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本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
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Posted by まめやもり - mameyamori - 2010.03.28,Sun
 4年くらい前にトレイラーを見て、ペネロペ・クルスがむちゃくちゃかわいい!これは絶対見にいくわよーんと言い放ったまま、結局見に行かなかったVolverを、ようやっとDVDで借りて見ました。


これがそのトレイラーUK版



 アルモドバルの作品は、実を言うとはじめてです。オール・アバウト・マイ・マザーも見てなかったんよね。このヴォルヴェールを見た後にDVDを借りてきましたが。





 娘時代に両親を火事で亡くした姉妹、ソーレとライムンダは、故郷の村を離れてマドリードに住んでいる。ソーレは独りぐらしでモグリの美容師。ライムンダは清掃婦をして微々たる日銭を稼ぎながら、酒飲みで荒れがちな夫と娘パウラと三人暮らし。ある日、ライムンダが仕事から帰ってくるとパウラが雨の中一人で立っている。どうしたことかと家に戻ってみると、そこには大変なものが待ち構えている。
 そのころ、姉妹のおばが亡くなったという知らせが来るが、それどころでないライムンダは、姉に故郷の葬式には一人で行ってくれと頼む。仕方なく一人で出かけたソーレは、亡きおばの家を見て回っているうちに、不審な足音を聞く。現れたのは、火事で死んだ母親の幽霊だった・・・・・・というあらすじ。


 一言で言うと、「なんか変な映画だったな!」という感じ。こう、台詞回しのタイミングとか、笑いの間のとりかたとか、次から次へと起こる驚くべき事件に対する登場人物のリアクションとか、全体的にこう、「ちょっとズレてる」感じがします。悪い意味ではなく。それがスペイン的な間(というか日本とも英語圏とも異なる間)なのか、はたまた監督アルモドバルの特徴なのかはわからない。でも後で見た「オール・アバウト・マイ・マザー」と比べても、もっとシュールな感じで話が進んでいくなという印象を受けました。

 一緒に見た友人とも終わってから話したんですが、台詞まわしがどことなく性急なんですね。とにかく重大なことが起きてるんだけど、考えない。間を「ためない」。何があってもポンポンポーンと言葉が返ってくる。とりあえず怒ったり泣いたりはするんだけど、(付け焼刃な)案を考え出してエッサエッサと体を動かすし。「どうしようどうしよう」と苦悩したり、頭をかきむしったり、信じられない光景に目を丸くして立ちつくしたり、ぼんやりしたり、そういうことが全くないのね。

 「あたし幽霊になったのよ」「キャーッ、怖い、でもママなのよね。とにかく、ここにいるってみんなに知られちゃいけないわ! ロシア人のふりをしてね!」だとか、「ああなんてこと、目の前に死体が! もうイヤなんでこんなことばかり起こるの、あたしの人生最悪だわ! ところでこの死体どこに埋めましょう」とか。まあちょっとこれは誇張があるんだけど、全体的な流れはこんな感じのような。ある意味悲惨で、重大な話なんだけど、変に滑稽でポジティブな躍動感。そのズレた感じが、大陸ヨーロッパ的でクラシックなんだけど、でも熱帯的な植物や鮮やかなラテン色彩に埋め尽くされた建築と室内装飾の背景のなかに、独特の空気をもって浮かび上がってくる。

 それにしても、隣の部屋まで匂うオナラってないだろう・・・・・・とか、そういう下品なところに突っ込むべきではないのだろうか。あと、ペネロペクルスだけ顔と体のつくりがほかの人とぜんぜん違うので、女性たちのなかでも奇妙に彼女だけ目立ってたなあ。このひと本当に首が長いのね。鶴のようだ。ギンガムチェックのシャツがかわいかったです。

 作品中で犯された殺人の扱い方について、これは絶対に賛否両論があるだろうなあと思う。通常の社会倫理から考えれば、いかなる背景があったにせよ、人殺しがこういう形であいまいになることはあってはならない。また多くのまともな物語創作家ならば、「人を殺してしまった」というテーマを、このように宙ぶらりんにしたまま物語を終えることはしないだろう。死体が見つからないにせよ、ライムンダらがつかまるにせよ、なにかしらの「結末」を用意するだろう。物語を「締める」ことに対する常識的なセンスが、そうさせざるをえないのだ。しかし、この作品においては、「人殺し」という事実が、およびその結果としての「死体」が、けしてドラマの主筋ではなく、あくまで女性たちの関係性を描くための小道具として用いられている。このアルモドバルの皮肉っぽいセンス、そして私自身の「物語常識」の半歩外にあるセンスが、私は嫌いではない。たとえば、ここで「死体がいついつ見つかった」というテロップが流れたり、あるいはライムンダないしパウラが法廷に連れ出されたりすれば、この『帰還』という作品はまったく別の物語になっていただろう。この場合も物語が破綻していたとはかぎらない。が、そのとき、滑稽で「かっこよさ」とは程遠い、どこかズレた姉妹と親子のふれあいについてのお話は、確実にどこかに行ってしまっていただろう。

 実はライムンダの過去にまつわる展開でも、やはり私には独特のズレの感覚があって、なんとなく「ドラマのクライマックスの作り方の作法」が、われわれが慣れ親しんだ英米の作品の、「かっこよく」「凝っている」(けれども陳腐かもしれない)ものとは違うのかなあ、と感じた。そんなこんなで、深刻な過去が暴露された割には、ふわあっとあっけなく終わってしまった感覚がある。けれども後から思い返してみれば、あれこそがアルモドバルが率直に自身の物語構築センスを表現した結果だったのかもしれないなあ、とも思う。

 そんなわけで、ぼんやりした、というか変な印象の作品ではあったのだけれども、この監督に興味は抱いたので、「オール・アバウト・マイ・マザー」の次は「神経衰弱ぎりぎりの女たち」とか「罰あたり修道院の最期」とかを見ようかなあ、と思っている。それにしてもひどい題名ばかり・・・・・・
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