本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.05.01,Tue
いまさらになるが、『善き人のためのソナタ』を見た翌日に、アンドレ・ウッドAndrés Wood監督の『マチューカMachuca』(2006)を見た。
チリ出身の知人がクローズドの上映会に誘ってくださったのである。
映画の舞台は1973年の激動のチリ。社会主義的な政策と空気のなかで教育の平等化がすすむなか、あるお坊ちゃん系英語学校に貧しい階層の子ども達(民族的には先住民?)が転入してくる。「ぼっちゃん(王子様かも)」と渾名される、ちょっと気弱で金持ちの子のゴンザレスは、そのうちの一人ペドロ・マチューカとしだいに仲良くなっていくが、折しもピノチェト率いる軍事クーデターがチリ全土を襲い、二人の関係は・・・
というお話でした。
こちらも大変よい映画だった。日本で公開されていないようなのが残念である。
ゴンザレスが淡いあこがれか恋心みたいなものを抱く貧民街出身の女の子が出てくるのだが、彼女が印象深く描かれていた。またいっぽうで、「金持ちのおぼっちゃん主人公と、勝ち気でエキゾチックで、ちょっと(性的な意味でも)奔放で、主人公をいじめたりからかいながらも彼と仲良く遊ぶ貧しい女の子」という、十代前半の二人というのは、じつはけしてメジャーではないながらも、ひそかによく映画に登場する題材であるような気もして、それはそれで分析の対象としても興味深い。容赦のない社会格差に巻き込まれる「以前」の子どもたちの、恋なんだかじゃれてんだかわからないような触れ合いを、懐古的にある意味理想化して描いたアレである。みなさんもいくつかこういう二人が登場する映画をご覧になったことはあるまいか。
ほのかに甘酸っぱく、ノスタルジアを感じさせ、同時に彼らの関係がのちのち規定されずにはいられない背後の社会経済格差を思わせ胸苦しいという部分が、いわゆる社会派でかつ映画としての物語性や表現に妥協したくない監督たちをひきつける要素なのかなと思う。あるいは、監督たち自身の幼少時への思い入れみたいなものが含まれているのかもしれない。
わたしもそういう二人を描いた映画というのは好きである。性的なふれあいというものが、恋愛やセックスといった紋切り型の関係に押し込められる「以前」はずっと豊潤で、定められていなくて、自由な感覚に彩られたものであるのかもしれないと感じさせるからだ。他方で、そこで描かれるような少女達の表象——すなわち、無垢さと性的奔放さと、芯の強さと蠱惑性という、相反するはずの両要素をいまだ未分化なものとして一身にもった少女達の造型——が、エキゾチズムと性の誘惑と、民族性と帝国主義と、さまざまなものを考える上で興味深くもあるのだ。ここで「あァァ例の帝国主義と他者表象の話でサイード云々で」と合点した気になってはならない。重要なのは、上にも書いたが、この『マチュカ』であるとかトニー・ガトリフ監督『僕のスウィング』でもそうだったように、彼女たちは概して、主人公の少年よりもずっと強靱な「主体性」——ここでは、芯の強さ、行動性、誇り高さ、あえて彼女らが選び取るちょっと下品な言動、などとして表現される——をたずさえている、ということだ。それでも、少なくとも思春期前半のふたりを描いた映画では、ヨーロッパ系中産階級の少年と、貧しいが誇り高くそれでいて蠱惑的でもある少女、という男女の関係がめったに逆にならないところが面白いのである。
(ちなみに登場する二人がより成熟すると、この男女の設定はしばしば逆にもなる気がする。『チャタレイ夫人』なんかはそこにおける階級と性の隠喩関係が露骨だが、もう少し複雑なものになると、ラース・フォン・トリアー監督三部作の第二作目、『マンダレイManderlay』(2005)なんかもそうだった。本ブログでレビューを書いた『Vers Le Sud / Heading South』もそうである——あれはその倒転こそをピンポイントで狙ったであろう映画だが)
いまのところどういう切り口で考えたらいいのかはわからないけれども、いずれ、そこに何があるのかもう少し掴めたら良いなと思う。
ちゃんとしたレビュー書きたいけどおっつかないかな。書かなくてはならないもの(勝手に書くと決めたもの)が山積みになっている。
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Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.04.25,Wed
Das Leben der Anderen(2006、邦題『善き人のためのソナタ』)いまさっき見てきたところです。
あんまり面白かったのでエントリしてしまうよ。今日は感想をなぐり書きで。レビューはまた後日書きます。こう言っておかないと書かないので。(こう言っておいてもレビューを書かなかったことばかりだけど)
かの悪名高きシュタージ、すなわち旧東ドイツにおける国家監視システムをテーマに、ある劇作家とその恋人と、それを24時間監視するエージェントの関係性を描いた映画です。まあ、そんなストーリーなので政治性はどこまでも論じえてしまいますが、サスペンスすなわち娯楽映画としてはすっごく良質でした。人間の書き込みが良かったです。
もしかして娯楽映画の醍醐味って、すでにパロディ的笑いとフェチ的快楽にしかないのではないかと昨今ちらりと思っていたのですが、それをいい意味でひっくり返してくれる作品でした。
わりと派手な展開なのに演出を地味目に抑えているところがよかったのかもしれません。わたし映画とかドラマのドドーンっていう効果音ほんとにダメなんですよ。いい映画でも一気に冷めてしまう。一例は『カンダハール』。主人公が死体を発見したときのドドーンという効果音で引きました・・・。もしかしてギャグで入れてたのかなアレ。
しかしながら笑いの介在する余地のないショックと、ドドーン、ババーンという演出というのは、そもそも折り合いが悪いのですよ。それでもパロディ的笑いとフェチ的快楽を追求して見る映画の場合は、いかにドドーンが入ろうがババーンが入ろうが許せるというのが上の段落の言わんとしてるところ。
話がズレました。とりあえずサスペンス映画として良かったポイントのひとつは、先が読みにくいというところだったんですが、それを助けていたのはたぶんに主人公というのか、メインキャラクターである監視エージェントの役者だなと思った。ポーカーフェイスと、内心の変化をうかがわせるごくごくわずかな表情とかに良質な演技を見ました。
あ、アカデミー賞の外国語映画賞取ってるんですね・・・まあ、アカデミー賞の方向性とそこまでズレる作品でもないので不思議はないか。それにしても、アカデミー賞って信用なるんだかならないんだかホントわかんないです。タイタニックを見た人間としては、「あ、オスカー取ってるんだ。見るのやめよ」に近いものが正直あるんですが、いまいち掴めない。
日本でも公開中みたいですね。
コチラは日本語公式HPですが、なんだこのキャッチコピー・・・。なんでこんな風になっちゃうの?正直言うと『善き人のためのソナタ』というこの邦題もあんまり・・・。なんかむやみにメロドラマチックでないですか。それこそ「愛と自由のために大敵に果敢にも立ち向かう」みたいに聞こえてしまう。
てかヘルツォークの絶賛という言葉に笑った。ヘルツォークは天才監督であるとは思うが、それ以前に変人だし、奴に褒められてもなあ・・・。ねえ。
Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.04.01,Sun
『麦の穂をゆらす風』で主演をしたCillian Murphyキリアン・マーフィーのインタビューが昨日のIrish Newsに載ってました。ちなみにIrish News紙は過去の記事を見るのにお金がいるため、リンクは貼りませんが。
彼が今度出る映画はSunshine(邦題『サンシャイン2057』)、『トレインスポッティング』のダニー・ボイルが監督。ただし、今回のものは近未来のサイ・ファイ(SF)です。2057年、なぜだか燃え尽きようとしている太陽に再度火を入れるために、一人の物理学者がその危険なミッションに赴く、というお話らしい。原作があるのかな?と思ったが、そういうわけでもないらしい。
キリアン・マーフィーは『麦の穂』いらい日本でも知名度が高まったのではないかと思いますが(つかわたしはそれまで知りませんでした)、いい俳優だと思います。インタビューの内容は、学校での科学系科目の成績が最悪だったので物理学者をやるのは非常に緊張するとか(笑)、物理学者ってどんなもんか感覚を掴むために、わざわざジュネーヴまで行ってビッグバンの原因を突き止めようとしている物理学者の一団としばらく一緒にいた、とかいうものでした。「ああいう異常ともいえる知識を持った人たちの中にいるのは面白かったよ」とか言ったようですが、物理学者のほうだって、突然俳優が闖入してきてしばらくいさせてくれとか言われてびっくりしたと思うよ。
IMDbではユーザー評が7.4と高いです。しかし4月7日公開なのに4月1日現在ですでに203人もの投票があるってどういうことなんだ。みんな試写会で見た人なのか?はたまたUSでは公開予定日のちょっと前に公開されるのが普通なのか?
つか、うわっ、げっ、真田広之が出てるんだ・・・いや、げっとか言ってすみません。真田広之嫌いじゃないです。『たそがれ清兵衛』とか良かったよ。そうかあ、それで日本語グーグルでの「sunshine」検索でもこんなにひっかかってくるんだな。
ところで「ニュースくるくる」というサイトのこの記事に、キリアン・マーフィーがこの映画への「出演をきっかけに神への信仰を失ったと告白している」とか書いてあったのでオヤオヤと思って見てみたんですが、中身を読むと「不可知論者→無神論者」じゃあないですか。不可知論から無神論への傾斜はどちらかというとグラデーション的なもので、「信仰を失った」というとかなり語弊があるように思うぞ。ということで翻訳元のニュースはどうなってるんだと見にいったら
Irish actor Cillian Murphy has lost his faith in God after working on new sci-fi thriller Sunshine.
うーん誤訳ではないようですね。なんか元のニュースがおかしいんだな。それともキリアンがかつてすごい熱心なカトリックだったとかいう情報があるんでしょうか?
とりあえず、『トレインスポッティング』好きなので、見にいってみようと思います。
そんでもって、見逃しました。すんません。キリアンマーフィを検索ワードとして来てくれる人が最近多いんですが、すんません。見逃しました。(5月1日付記)
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時折超つたない英語を喋りますが修行中なのでどうかお許しください。
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