本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.06.08,Fri
おおお・・・一仕事終わった・・・しめきり一日遅れた・・・ダメ人間・・・と思いきや、まだ書かなきゃならんものがあるよ、と知らされる。まあたいした量じゃないんだけど、めんどくせえ。オオ・・・きちんと確認していなかった自分が悪いんだけど。今日の午後までに仕上げろとのお達し。逃避にブログ書く。(余計ダメ人間度アップ)
検索サイトから来られる方の検索ワードを見ていると、ときおり興味深いものがある。関連エントリのなかで、検索者が求めていると思われる情報が微妙に微妙なラインで書かれていない場合も多く、少し気になる。ので、以下補足的な情報を書いてみる。
・ジキル ハイド 切り裂きジャック
そういえば以前のエントリ(→ ★)では『ジキル博士とハイド氏』を19世紀末の怪奇趣味のなかでまとめて挙げただけで、当該作品と切り裂きジャックのあいだの関係性については言及しなかった。
R.S.スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』は事件より2年前の1886年に出版された作品で、そういう意味では切り裂きジャック事件がスティーヴンソンをインスパイアしたりしたわけではない。
直接的な関連として挙げられるのは、切り裂きジャック事件と同時期に『ジキルとハイド』の演劇版の上演が大成功を収めており、そのおどろおどろしい内容のために、出演した俳優こそが切り裂きジャックその人であるという噂が流れた、ということらしい。
スティーヴンソンの原作において、ハイドは怪しく醜く欲望に忠実な人間ではあるが、記憶では殺人に関わるのもたしか一回きりだし、「血に飢えた連続殺人犯」というイメージではない。そのへんがどうも腑に落ちなかったのだが、『ジキルとハイド』の翻案のなかにはハイドが凄惨な連続殺人を犯したり、はたまた義賊であったりするような様々なバージョンがあるようなので、この演劇もその一つだったのかもしれない。
間接的な関連としては無数の可能性があるけれども、前回にも書いたとおり、当該時期のロンドンには、下町の急速なスラム化および怪奇趣味ブームがあいまって、「ふとした街角に潜む人智を超えた邪悪」への想像力と恐怖が満ち満ちていた、ということである。そうした空気の産出に、両者はともに一役買っているであろう。
なお、この「人智を超えた邪悪」のイメージには、ダーウィン主義の大衆社会への普及が影響しているという論もある。チャールズ・ダーウィン『種の起源』の最初の出版は1859年だが、その後数十年のあいだに、「人間は猿から進化した」という発想は、どこか歪んだ、どこか寓意的な形で一般の人びとにとらえられるようになっていたようだ。そうした発想が一方では、「より原始的な人種」をアジア人やアフリカ人のなかに見いだし、ヨーロッパ社会による他社会への支配を正当化する方向へとむかっていくというのは有名な話だが、他方で人びとは、自分たち自身のなかに眠っているかもしれない「人間でないもの」に対する恐怖と、また一抹のあこがれをも募らせていたという。この背景には、市民であること(シティズンシップ)倫理の発達も影響しているだろう(※)。
ジキル氏の人物像は倫理的で尊敬できる「よき市民」の典型であるわけだが、かれのなかで少しずつハイド氏としての人格が比重を大きくしていく過程には、そうした「よき市民」倫理の人工性や抑圧性に対する疑いが読み取れる。作者スティーヴンソンがそうした倫理に対しどのような態度をとっていたのかは知らないが、少なくとも彼の作品が社会に受けいれられた地盤としては、「理性のとどかない闇、人間の法や倫理の届かない獣性がわれわれ人間の内部にある」という人間本質論みたいなものが、当時期のイギリスに広く浸透していたのではないだろうか。
※ きちんと読んでないが、イングランド人/大英帝国人の観念の発達とゴシック・ホラーの関係を論じた論文でオンラインで読めるの(→ ★)をみっけた。たぶんこのほかにもたくさんあるのだろう)
なおわたしは19世紀大衆英文学の専門でもないので、上記のは一人のアマチュアがこれまで触れたアマチュア知識にお気軽にネットでちょびっと調べたものをつけたして書いた程度のものである(しかしこうして書いてみると信憑性の怪しい文章だ)。この時期の数ある怪奇作品のなかでピンポイントで『ジキルとハイド』を狙って検索してくるあたり、検索者は実は私が上に書いたことなどとっくに知っている気がしないでもないのだが、念のため記してみた。
検索サイトから来られる方の検索ワードを見ていると、ときおり興味深いものがある。関連エントリのなかで、検索者が求めていると思われる情報が微妙に微妙なラインで書かれていない場合も多く、少し気になる。ので、以下補足的な情報を書いてみる。
・ジキル ハイド 切り裂きジャック
そういえば以前のエントリ(→ ★)では『ジキル博士とハイド氏』を19世紀末の怪奇趣味のなかでまとめて挙げただけで、当該作品と切り裂きジャックのあいだの関係性については言及しなかった。
R.S.スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』は事件より2年前の1886年に出版された作品で、そういう意味では切り裂きジャック事件がスティーヴンソンをインスパイアしたりしたわけではない。
直接的な関連として挙げられるのは、切り裂きジャック事件と同時期に『ジキルとハイド』の演劇版の上演が大成功を収めており、そのおどろおどろしい内容のために、出演した俳優こそが切り裂きジャックその人であるという噂が流れた、ということらしい。
スティーヴンソンの原作において、ハイドは怪しく醜く欲望に忠実な人間ではあるが、記憶では殺人に関わるのもたしか一回きりだし、「血に飢えた連続殺人犯」というイメージではない。そのへんがどうも腑に落ちなかったのだが、『ジキルとハイド』の翻案のなかにはハイドが凄惨な連続殺人を犯したり、はたまた義賊であったりするような様々なバージョンがあるようなので、この演劇もその一つだったのかもしれない。
間接的な関連としては無数の可能性があるけれども、前回にも書いたとおり、当該時期のロンドンには、下町の急速なスラム化および怪奇趣味ブームがあいまって、「ふとした街角に潜む人智を超えた邪悪」への想像力と恐怖が満ち満ちていた、ということである。そうした空気の産出に、両者はともに一役買っているであろう。
なお、この「人智を超えた邪悪」のイメージには、ダーウィン主義の大衆社会への普及が影響しているという論もある。チャールズ・ダーウィン『種の起源』の最初の出版は1859年だが、その後数十年のあいだに、「人間は猿から進化した」という発想は、どこか歪んだ、どこか寓意的な形で一般の人びとにとらえられるようになっていたようだ。そうした発想が一方では、「より原始的な人種」をアジア人やアフリカ人のなかに見いだし、ヨーロッパ社会による他社会への支配を正当化する方向へとむかっていくというのは有名な話だが、他方で人びとは、自分たち自身のなかに眠っているかもしれない「人間でないもの」に対する恐怖と、また一抹のあこがれをも募らせていたという。この背景には、市民であること(シティズンシップ)倫理の発達も影響しているだろう(※)。
ジキル氏の人物像は倫理的で尊敬できる「よき市民」の典型であるわけだが、かれのなかで少しずつハイド氏としての人格が比重を大きくしていく過程には、そうした「よき市民」倫理の人工性や抑圧性に対する疑いが読み取れる。作者スティーヴンソンがそうした倫理に対しどのような態度をとっていたのかは知らないが、少なくとも彼の作品が社会に受けいれられた地盤としては、「理性のとどかない闇、人間の法や倫理の届かない獣性がわれわれ人間の内部にある」という人間本質論みたいなものが、当時期のイギリスに広く浸透していたのではないだろうか。
※ きちんと読んでないが、イングランド人/大英帝国人の観念の発達とゴシック・ホラーの関係を論じた論文でオンラインで読めるの(→ ★)をみっけた。たぶんこのほかにもたくさんあるのだろう)
なおわたしは19世紀大衆英文学の専門でもないので、上記のは一人のアマチュアがこれまで触れたアマチュア知識にお気軽にネットでちょびっと調べたものをつけたして書いた程度のものである(しかしこうして書いてみると信憑性の怪しい文章だ)。この時期の数ある怪奇作品のなかでピンポイントで『ジキルとハイド』を狙って検索してくるあたり、検索者は実は私が上に書いたことなどとっくに知っている気がしないでもないのだが、念のため記してみた。
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Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.05.30,Wed
昔読んだ『ヰタ・セクスアリス』を、青空文庫でちらちら眺めていたら次のような記述に行き当たった。
そのうちに出歯亀(でばかめ)事件というのが現われた。出歯亀という職人が不断女湯を覗く癖があって、あるとき湯から帰る女の跡を附けて行って、暴行を加えたのである。どこの国にも沢山ある、極て普通な出来事である。西洋の新聞ならば、紙面の隅の方の二三行の記事になる位の事である。それが一時世間の大問題に膨脹(ぼうちょう)する。所謂(いわゆる)自然主義と聯絡(れんらく)を附けられる。出歯亀主義という自然主義の別名が出来る。出歯るという動詞が出来て流行する。金井君は、世間の人が皆色情狂になったのでない限は、自分だけが人間の仲間はずれをしているかと疑わざることを得ないことになった。
『ヰタ・セクスアリス』を以前に読んだのは定かでないがたしか高校生の頃で、もうXXX年も昔のこと。こんな記述があったことはすっかり忘れている。
それにしてもこの記述。もしかして出歯亀というのは実在の人間だったのか。驚いてちょっと検索してみたところ、なんと1908年に起きた強姦殺人事件の容疑者ということではないか。なんと・・・。もしかしてこれは良く知られた話なのか。しかしものを知らんなあ自分。
ウィキペディアのページを見てみると、どうやら当該事件は直後から長く冤罪疑惑が付きまとっているいわくつきの事件でもあるらしい。
ウィキペディアは変な記事が多いというか大半が変な記事のような気もするのだが、この出歯亀の項目はなぜだか文章が落ち着いている。「窃視趣味と強姦殺人(あるいは致死)との間には大きな隔たりがある」などはまったくその通りだろう。「なお歯科医の立場からは、歯の噛み合わせと好色とには相関関係は無いとされる」などの馬鹿馬鹿しい一文や(冗談のつもりかもしれないがそれにしてもできが良くない)、「その他」項目をのぞけば、まともな部類に入るのではないか。
いっぽう、手元の広辞苑(第五版)には
でば-かめ【出歯亀】
(明治末の変態性欲者池田亀太郎に由来。出歯の亀太郎の意)女湯をのぞくなど、変態的なことをする男の別称。
と、あるが、上記のような事件の性質を考えればこの記述は酷すぎないか。
冤罪うんぬんを脇に置くとしても、かりにも強姦殺人という深刻な事件をこういうふうに扱うのはどんなものか・・・ううむ・・・いや辞書の性質上、くわしいことを書けないのはわかっているつもりなんですが。
まあそんなことを言ったら、そういう深刻な事件にたいして出歯亀主義とか出歯るとかアホなこと言って喜んでる明治の文壇もこう、なんというか・・・救いようがないというか。・・・出歯るって、なあ。やたらレトロモダンな語感(10年くらい前の語感)の造語であるのがよけいアホくさい。(コクるとかスタバるとかそのへんの)
Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.05.25,Fri
おろっ、ジャファル・パナヒのOffsideが日本公開されるのね。
8月下旬からだそうです。
あれは素敵な映画でした。見てくれ。
昨年7月に書いたレビューは → コチラ
原題のOffsideは、もちろんサッカーのルールとして有名なオフサイドであるんだけど、「競技のできない位置からプレーする」という当該ルールの原義的な意味に、うまーくひっかけてある、らしいです。わたしサッカーに対する知識皆無なのでよくわかりませんが。
試合観賞も試合への熱狂(=サポーターにとっての「プレー」)もできないはずの会場の外で、なお試合を楽しむ(楽しもうと必死に努力する)少女たち、という意味であると同時に、「競技の出来ない位置=女性」という立場にありながら、なおサッカーという熱狂的現象にコミットしようとする少女たち、という意味合いもこもっている気がします。
なんか公開が近いのに日本語でこの映画取り上げてる記事があんまりないようですが(日本語オフィシャルサイトがまだないのかしら?)、 →シネマトピックスとかいうサイトのページ のリンクを貼っておく。
8月下旬からだそうです。
あれは素敵な映画でした。見てくれ。
昨年7月に書いたレビューは → コチラ
原題のOffsideは、もちろんサッカーのルールとして有名なオフサイドであるんだけど、「競技のできない位置からプレーする」という当該ルールの原義的な意味に、うまーくひっかけてある、らしいです。わたしサッカーに対する知識皆無なのでよくわかりませんが。
試合観賞も試合への熱狂(=サポーターにとっての「プレー」)もできないはずの会場の外で、なお試合を楽しむ(楽しもうと必死に努力する)少女たち、という意味であると同時に、「競技の出来ない位置=女性」という立場にありながら、なおサッカーという熱狂的現象にコミットしようとする少女たち、という意味合いもこもっている気がします。
なんか公開が近いのに日本語でこの映画取り上げてる記事があんまりないようですが(日本語オフィシャルサイトがまだないのかしら?)、 →シネマトピックスとかいうサイトのページ のリンクを貼っておく。
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怠け者のちいさなやもりですが色々ぶつぶつ言うのは好きなようです。
時折超つたない英語を喋りますが修行中なのでどうかお許しください。
A tiny lazy gecko (=yamori) always mumbling something
Please excuse my poor English -- I am still under training
時折超つたない英語を喋りますが修行中なのでどうかお許しください。
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