=墓地)も都の中心部を出た外(たしか市壁の遺跡の外)に作られていた。そのときにも書いたように、おそらくこの慣習の背後には「死者の住まう土地」と「生者の住まう土地」をきっちりと地理的に区別するという、宗教的にして衛生学的な理念があるんだと思う。都とその回りを取り囲む墓地、そして二つをわかつ堅牢な「壁」で、現世と来世、この世と異界が象徴されていたんだろうなあ。

 けれども、ローマに関して言えば、カタコンベの「入り口」は外にあっても、実は死体埋葬所そのものはローマ市の地下中に広がっているらしい。ようは、たくさんの死体を収容すべく、下に下に、横に横にと掘り進めているうちに、ローマの都の地下すべてが広大な墓所迷宮になってしまったというわけだ。
 ヨーロッパ有数の都の地下深くにひっそりと広がる迷宮墓地……うーむオカルティックなロマンがあります。

 ローマのカタコンベがポンペイと違う点は、それが初期キリスト教の教徒たちの「隠れ家」であり「秘跡の場」でもあったという点だ。知っての通り、キリスト教は2000年前あたりにイエスの人生とともに「興(おこ)った」わけだが、その後300年以上のあいだ、ローマ帝国支配下では異教として迫害されていた。その期間、キリスト教徒たちは殉教者たちを地下に埋葬し、そのとむらいの儀式をこっそりとその地下墳墓で行った。大規模なキリスト教徒のカタコンベは2世紀ごろからのものが見つかっているらしい。
 その後、4世紀にキリスト教がローマ帝国の国教になると、キリスト教徒たちはこっそりと地下に埋葬される必要がなくなり、カタコンベはあまり使用されなくなっていったそうである。

 聖カリストのカタコンベは、完全ツアー制である。なにぶん実質的に内部が迷宮で、全貌を把握している人間が誰もいないため、勝手に歩き回るのが危険だからだろう。
 ツアーは英語とほかにもヨーロッパ系のいくつかの言語で行われているらしかった。日本語はないようだし、英語がいちばん頻繁にツアーが出ていそうだったので、英語のツアーを希望する。受付でわたしと友人の名前をしるし、30分程度待ったあたりで、ツアーが始まった。

 残念ながらカタコンベ内部での写真撮影は禁じられていたので、あまり内部の様子が画像で伝えられないのですが、たとえばこんな感じでした。ただし、ほとんどの場所は天然光がまったく入らないので、本当に真っ暗。この写真は強力なフラッシュを焚いている+各所に灯りを置いている、んだと思う。写真で横に見えてる棚みたいなとこに、死体がおさめられているわけであります。
 もうひとつの写真としては、たとえばこんな。こちらでは、ローマ時代に装飾として施されたフレスコ画がまだ残っているのがわかりますね。これも、日光にほとんど触れない真っ暗な環境だから、こんなに良好な状態で残るのでしょうか。
 30分弱のツアーの中で、かなり歩き回った記憶があります。ガイドさんの話によると、カタコンベは横に広いだけじゃなくて、縦にも何重もの層になっているらしいです。そりゃそんなところでいったん迷ったら、もう二度と出られないわなあ……。なんだか、インディ・ジョーンズとかのネタでいかにもありそうです。カタコンベに閉じ込められるインディ。
 ガイドさんが途中で何回も何回も人数を確認していたのが印象的でした。

 さて、カタコンベに着いたのは昼下がりだったので、ツアーが終わるともう日没が近づいています。なぜか何匹もうろうろしている猫どもを尻目に、草原を眺め、「この牧歌的な光景の下に無数のミイラが累々と積み重なってるんだなあ……」などと感慨にふけりつつ、ローマの中心街へと帰るバスを待ちます。



そして猫どもはなぜかみな同じ方向を見てる
ローマは全体的に猫だらけでした




・ヴァチカン美術館の大混雑

 なんか普通のマンションの一室のうちさらに一部屋みたいな宿で一泊してのち(これについては別エントリで詳しく書きます)、二日目はヴァチカン美術館へとおもむきました。ヴァチカンは以前に一度来た事があったんですが、その時はサン・ピエトロ大寺院に行っただけで時間を全部使い果たしてしまい、けっきょく美術館は見ずじまい。今回こそは見てやろう!と意気込んで、朝一番に出かけたわけですが……
 えーと、着いたのがたぶん、午前……9時すぎ……ごろだったと、思うんですが、ていうか開館後そんなに遅くはないはずだったんですが、着いた時点で、ヴァチカンの市壁をぐるーりと並んで、果ての見えない行列ができてました(ていうか一回来た事あるのに、この行列をおぼえていなかったのだろうか、わたしは)。いやあ……1キロくらいあったんじゃないでしょうか、あの列。長蛇の列などという生易しい単語で済むものではありませんでした。

 ウェブサイトやガイドブックには、「無料の日は大変混み合う」「行列を覚悟しよう」などと書いてあったのですが、まさか平日の開館直後でここまでとは……甘かったです。しかしここまで来て美術館に入らずに帰るわけにはいかないと、なかばヤケで並びました。お天気が良かったのがせめてもの救いといえば救いですが、11月とはいえ直射日光がガンガンに当たる場所で何時間も立ち尽くすのはちょっと辛かった。
 そうなのだ、結局、2時間以上並んだのである。たしか3時間はギリギリ行かなかったと思う。いやあーでも行列はつねに避けて通る(いつもホットな話題からハズれてる)人生を送ってきたわたしにとっては、たぶん五本の指に入る行列経験でした。こんだけ長時間並んだのは小学校のときに親に連れられて恐竜展を見に行ったとき以来じゃあるまいか。

 で、お昼すぎにようやっと博物館に入れたはいいのですが、ゆっくりと博物館の様々な見どころを吟味している暇などありません。ラオコーンとか興味をひかれるものは色々あれど、システィーナ礼拝堂(ミケランジェロによる「創世記」の天井画と「最後の審判」の壁画がある)を見るためには、まずそちらに直行しなくてはならない。というか外の行列からして、こりゃシスティーナ礼拝堂にいたる道も内部ですごい行列になってるんじゃないか、早いとこ見とかないと閉会時間になっちゃうんじゃないかと思って向かったわけですが、まったくその通りでした。中でも結局、プラス1時間くらい並んだよ……

 礼拝堂の中もすごい混雑でした。観光客がウヨウヨ動きながらそろって口開いて天井を見つめている光景は、まったく奇妙(自分もそのひとりだけど)。礼拝堂やその周囲の重要な美術品が並ぶ領域は撮影禁止ポイントなのですが、イモ洗い状態の観光客の塊に係員さんが「ノー・フォト! ノー・フォト!」と叫びつづけていて、大変だなーとつくづく思った。それでもこっそり携帯電話で写真を撮る不届き者がワンサカいるらしく、あちこちでフラッシュがひっきりなしに光る。とうとうしびれを切らしたのか、係員さんが、近場にいたらしき現行犯を一人ひっつかまえると問答無用で室外に連行していくのが見えた。まあ腹も立つわなと思ったよ。

 それにしても、昔から歴史の教科書や、さまざまな場所で目にしてきた有名絵画をこの目で見るのはなかなかの感慨でありました。なんか半ば以上人酔いして、あんまり絵に集中できる環境ではなかったけれど、創世記のひとつひとつの場面を描いた天井画は、はるか下からでもその精巧さが見てとれる気がしたし、「最後の審判」はやっぱりすごい迫力でしたよ。

 撮影禁止だから写真はとってないのだけれど、ミケランジェロの「創世記」ってこれです(ウェブ上に落ちてた画像です)。この画像は「アダムの創造」。





 そして、「最後の審判」はこれ。誰もが見たことあるはずの絵です。





 結局、後に戻るに戻れぬイモ洗い状態のままシスティーナ礼拝堂を出ると、人の波はそのまままっすぐ出口へ。もしかすると、まだ美術館内を見ようと思えば見られたのかもしれないけれど、何時間も行列に並びっぱなしでいい加減に疲れていたし、一日ぜんぶヴァチカン美術館で過ごしてしまうのももったいないので、そのまま美術館を後にすることに。

 関係ないけど美術館の出口のらせんの坂道が、上から見るとなかなかカワイイ





 ということで、ローマ編(2)へ続きます。




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