本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.03.27,Tue
わっ、『蟲師』映画化されてるの!
例によってYahooで無理やり表示される広告で今日知りました。遅いよ!とか突っ込まないでください。(Yahooメールログアウトの時のじゃなくて、上に出るバナー状のやつね)
Googleで「蟲師」で検索したら公式サイトがトップにヒットしました。アニメかと思いきや実写なのね。てか監督が大友克洋とは・・・大友さんはあくまで実写にこだわりたかったのでしょうかね。
予告編見てみました。ざっとの感想を言うと
・公式サイトのトップを見た瞬間は「あっ、実写でもわりといけるかも」と思ったが、予告編を見て少し萎えた。
・萎えの最初は「精霊でも、幽霊でも、物の怪でもない」のアナウンスの声で来た。オヤジかジジイの渋い声にしたほうが良かったように思われる。
・あの「淡幽」という名前になっている人(原作でも淡幽でしたか?忘れました)。あの人はイメージが蒼井優という人で合ってるような気がした。
・オダギリジョーは最初いけるかと思ったが、うーん少し「男の子」っぽすぎるような。熱い青年っぽいつうのかなんつうのか。「おれはおまえを助けてやりたい」の台詞でとくにそう感じました。オダギリジョーっていくつ?35とか?今考えてみるとギンコはものすごく枯れたイメージがあるんだなあ。けっしてクールではなく、あくまで枯れてるイメージが。
・あと、「人々を癒し、救う者を蟲師と呼んだ」という言葉はどうかと思うよ。なんか少しヒーローがかっていませんか。蟲師って富山の薬売りみたいなイメージがあったんだが。
・ギンコに限らず、「枯れているのに叙情的、枯れているのに湿度が高くむしろ液体状の感触で、それでいて密度は低い(透明というよりも粗い)」というのが蟲師の全体的な雰囲気であるように思うが、それはあまり活かされていないような。ていうかこれじたい、あまり読者に共有された感触ではないのだろうか? あのこう、なんというか、熱くも冷たくもない、新陳代謝のひどく低い感じの感触ですよ。
・でもなぜ大友克洋が・・・大友克洋の作品って超密度濃いのばっかじゃないか。映画のAKIRAとかそもそもセル画の数だって半端じゃないんでしょう。技術的にも濃いじゃないか。対して漆原友紀は雰囲気もそうだが技術的にも濃くはない。少なくともお世辞にも絵は上手くない。あの感覚的(触覚的)なセンスと「小さなストーリー」を作る力を私は評価しているが。
・いちばん萎えるのは音楽と効果音。ドラマチックすぎてやっぱり枯れた雰囲気が削がれて・・・(しつこい)
とりあえず、小咄ものをヒューマニスティックなドラマチック方向で演出する手法を自分はあんまり好きではないんだということが分かったのと、自分は原作漫画に対してひたすら枯れた、温度の低いイメージを持っていたことが分かった。
なんか悪いところを列挙するばかりになってしまったな。「本編は予告編よりずうっと良かった」ということになるといいですね。まあ、力のある監督が監督するんだから、もしかするとそうなるかもね。
例によってYahooで無理やり表示される広告で今日知りました。遅いよ!とか突っ込まないでください。(Yahooメールログアウトの時のじゃなくて、上に出るバナー状のやつね)
Googleで「蟲師」で検索したら公式サイトがトップにヒットしました。アニメかと思いきや実写なのね。てか監督が大友克洋とは・・・大友さんはあくまで実写にこだわりたかったのでしょうかね。
予告編見てみました。ざっとの感想を言うと
・公式サイトのトップを見た瞬間は「あっ、実写でもわりといけるかも」と思ったが、予告編を見て少し萎えた。
・萎えの最初は「精霊でも、幽霊でも、物の怪でもない」のアナウンスの声で来た。オヤジかジジイの渋い声にしたほうが良かったように思われる。
・あの「淡幽」という名前になっている人(原作でも淡幽でしたか?忘れました)。あの人はイメージが蒼井優という人で合ってるような気がした。
・オダギリジョーは最初いけるかと思ったが、うーん少し「男の子」っぽすぎるような。熱い青年っぽいつうのかなんつうのか。「おれはおまえを助けてやりたい」の台詞でとくにそう感じました。オダギリジョーっていくつ?35とか?今考えてみるとギンコはものすごく枯れたイメージがあるんだなあ。けっしてクールではなく、あくまで枯れてるイメージが。
・あと、「人々を癒し、救う者を蟲師と呼んだ」という言葉はどうかと思うよ。なんか少しヒーローがかっていませんか。蟲師って富山の薬売りみたいなイメージがあったんだが。
・ギンコに限らず、「枯れているのに叙情的、枯れているのに湿度が高くむしろ液体状の感触で、それでいて密度は低い(透明というよりも粗い)」というのが蟲師の全体的な雰囲気であるように思うが、それはあまり活かされていないような。ていうかこれじたい、あまり読者に共有された感触ではないのだろうか? あのこう、なんというか、熱くも冷たくもない、新陳代謝のひどく低い感じの感触ですよ。
・でもなぜ大友克洋が・・・大友克洋の作品って超密度濃いのばっかじゃないか。映画のAKIRAとかそもそもセル画の数だって半端じゃないんでしょう。技術的にも濃いじゃないか。対して漆原友紀は雰囲気もそうだが技術的にも濃くはない。少なくともお世辞にも絵は上手くない。あの感覚的(触覚的)なセンスと「小さなストーリー」を作る力を私は評価しているが。
・いちばん萎えるのは音楽と効果音。ドラマチックすぎてやっぱり枯れた雰囲気が削がれて・・・(しつこい)
とりあえず、小咄ものをヒューマニスティックなドラマチック方向で演出する手法を自分はあんまり好きではないんだということが分かったのと、自分は原作漫画に対してひたすら枯れた、温度の低いイメージを持っていたことが分かった。
なんか悪いところを列挙するばかりになってしまったな。「本編は予告編よりずうっと良かった」ということになるといいですね。まあ、力のある監督が監督するんだから、もしかするとそうなるかもね。
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Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.03.15,Thu
端的に言おう。小野不由美はあまりにエロを描かなすぎだ。『東亰異聞』なんかは色っぽい作品だそうだから描けないわけではないのだろうが、この『屍鬼』は題材が題材である。これは欠点と言われて仕方なかろう。生活空間に満ちた倦怠感、濃厚な死の香り、そして噴出する暴力--------これらを描く素材として、作者はこの小説において「ムラ」と「吸血鬼」を選び、飢えとも渇きともつかぬ衝動を描出しようとしたようだ。しかしもし性的なものを描くつもりが毛頭無かったのだとしたら、この選択は根本的にまちがっていたと言わざるをえない。
勘違い無きように言っておくが、べつに行為としてのセックスを書けと言っているわけでは全くない。わたしがここで言っているのは、キャラクタの造形としぐさと言葉のなかに、言い換えればその存在にエロチシズムがあるかどうか、あるいは風と土と建物の描写のなかに性の熱気と冷気が感じられるかという問題である。あの吸血鬼少女には若干ロリータな色気があると言えないこともないが、それにしても薄すぎる。薄すぎる。
歴史をひもとけば、吸血鬼を題材にした有名作品は多く色濃いエロチシズムを持っている。ドラキュラしかり、カーミラしかり、それは物語が語られるその基調に背景音楽のように流れていたのである。やわらかい肌がぷつんと破けてあたたかい液体が流れ出す光景を、異国の城に立ちこめる不透明なびろうどの暗闇を、グロテスクな断末魔の喘ぎを人びとが思い浮かべるとき、それらのイメージは息詰まるような欲望に充ち満ちていたはずだ。なぜなら、吸血鬼というものはそれじたい、少なくとも現在に連なるイメージにかんする限り、まさに性と闇とを間接的に連想させる記号のコラージュだったからである。
そもそもジャンルとしての「ゴシック」は、厳格な性道徳が確立されていくその時代その場所で花開いたものだった。人間生活の性の側面を公的領域では徹底的に隠蔽する価値観が支配的になるなかで、そこからこぼれ落ちるけれどもどうしても人間の感情や生活から切り離せないものの表象が、「ゴシック」、つまり中世的(かつ時として異教的)というジャンルのなかにいっしょくたに詰め込まれたのである。したがって、それはパブリックでクリーンな合理性とは正反対なもののごちゃ混ぜで、古めかしい伝統、血統、異界/不合理の誘惑と恐怖、エキセントリックな熱情などといった要素と並んで、もう切り離しがたく密接にエロと結びついていたのだ。吸血鬼小説に代表される怪奇ブームを支えていたのは、セクシャルな表象そのものへのフェティッシュな欲求だった。
こんな事を言うと、『屍鬼』はそういう西洋的なゴシックとは別物なんですよ、というひとが出てくるかもしれない。しかし「日本的」に「異形」をとらえてみたところで、それはまた別なかたちで不可分に性とかかわってくるだろう--------近世以前のからっとした(しかしやはりどこか歪んだ)性倫理にせよ、たとえば岩井志麻子に出てくるような汗と汚物にまみれた底なし沼にせよ。(岩井のねばっこさはとても現代的な代物であろうが、「土俗」としての説得力は兼ね備えている。)
誤解を避けるために言っておくが、セックスの表象そのものは闇とも恐怖とも無関係でさしつかえない--------むしろそうあるべきだ。しかし逆は違う。闇と恐怖の造形を、闇を闇たらしめ、恐怖を恐怖たらしめたその社会的な排除と差異化の力を暴露するものとして描くのは、表現者の責務である。なぜなら、いまなおわれわれはその力の呪縛の中に生きているからだ。『屍鬼』においてその連綿たる表象の背景が失われている理由は多分に、作者が「吸血鬼」を実体的な種族raceとして捉えていることにあるだろう。吸血鬼にだって色々居るんだよ、でも一度火が燃え上がったらその種族に属するものは皆殺しにされてしまう、集団化した人間はかくも恐ろしい、とかそういうことを、小野不由美は現実社会のメタファとして描こうとしたように思える。
おそらく小野不由美は優等生すぎるのだ。「吸血鬼」という存在に付されたエロティシズムと自分勝手な欲望とをミーハー的に受け入れることが、彼女には出来なかったのだろう。だがそのために、魔物をつくりだし排除をうみだす歴史的・社会的な仕組みについての洞察はむしろ失われ、同時に死も生も神もなにやら絵に描いた餅のようになってしまったのである。
だいたいにおいて、この小説ちと人間の体臭と空気の湿度・密度が薄すぎではないか。たとえばあの主人公的な立場の坊さん、彼などはすみずみにいたるまでまったく体臭が感じられない。言葉づかいのせいか?少年同士、嫁姑といった人間関係もあまりにも単線的に描かれすぎていて、エゴイスティックな欲求とコンプレックスと羨望とが混じり合う様子はあまり伝わってこない。そのために、数百頁に及ぶ冗長な描写にもかかわらず、前半における人びとの欺瞞と倦怠感と、後半で噴出するファッショな排他的暴力とがうまく折り合わず、なにやらちぐはぐな印象になってしまったのではないか。
・・・気づけばなんだかめたくそに書いてしまったが、それも小野不由美がそれなりにまともな小説を書く人だという認識があってこそ。わたしも十二国記は好きです。
(18.Mar.2006)
Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.03.15,Thu
知人が1930年代・40年代の日本アニメが見られるリンクを送ってきた。
ちょっとご覧くださいよこれ 一見の価値があるぜ。
とりあえず一本目(「狐狸の達引」1933年、10分程度)の感想。
紹介文章には「意外としっかり動いていることに驚くはずだ」とあるのだけれども、わたしが驚いたのはそのほかにも色々あって、
・人物や動物の造型(デフォルメの仕方が想像以上に現在のに近い)
・過去をパロディ化する、あるいは過去と現在を「ありえない」形でごたまぜにして笑いを取るという発想がすでにある
(「おさむらい」の時代であるはずの舞台の中に、ギャグとして1930年代当時とおぼしき電話や拳銃が出てくる)
など。
一番目に関して言えば、『のらくろ』とかを考えればそれほど驚きではないのかも知れないが、ああいう漫画はやっぱりどうしても字体(漢字とカタカナ)を見て古ッ、と思ってしまうわけだ(そのレトロが好きという人もいるのかもしれないが、それも現代との隔絶感ゆえのものに違いはない)。しかしあのレトロな台詞が声に出して読まれてみると、意外なほどに違和感がないもんで、動物とかの造型までもなんだか現代的な気がしてくる。
そうしてもっと意表を突かれたのは二番目の点。これは視聴者が各々のマテリアル(音、器物、服装、機械)についてそれぞれが象徴する「時代」を読み取り、それがごたまぜになっている(変なものが混じり込んでいる)んだと瞬時に了解しなければ成立しえないナンセンスギャグである。それが、テレビなどによる視覚的情報がまだ普及・氾濫していなかったはずのアニメの黎明期に、既にしてあったのかという驚き。至極現代的な感覚、少なくとも漫画やアニメがもっと普及してくる60年代とか70年代とかそれ以降の感覚だと思っていました。
まあ、それだけ当時「電話機」や「拳銃」が、昔はなかったもの、新しいものとして時代の象徴と見なされていたということかも知れない。
もしくはこうしたナンセンスも、戦前の漫画なんかに既に見られているのかしらん。詳しくないのですが。
あと、紹介ページにリンク貼ってある解説ページにも書いてあることだけれども、やっぱり構図が大胆というのも本当にそう。動きが遅くて荒いわりに、妖怪たちの戦闘シーンがすごくテンポ良いというか小気味よくて、好きです。かわいい。
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怠け者のちいさなやもりですが色々ぶつぶつ言うのは好きなようです。
時折超つたない英語を喋りますが修行中なのでどうかお許しください。
A tiny lazy gecko (=yamori) always mumbling something
Please excuse my poor English -- I am still under training
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