本、漫画、映画のレビューおよび批評。たまにイギリス生活の雑多な記録。
Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.07.01,Sun
たまには時事ネタで。
昨日のロンドンはヘイマーケットでの爆弾自動車発見のニュースから一夜明けて、今度はスコットランド・グラスゴー空港での事件。
一台のジープが空港のメインエントランスに突っ込み、その車が炎上しはじめたという話。車に乗っていた二人は、車の炎上と共に脱出をはかったが、その場で逮捕されている。
この事件をもって、UKの現在の警戒度は最高レベルの「危機的critical」となった。
BBCオンラインによるとUK時間午後11時の時点でグラスゴーへ向かう、あるいはグラスゴーから飛び立つフライトは全部停止状態になってるようです。
なんだかきな臭さが惨憺たるありさまになってきた。ナイトクラブという場所を狙った昨日の爆弾も衝撃的だったが、個人的には、これがグラスゴーで起こったということの重要性もまた、でかい気がする。ロンドンは腐ってもUKの首都であって、「イラク侵攻」の象徴のひとつであったろう。しかしグラスゴーは違う。人口にしてUKで第3か第4の大産業・商業都市とはいえ、UKの政治的中心ではないのだ。しかも、歴史的に大英帝国や英国支配が取りざたされるとき、「支配者」として想定されてきたイングランドに属してすらいない。UKを構成する主要なネイションとして、現在は実質的にイングランド社会とほぼ同等の社会・経済権益を享受してきてはいるけれども、スコットランドは歴史的観点からは自らを「イングランド支配に抗う者」と見なすネイションなのである。
まあ、たぶんに「狙いやすかった」とか、都市でなく空港それじたいの規模とか重要性とか、そういうのがバーミンガムでもマンチェスターでもなくグラスゴーが狙われた理由なのかもしれないが、それにしてもスコットランドでこれが起こった以上、UKのどこでもこれが起こりうると考えるべきだろう。少なくともUKの主要な空港すべてが、もはや「安全」とはいえない場所になったのだ。なお現在の所、エジンバラおよびイングランド北部のニューキャッスルやリバプールの空港で、車のアクセスが制限されているようである。
昨年ヒースローでの液体爆弾持ち込み未遂事件の直後、空港のセキュリティチェックがえらいことになったのを鬱々と思い出す。あらゆる化粧品や多くの薬が持ち込みを制限され、乳幼児の命にかかわりかねないミルクなどにいたっては、親がそれを捜査員の目の前で飲むことまでが要求された数ヶ月間。そうしてあれが印象づけたのは、「テロ対策」方針の限界だったように思う。
かつて(現在でも世界の多くの場所でそうなのだが)「潜在的テロリスト」として扱われたのは特定の民族や特定の集団であって、厳重な警戒態勢は局所的に用いていれば良いものだった。それは多くの場合、「先進国」の中心から遠い場所の話だった。だからこそ暴力的で、時には人権侵害的とすら言われるような警戒と捜査が可能だったのだ。だが、くだんの液体爆弾事件の後に導入されたのは、UK最大の出入り口たるロンドン・ヒースローにおいて、「チェックを抜ける誰もが危険な犯人であるかもしれない」と想定する、そういう捜査システムである。フライトの多くがキャンセルされ、セキュリティチェックを抜けるのに時には4時間以上がかかり、混乱のなかで荷物の多くが行方不明になる。結果、社会的に経済的に、そうして世論的に多くの支障が出てくる。
結局、UKの中心地であらゆる「市民」を潜在的犯人扱いするシステムが数ヶ月も立ちゆくはずがない。そもそも無理があるのだ。事件が起こってはセキュリティレベルを引き上げ、社会が立ちゆかなくなり、セキュリティレベルを引き下げ、そうしてまた事件が起こる。繰り返しである。
加えれば、どれだけ厳重なセキュリティチェックをしても、あらゆる事態を想定することなど到底不可能なのだ。先日、BBCニュースである保安関係の捜査員が言っていた。「100回に一回の成功で向こうは勝つ。我々は100回に一回の失敗で負ける」。
「向こうthey」という漠然とした語で想定されているものは、じっさいの捜査においていったい誰に向けられる視線なのだろうか。この言葉が明瞭に示しているのは「包囲された恐怖」にひどく近いものではなかろうか。「包囲の心理 siege mentality」とは心理学の用語で、自分が敵に囲まれており常に抑圧や攻撃にさらされていると感じる精神状態のことだ。民族紛争や政治紛争において、この心理状態はしばしば経済的にも政治的にも他方を圧倒しているはずの、いわゆる支配集団に見られた。そうした集団の意見を代弁するレトリックの中には、「犠牲者」観の複雑な転倒が見られるのである。
今日UK国内において(詳細を知らないがUSAにおいてもそうか?)「対テロ」活動が支持される心理に特徴的なのは、本来的には数においてすら「相手」を圧倒しているはずでありながら、その「相手」がどこに潜んでいるかわからないという恐怖ゆえに、この「包囲の心理」に近いものが発生していることではなかろうか。「大多数の市民は無実のはずだが、彼らと同じ顔をした危険分子がどこに潜んでいるのか知れない」・・・そういう心理である。現在その「潜在的危険分子」と見なされやすくなっているのは、パキスタン系や中東系の顔立ちや名前を有した人びとである。だが捜査線上に浮かび上がる「容疑者」の群像はより複雑なものになっているし、UKが多文化社会の実現をうたう以上、人種や民族で人を犯罪者扱いしているとの疑いは、当局と言えども絶対的に避けなくてはならないところである。恐怖の対象はより漠然としていくばかりだ。
離れた何かを力でねじふせようとするポリティクスは、まさにそのポリティクスのお膝元の社会をひたすら強迫神経的な弛緩と恐怖に陥れる結果になったのではないか。数日前に新首相に就任したゴードン・ブラウンが喋る。「いまやあらゆるイギリス人が自警団員たるべきだ...イギリスの人びとが団結し、一つになり、断固として強くあろうことを、私は知っている。」このさして目新しくもない発言に、しかしながら見えるはまさしく集団的包囲の心理である。ただしここにおいて誰が「あらゆるイギリス人」に含まれるのか、それは「敵」の視覚的な不透明性ゆえに、「自警団員」たらんとするか否かという各々の個人の「態度」で決定される。「敵」の造型が曖昧なら、「一丸となる」集団の境界もまた、ひどく恣意的である。
漠然とした「包囲の心理」にとらわれた集団が、時として過激なまでに攻撃的・抑圧的な方向へと走っていくのは、歴史の中でしばしば見られた現象である。ブラウンの見る団結の先ははやくも暗澹としている。
とりあえず、UKを訪ねてきて一週間前に日本に帰国した友人に、今来ていなくて良かったねと伝えておくことにしよう・・・もしいま来てたらチェック抜けるのかなり憂鬱だったんじゃないかと思うよ・・・
昨日のロンドンはヘイマーケットでの爆弾自動車発見のニュースから一夜明けて、今度はスコットランド・グラスゴー空港での事件。
一台のジープが空港のメインエントランスに突っ込み、その車が炎上しはじめたという話。車に乗っていた二人は、車の炎上と共に脱出をはかったが、その場で逮捕されている。
この事件をもって、UKの現在の警戒度は最高レベルの「危機的critical」となった。
BBCオンラインによるとUK時間午後11時の時点でグラスゴーへ向かう、あるいはグラスゴーから飛び立つフライトは全部停止状態になってるようです。
なんだかきな臭さが惨憺たるありさまになってきた。ナイトクラブという場所を狙った昨日の爆弾も衝撃的だったが、個人的には、これがグラスゴーで起こったということの重要性もまた、でかい気がする。ロンドンは腐ってもUKの首都であって、「イラク侵攻」の象徴のひとつであったろう。しかしグラスゴーは違う。人口にしてUKで第3か第4の大産業・商業都市とはいえ、UKの政治的中心ではないのだ。しかも、歴史的に大英帝国や英国支配が取りざたされるとき、「支配者」として想定されてきたイングランドに属してすらいない。UKを構成する主要なネイションとして、現在は実質的にイングランド社会とほぼ同等の社会・経済権益を享受してきてはいるけれども、スコットランドは歴史的観点からは自らを「イングランド支配に抗う者」と見なすネイションなのである。
まあ、たぶんに「狙いやすかった」とか、都市でなく空港それじたいの規模とか重要性とか、そういうのがバーミンガムでもマンチェスターでもなくグラスゴーが狙われた理由なのかもしれないが、それにしてもスコットランドでこれが起こった以上、UKのどこでもこれが起こりうると考えるべきだろう。少なくともUKの主要な空港すべてが、もはや「安全」とはいえない場所になったのだ。なお現在の所、エジンバラおよびイングランド北部のニューキャッスルやリバプールの空港で、車のアクセスが制限されているようである。
昨年ヒースローでの液体爆弾持ち込み未遂事件の直後、空港のセキュリティチェックがえらいことになったのを鬱々と思い出す。あらゆる化粧品や多くの薬が持ち込みを制限され、乳幼児の命にかかわりかねないミルクなどにいたっては、親がそれを捜査員の目の前で飲むことまでが要求された数ヶ月間。そうしてあれが印象づけたのは、「テロ対策」方針の限界だったように思う。
かつて(現在でも世界の多くの場所でそうなのだが)「潜在的テロリスト」として扱われたのは特定の民族や特定の集団であって、厳重な警戒態勢は局所的に用いていれば良いものだった。それは多くの場合、「先進国」の中心から遠い場所の話だった。だからこそ暴力的で、時には人権侵害的とすら言われるような警戒と捜査が可能だったのだ。だが、くだんの液体爆弾事件の後に導入されたのは、UK最大の出入り口たるロンドン・ヒースローにおいて、「チェックを抜ける誰もが危険な犯人であるかもしれない」と想定する、そういう捜査システムである。フライトの多くがキャンセルされ、セキュリティチェックを抜けるのに時には4時間以上がかかり、混乱のなかで荷物の多くが行方不明になる。結果、社会的に経済的に、そうして世論的に多くの支障が出てくる。
結局、UKの中心地であらゆる「市民」を潜在的犯人扱いするシステムが数ヶ月も立ちゆくはずがない。そもそも無理があるのだ。事件が起こってはセキュリティレベルを引き上げ、社会が立ちゆかなくなり、セキュリティレベルを引き下げ、そうしてまた事件が起こる。繰り返しである。
加えれば、どれだけ厳重なセキュリティチェックをしても、あらゆる事態を想定することなど到底不可能なのだ。先日、BBCニュースである保安関係の捜査員が言っていた。「100回に一回の成功で向こうは勝つ。我々は100回に一回の失敗で負ける」。
「向こうthey」という漠然とした語で想定されているものは、じっさいの捜査においていったい誰に向けられる視線なのだろうか。この言葉が明瞭に示しているのは「包囲された恐怖」にひどく近いものではなかろうか。「包囲の心理 siege mentality」とは心理学の用語で、自分が敵に囲まれており常に抑圧や攻撃にさらされていると感じる精神状態のことだ。民族紛争や政治紛争において、この心理状態はしばしば経済的にも政治的にも他方を圧倒しているはずの、いわゆる支配集団に見られた。そうした集団の意見を代弁するレトリックの中には、「犠牲者」観の複雑な転倒が見られるのである。
今日UK国内において(詳細を知らないがUSAにおいてもそうか?)「対テロ」活動が支持される心理に特徴的なのは、本来的には数においてすら「相手」を圧倒しているはずでありながら、その「相手」がどこに潜んでいるかわからないという恐怖ゆえに、この「包囲の心理」に近いものが発生していることではなかろうか。「大多数の市民は無実のはずだが、彼らと同じ顔をした危険分子がどこに潜んでいるのか知れない」・・・そういう心理である。現在その「潜在的危険分子」と見なされやすくなっているのは、パキスタン系や中東系の顔立ちや名前を有した人びとである。だが捜査線上に浮かび上がる「容疑者」の群像はより複雑なものになっているし、UKが多文化社会の実現をうたう以上、人種や民族で人を犯罪者扱いしているとの疑いは、当局と言えども絶対的に避けなくてはならないところである。恐怖の対象はより漠然としていくばかりだ。
離れた何かを力でねじふせようとするポリティクスは、まさにそのポリティクスのお膝元の社会をひたすら強迫神経的な弛緩と恐怖に陥れる結果になったのではないか。数日前に新首相に就任したゴードン・ブラウンが喋る。「いまやあらゆるイギリス人が自警団員たるべきだ...イギリスの人びとが団結し、一つになり、断固として強くあろうことを、私は知っている。」このさして目新しくもない発言に、しかしながら見えるはまさしく集団的包囲の心理である。ただしここにおいて誰が「あらゆるイギリス人」に含まれるのか、それは「敵」の視覚的な不透明性ゆえに、「自警団員」たらんとするか否かという各々の個人の「態度」で決定される。「敵」の造型が曖昧なら、「一丸となる」集団の境界もまた、ひどく恣意的である。
漠然とした「包囲の心理」にとらわれた集団が、時として過激なまでに攻撃的・抑圧的な方向へと走っていくのは、歴史の中でしばしば見られた現象である。ブラウンの見る団結の先ははやくも暗澹としている。
とりあえず、UKを訪ねてきて一週間前に日本に帰国した友人に、今来ていなくて良かったねと伝えておくことにしよう・・・もしいま来てたらチェック抜けるのかなり憂鬱だったんじゃないかと思うよ・・・
PR
Posted by まめやもり - mameyamori - 2007.04.16,Mon
ヴィクトリア朝後期の1888年、ロンドンの下町イースト・エンドにおいて、10週間のあいだに5人の女性が次々と殺される事件が起こった。遺体はいずれも喉を真一文字に裂かれており、犠牲者の一部は身体の一部を切りとられ、また最後の犠牲者はもとの体の原型をとどめないまでに無惨にバラバラにされた状態で見つかった。
その間、警察や新聞会社には連続殺人犯を名乗る数多くの手紙が送りつけられたが、多くはイタズラと思われるそのなかに、警察しか知らないはずの情報を記したものがあった:
「次の仕事じゃご婦人の耳を切りとって警官様に送りつけてやるよ、ちょっとしたお楽しみにな、え?」
その手紙の消印の翌日に発見された遺体は、確かに片耳を切りとられていたのである。警察はがぜんその手紙に注目しはじめた。赤いインクで記されたその手紙にはこう署名されていた——「Jack the Ripper」。
最終的には迷宮入りし、真実が闇の中となったこの「切り裂きジャック」事件は、その謎めいた結末のためもあってか世界でもっとも有名な連続殺人事件のひとつとなっており、数多くの小説や映画やドラマがこの事件を題材として取り上げてきたようである(ちなみに英語版Wikipediaの"Jack the Ripper fiction"という項目で、この事件をフィーチャーしたフィクション作品のリストが見られる。いっぱいあるねー・・・)。今をときめく男優ジョニー・デップが主演した『フロム・ヘル』 (2001)もこの事件を脚色したストーリーである。あれはジョニー・デップがカッコヨカッタのと、下町女性のドレスが揺れるデコルテと黒いレースで色っぽかったほかは大して見るべくもない映画であったが、とりあえずそれは余談である。
なおさらに余談となるが、映画From Hellの原作はアラン・ムーアとエディ・キャンベルによるグラフィック・ノベル(コミック)である。ちなみにアラン・ムーアはThe League of the Extraordinary Gentlemen、すなわちショーン・コネリーが出た同名映画・邦題『リーグ・オブ・レジェンド』(2003年)の原作者でもある。)
また今日のイギリスでは、「切り裂きジャック」という語はメディア等で頻繁に比喩やジョークとして使用されてもいる。もしかしたら読者の方々も、昨年12月にイングランドのサフォークで起こった連続殺人事件のさい、メディアが「現代の切り裂きジャック」という言葉を頻用したのを覚えているかもしれない。両事件ともに性サービス業にかかわる女性たち、いわゆる「売春婦prostitutes」が犠牲者となっていたことが、その理由でもあった。
さて、今回のエントリでわざわざこんなものを取り上げるのは、ほかでもない。日曜日の昼近くにようやく目をこすりながら起きてBBCラジオをつけたらば、"The Things We Forgot to Remember"という番組がやっていて、それがこの切り裂きジャックを扱っていて、さらにはそれがむやみに興味深い番組だったせいである。
ここからReal Playerで聞けます。30分の番組。
このさして長くもない番組が狙っていたのは、切り裂きジャック事件をガイダンスすることではない。さらに、「もしもこの番組を切り裂きジャックが誰だったのかをめぐる新シリーズだと思われているならば、申し訳ないがあなたをがっかりさせることになる」——番組の冒頭ではそう語られてもいる。この番組がとりあげたのは、むしろ切り裂きジャック事件に人々が熱狂し震撼し恐怖した、その背後にいかなる社会構造と経済構造と歴史のダイナミズムがあったのか、そのなかで社会にいかなる「感情」が満ち満ちていたのかという関心である。その顔も、姿も、実在の真偽すら知らないまま、誰もがセンセーショナルに言及しつづけた「切り裂きジャック」。その「人物」ないしその影が、当該時代をいかなるものとして示しているのか——それは何のメタファーなのか——、すなわちそういう関心である。
ある歴史的事件について、その「真相」をあらたに語り直すのではなく、関連する人物、場所、その他の要素の表象が交錯するひとつの言説として事件をとらえ、それらの背後にある社会経験との総体の中に、「時代」を見ようとする——。これがけして単純な試み、単純な物の見方でないことはすぐにわかるだろう。もちろん歴史を語り直すという意味では同じなのだが、「語るための素材」と「語ろうとするもの」の関係が前者と後者ではずいぶん違う。
もちろん、この後者だって、歴史学あるいは一部の文芸批評のなかではここ20年くらいで見慣れた手法となったように言われている。だが、そうは言ってもまっとうな研究として実践できる研究者はそれほど多くない。ましてや、広く一般に受け入れられている歴史観でもないだろう。それが日曜のお昼1時からお茶の間むけに放送される歴史番組の手法であったということに、わたしは少し驚いたのだった。
だが、そうした素材と対象が云々とかいう議論は置いておくとしても、なお、番組はいろいろな意味で興味深く聞けると思う。以下に概要を示してみるが・・・
まず論じられるのは、現在「切り裂きジャック」として周知のところとなっている事件のほかにも、1880年代当時のロンドンの新聞は、似たような残虐事件、猟奇事件、性犯罪の報道に溢れていたということである。そうした報道からは、当時の社会全体に満ちていた得体の知れない恐怖がうかがえるのであり、「切り裂きジャック」はそれを端的に象徴する格好のキャラクターだった。だが、「彼」が象徴していたもうひとつの側面がある——「こんな野蛮人の恐ろしい蛮行が、この【大英】帝国の中心で起こるなんて」と、あるリスペクタブルな(中産以上の階級の)女性が新聞紙上で語るとき、その「野蛮人」と「蛮行」は、切り裂きジャック本人を指し示すと同時に、漠然と「それ以外の何か」あるいは「それが象徴する集団・空気」を示していたかも知れない、というのである。
前もって言ってしまえば、この番組のねらいは、漠然と恐怖されたその何かを、「起こったかも知れない革命」と結びつけることにある。その語るところによれば、折しもフランス革命からちょうど100年が経過しており、当時のイギリスでは社会革命の必要性を説く動きが力を増してきていた、という。当然ながらその地盤には、産業革命の本格的な進展と同時に進んだおそるべき貧富の格差が存在した。また1880年にはひどい不況があり、失業率は跳ね上がっていた。そうして切り裂きジャック事件が起こったイースト・エンドのホワイトチャペル地区は、ロンドンでも最も貧しい地域のひとつ、すなわち社会格差のひずみがもっとも可視的に感じ取られる地域だったというのである。
実のところ切り裂きジャック事件に先立っては、こうした格差にあらがういくつもの行動やデモが起きていた。フェビアン協会の社会主義者らが行ったデモがトラファルガー・スクエアにて警官隊とひどく衝突した事件は、こうした社会の動きをよく知らしめるものだが、この「血の日曜日」は1887年、すなわち切り裂きジャック事件のたった1年前に起こったものである。またラディカル・モブ(過激派の群衆)がいたるところで形成され、動いていた——1886年2月には、バッキンガム宮殿からたった数ヤード離れた場所で、群衆が高級クラブを襲撃するという事件が起こっている。——「もちろん現代に生きる我々は、革命が現実には起こらなかったことを知っている。だが革命の空気が、たしかにそこにはあったのだ」
そんななかで起きた「切り裂きジャック事件」は、まず第一に、バーナード・ショウやウィリアム・モリスといった社会主義者らによっては、「このまま社会の腐敗が続けばどうなるか」という危機のイメージとして言及された、という。さらに中産階級以上の人間にとっては、逆に、政治的熱狂のなかで自分たちに刃向かう下層群衆に対する恐怖を象徴してもいたのだという。
切り裂きジャック事件でしばしば言及されることのひとつは、事件を捜査する警察の無能である。そうして、実のところホワイトチャペル地区は、もっとも治安の悪い地域として、そうしてラディカル・モブの巣窟として、警官隊と住民とがしばしば衝突を起こす地域でもあった。「警官」は、イースト・エンダーズにとっては圧政の、そして上流階級の人間にとってはモブを抑えられない無能な行政の、二重の表象だったと番組は主張する。
(以下は有名な風刺週刊誌である『パンチ』に掲載された風刺絵。目隠しをされ、おろおろしている中央のが警官である。背後に「殺人MURDER」という張り紙が見える。また、周囲の下層民がひどく怪物的な姿で描かれているのにも気づかれることと思う)

Punch, 22 Sep 1888, from
Wikipedia
「切り裂きジャック」は一方では、社会格差拡張への警鐘を鳴らすものであり、経済的・社会的ヒエアルキーの最下層に押し込められた人々の辛苦を象徴するものでもあった。他方で一部の人々にとっては、無政府革命あるいは労働者革命を起こし階級的秩序をひっくりかえそうとする人々の、あるいは自分たちをただひたすらに攻撃してくる、血に飢えた、おそるべき「野蛮人=貧民労働者」の象徴でもあった。貧困の絶望と恐怖と、社会を変えようとする光と熱気と、恨みと、そうした動きへの他方からの恐怖がゴチャゴチャに入り交じるなか、センセーショナルな「切り裂きジャック」の像が、事件自体のお蔵入りのかたわらで繰り返し繰り返し語られたというのである。
以上、番組の概要である(長くなりすぎた・汗)。しかし、ここまで辛抱強くも呼んでくださった方々が、この番組の立場がエキサイティングなものだと思ってくれればいいと願う(汗)。というかこの番組、オリジナルになる本とか論文とかあるのかもしれないなあ。てか、本来ならすでに抑えとかなければならない有名なものだったりするかも(汗)
まあ批判点を記すとすれば、30分の番組なので、そこまでしっかりとトピックが描きこまれていたわけではない、ということか。この番組しか聞いていない聴衆の一人としては、よくも悪くも「面白そうなアイディア/見方の提示」にすぎないなあ、と思わざるをえない部分もある。
たとえば、当時の社会が貧困の絶望と革命への熱狂、それゆえの階級間の恐怖と憎しみに満ちていたというのは確かなのだろう。だが、そうした政治的主体の形成と、「切り裂きジャック」という固有の事件とのあいだに緊密な関係があるかどうかは、また別の話である。むしろ、当時のイギリス社会におけるゴシック文学、恐怖文学、犯罪文学のはやりを思えば、「切り裂きジャック」への熱狂はそういう文脈でより理解できるものであろう。
(レ・ファニュ『カーミラ』1872年、スティーヴンソン『ジキル博士とハイド氏』1886年、最初のホームズ物「緋色の研究」1887年、ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』1891年、ストーカー『ドラキュラ』1897年など)。
そういうオカルチックな興味関心そのものが、どれだけ社会的ラディカリズムと結びついているのかという点に関して言えば、その結びつきを説得的に論じた研究があるとは聞いたことがない。ウィリアム・モリスや『タイムマシン』のウェルズなどはたしかに社会主義思想を濃厚に有しているが、彼らのファンタジーやSFと、娯楽オカルトの間には、いまだ論じわけるべき一線があるように思える。
しかしながら、上記のゴシックやオカルトのなかで「異国的・性的・野蛮」として恐怖の対象ともなった(あこがれの対象であり美の象徴でもあるのだが)帝国支配下の「異人」の表象が、どのようにしてロンドンの下町の貧民すなわち「内なる野蛮人」の表象へと逆投影されたのか、という点に関しては、いろいろと面白い視点がありそうな気がする。レ・ファニュ、ワイルド、ストーカーはいずれもアイルランド出身であるし、ホームズ以前のドイルの異界冒険譚や、『闇の奥』のコンラッドとの親交についても興味深いものがあるが、彼らが書いたような犯罪もの・オカルトものはもっぱらあきらかな「異人」を登場させる。そういう意味で、「内なる野蛮人」の姿を赤裸々にあぶりだす「切り裂きジャック」事件は、それら「外なる異人」との共通性や差異の点において、なお注目すべきところがあるのかもしれない。
最後に——。この番組を通じてやはりわたしがもっとも驚いたのは、しつこいが「こういう番組が休日の昼間のお茶の間ラジオで教養番組として流れるんだ」ということであった。しかしそれは、先に述べたような手法うんぬんの話だけではない。単純に、「センセーショナルな事件の背後に、貧困層の苦しみがあり、革命の萌芽があった。それらは今となっては忘れ去られている」というメッセージがそこで流れることに驚いたのだ。階級構造と資本制に対する批判と、政治的・社会的な抵抗の熱意を忘れまいとする姿勢が、そのメッセージにおいて明確だからである。センセーショナリズムと、現前として存在する階級格差と、各地で起こる政治行動と。これらはすべてUKの現在的な現象でもある。あるいは、少なくとも現在的な現象になりうる。
むろん、番組の中に現在社会への言及があったわけではない(もともと、過去と現在との安易な同一視は避けるべきものだ)。だが、たとえば格差社会化が急速に進む現在の日本の政治・経済状況において、似たような番組が流れうるだろうか? NHKがこのようなものを作るだろうか? 昨今大阪において、野宿労働者に対する行政の仕打ちがどんどんひどくなっていくのを見るに、そうしてNHKと政府の癒着を見るに、とてもそうは思えないのだ。
またもう一点、興味深いことがあるとすれば、この番組はマスメディアによる残虐事件の報道を、「事件をありのままに報道しているかどうか」というレベルではなく、そこで用いられるひとつひとつの言葉、ひとつひとつのイメージが、社会の不安を反映すると同時に煽るものと見なしていたこと。端的にいえば、ひどく自己言及的な姿勢なのだ(笑)。こういう姿勢は、報道が追う責任と機能について自覚的でなければ出てこない。それでいてあのBBCの普段の扇情的な報道はなんなんだ、という気がしないでもないが・・・
BBCの報道姿勢はそれじたい色々と批判すべきところはあるとは思うけれども、こうした番組を耳にすると、やはり度量の広い報道機関だなあと、しばしば感じざるをえない。
その間、警察や新聞会社には連続殺人犯を名乗る数多くの手紙が送りつけられたが、多くはイタズラと思われるそのなかに、警察しか知らないはずの情報を記したものがあった:
「次の仕事じゃご婦人の耳を切りとって警官様に送りつけてやるよ、ちょっとしたお楽しみにな、え?」
その手紙の消印の翌日に発見された遺体は、確かに片耳を切りとられていたのである。警察はがぜんその手紙に注目しはじめた。赤いインクで記されたその手紙にはこう署名されていた——「Jack the Ripper」。
最終的には迷宮入りし、真実が闇の中となったこの「切り裂きジャック」事件は、その謎めいた結末のためもあってか世界でもっとも有名な連続殺人事件のひとつとなっており、数多くの小説や映画やドラマがこの事件を題材として取り上げてきたようである(ちなみに英語版Wikipediaの"Jack the Ripper fiction"という項目で、この事件をフィーチャーしたフィクション作品のリストが見られる。いっぱいあるねー・・・)。今をときめく男優ジョニー・デップが主演した『フロム・ヘル』 (2001)もこの事件を脚色したストーリーである。あれはジョニー・デップがカッコヨカッタのと、下町女性のドレスが揺れるデコルテと黒いレースで色っぽかったほかは大して見るべくもない映画であったが、とりあえずそれは余談である。
なおさらに余談となるが、映画From Hellの原作はアラン・ムーアとエディ・キャンベルによるグラフィック・ノベル(コミック)である。ちなみにアラン・ムーアはThe League of the Extraordinary Gentlemen、すなわちショーン・コネリーが出た同名映画・邦題『リーグ・オブ・レジェンド』(2003年)の原作者でもある。)
また今日のイギリスでは、「切り裂きジャック」という語はメディア等で頻繁に比喩やジョークとして使用されてもいる。もしかしたら読者の方々も、昨年12月にイングランドのサフォークで起こった連続殺人事件のさい、メディアが「現代の切り裂きジャック」という言葉を頻用したのを覚えているかもしれない。両事件ともに性サービス業にかかわる女性たち、いわゆる「売春婦prostitutes」が犠牲者となっていたことが、その理由でもあった。
さて、今回のエントリでわざわざこんなものを取り上げるのは、ほかでもない。日曜日の昼近くにようやく目をこすりながら起きてBBCラジオをつけたらば、"The Things We Forgot to Remember"という番組がやっていて、それがこの切り裂きジャックを扱っていて、さらにはそれがむやみに興味深い番組だったせいである。
ここからReal Playerで聞けます。30分の番組。
このさして長くもない番組が狙っていたのは、切り裂きジャック事件をガイダンスすることではない。さらに、「もしもこの番組を切り裂きジャックが誰だったのかをめぐる新シリーズだと思われているならば、申し訳ないがあなたをがっかりさせることになる」——番組の冒頭ではそう語られてもいる。この番組がとりあげたのは、むしろ切り裂きジャック事件に人々が熱狂し震撼し恐怖した、その背後にいかなる社会構造と経済構造と歴史のダイナミズムがあったのか、そのなかで社会にいかなる「感情」が満ち満ちていたのかという関心である。その顔も、姿も、実在の真偽すら知らないまま、誰もがセンセーショナルに言及しつづけた「切り裂きジャック」。その「人物」ないしその影が、当該時代をいかなるものとして示しているのか——それは何のメタファーなのか——、すなわちそういう関心である。
ある歴史的事件について、その「真相」をあらたに語り直すのではなく、関連する人物、場所、その他の要素の表象が交錯するひとつの言説として事件をとらえ、それらの背後にある社会経験との総体の中に、「時代」を見ようとする——。これがけして単純な試み、単純な物の見方でないことはすぐにわかるだろう。もちろん歴史を語り直すという意味では同じなのだが、「語るための素材」と「語ろうとするもの」の関係が前者と後者ではずいぶん違う。
もちろん、この後者だって、歴史学あるいは一部の文芸批評のなかではここ20年くらいで見慣れた手法となったように言われている。だが、そうは言ってもまっとうな研究として実践できる研究者はそれほど多くない。ましてや、広く一般に受け入れられている歴史観でもないだろう。それが日曜のお昼1時からお茶の間むけに放送される歴史番組の手法であったということに、わたしは少し驚いたのだった。
だが、そうした素材と対象が云々とかいう議論は置いておくとしても、なお、番組はいろいろな意味で興味深く聞けると思う。以下に概要を示してみるが・・・
まず論じられるのは、現在「切り裂きジャック」として周知のところとなっている事件のほかにも、1880年代当時のロンドンの新聞は、似たような残虐事件、猟奇事件、性犯罪の報道に溢れていたということである。そうした報道からは、当時の社会全体に満ちていた得体の知れない恐怖がうかがえるのであり、「切り裂きジャック」はそれを端的に象徴する格好のキャラクターだった。だが、「彼」が象徴していたもうひとつの側面がある——「こんな野蛮人の恐ろしい蛮行が、この【大英】帝国の中心で起こるなんて」と、あるリスペクタブルな(中産以上の階級の)女性が新聞紙上で語るとき、その「野蛮人」と「蛮行」は、切り裂きジャック本人を指し示すと同時に、漠然と「それ以外の何か」あるいは「それが象徴する集団・空気」を示していたかも知れない、というのである。
前もって言ってしまえば、この番組のねらいは、漠然と恐怖されたその何かを、「起こったかも知れない革命」と結びつけることにある。その語るところによれば、折しもフランス革命からちょうど100年が経過しており、当時のイギリスでは社会革命の必要性を説く動きが力を増してきていた、という。当然ながらその地盤には、産業革命の本格的な進展と同時に進んだおそるべき貧富の格差が存在した。また1880年にはひどい不況があり、失業率は跳ね上がっていた。そうして切り裂きジャック事件が起こったイースト・エンドのホワイトチャペル地区は、ロンドンでも最も貧しい地域のひとつ、すなわち社会格差のひずみがもっとも可視的に感じ取られる地域だったというのである。
実のところ切り裂きジャック事件に先立っては、こうした格差にあらがういくつもの行動やデモが起きていた。フェビアン協会の社会主義者らが行ったデモがトラファルガー・スクエアにて警官隊とひどく衝突した事件は、こうした社会の動きをよく知らしめるものだが、この「血の日曜日」は1887年、すなわち切り裂きジャック事件のたった1年前に起こったものである。またラディカル・モブ(過激派の群衆)がいたるところで形成され、動いていた——1886年2月には、バッキンガム宮殿からたった数ヤード離れた場所で、群衆が高級クラブを襲撃するという事件が起こっている。——「もちろん現代に生きる我々は、革命が現実には起こらなかったことを知っている。だが革命の空気が、たしかにそこにはあったのだ」
そんななかで起きた「切り裂きジャック事件」は、まず第一に、バーナード・ショウやウィリアム・モリスといった社会主義者らによっては、「このまま社会の腐敗が続けばどうなるか」という危機のイメージとして言及された、という。さらに中産階級以上の人間にとっては、逆に、政治的熱狂のなかで自分たちに刃向かう下層群衆に対する恐怖を象徴してもいたのだという。
切り裂きジャック事件でしばしば言及されることのひとつは、事件を捜査する警察の無能である。そうして、実のところホワイトチャペル地区は、もっとも治安の悪い地域として、そうしてラディカル・モブの巣窟として、警官隊と住民とがしばしば衝突を起こす地域でもあった。「警官」は、イースト・エンダーズにとっては圧政の、そして上流階級の人間にとってはモブを抑えられない無能な行政の、二重の表象だったと番組は主張する。
(以下は有名な風刺週刊誌である『パンチ』に掲載された風刺絵。目隠しをされ、おろおろしている中央のが警官である。背後に「殺人MURDER」という張り紙が見える。また、周囲の下層民がひどく怪物的な姿で描かれているのにも気づかれることと思う)
Punch, 22 Sep 1888, from
Wikipedia
「切り裂きジャック」は一方では、社会格差拡張への警鐘を鳴らすものであり、経済的・社会的ヒエアルキーの最下層に押し込められた人々の辛苦を象徴するものでもあった。他方で一部の人々にとっては、無政府革命あるいは労働者革命を起こし階級的秩序をひっくりかえそうとする人々の、あるいは自分たちをただひたすらに攻撃してくる、血に飢えた、おそるべき「野蛮人=貧民労働者」の象徴でもあった。貧困の絶望と恐怖と、社会を変えようとする光と熱気と、恨みと、そうした動きへの他方からの恐怖がゴチャゴチャに入り交じるなか、センセーショナルな「切り裂きジャック」の像が、事件自体のお蔵入りのかたわらで繰り返し繰り返し語られたというのである。
「社会的抵抗というものは、その経験をともにせず、その環境と文脈を知らない人間にとっては、時として理解するのが困難なものである。1880年代という時代を振り返るとき、ひとつの人物像がくっきりと我々の記憶に残っている——70日間の恐怖を社会に与えた一人の人物をわれわれは思い出す。だがその一方で、その影に滞留していた何十年にも及ぶ人々の苦しみと、暴動、革命の恐怖、そうしたものは忘れ去られてしまった」(部分訳)
以上、番組の概要である(長くなりすぎた・汗)。しかし、ここまで辛抱強くも呼んでくださった方々が、この番組の立場がエキサイティングなものだと思ってくれればいいと願う(汗)。というかこの番組、オリジナルになる本とか論文とかあるのかもしれないなあ。てか、本来ならすでに抑えとかなければならない有名なものだったりするかも(汗)
まあ批判点を記すとすれば、30分の番組なので、そこまでしっかりとトピックが描きこまれていたわけではない、ということか。この番組しか聞いていない聴衆の一人としては、よくも悪くも「面白そうなアイディア/見方の提示」にすぎないなあ、と思わざるをえない部分もある。
たとえば、当時の社会が貧困の絶望と革命への熱狂、それゆえの階級間の恐怖と憎しみに満ちていたというのは確かなのだろう。だが、そうした政治的主体の形成と、「切り裂きジャック」という固有の事件とのあいだに緊密な関係があるかどうかは、また別の話である。むしろ、当時のイギリス社会におけるゴシック文学、恐怖文学、犯罪文学のはやりを思えば、「切り裂きジャック」への熱狂はそういう文脈でより理解できるものであろう。
(レ・ファニュ『カーミラ』1872年、スティーヴンソン『ジキル博士とハイド氏』1886年、最初のホームズ物「緋色の研究」1887年、ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』1891年、ストーカー『ドラキュラ』1897年など)。
そういうオカルチックな興味関心そのものが、どれだけ社会的ラディカリズムと結びついているのかという点に関して言えば、その結びつきを説得的に論じた研究があるとは聞いたことがない。ウィリアム・モリスや『タイムマシン』のウェルズなどはたしかに社会主義思想を濃厚に有しているが、彼らのファンタジーやSFと、娯楽オカルトの間には、いまだ論じわけるべき一線があるように思える。
しかしながら、上記のゴシックやオカルトのなかで「異国的・性的・野蛮」として恐怖の対象ともなった(あこがれの対象であり美の象徴でもあるのだが)帝国支配下の「異人」の表象が、どのようにしてロンドンの下町の貧民すなわち「内なる野蛮人」の表象へと逆投影されたのか、という点に関しては、いろいろと面白い視点がありそうな気がする。レ・ファニュ、ワイルド、ストーカーはいずれもアイルランド出身であるし、ホームズ以前のドイルの異界冒険譚や、『闇の奥』のコンラッドとの親交についても興味深いものがあるが、彼らが書いたような犯罪もの・オカルトものはもっぱらあきらかな「異人」を登場させる。そういう意味で、「内なる野蛮人」の姿を赤裸々にあぶりだす「切り裂きジャック」事件は、それら「外なる異人」との共通性や差異の点において、なお注目すべきところがあるのかもしれない。
最後に——。この番組を通じてやはりわたしがもっとも驚いたのは、しつこいが「こういう番組が休日の昼間のお茶の間ラジオで教養番組として流れるんだ」ということであった。しかしそれは、先に述べたような手法うんぬんの話だけではない。単純に、「センセーショナルな事件の背後に、貧困層の苦しみがあり、革命の萌芽があった。それらは今となっては忘れ去られている」というメッセージがそこで流れることに驚いたのだ。階級構造と資本制に対する批判と、政治的・社会的な抵抗の熱意を忘れまいとする姿勢が、そのメッセージにおいて明確だからである。センセーショナリズムと、現前として存在する階級格差と、各地で起こる政治行動と。これらはすべてUKの現在的な現象でもある。あるいは、少なくとも現在的な現象になりうる。
むろん、番組の中に現在社会への言及があったわけではない(もともと、過去と現在との安易な同一視は避けるべきものだ)。だが、たとえば格差社会化が急速に進む現在の日本の政治・経済状況において、似たような番組が流れうるだろうか? NHKがこのようなものを作るだろうか? 昨今大阪において、野宿労働者に対する行政の仕打ちがどんどんひどくなっていくのを見るに、そうしてNHKと政府の癒着を見るに、とてもそうは思えないのだ。
またもう一点、興味深いことがあるとすれば、この番組はマスメディアによる残虐事件の報道を、「事件をありのままに報道しているかどうか」というレベルではなく、そこで用いられるひとつひとつの言葉、ひとつひとつのイメージが、社会の不安を反映すると同時に煽るものと見なしていたこと。端的にいえば、ひどく自己言及的な姿勢なのだ(笑)。こういう姿勢は、報道が追う責任と機能について自覚的でなければ出てこない。それでいてあのBBCの普段の扇情的な報道はなんなんだ、という気がしないでもないが・・・
BBCの報道姿勢はそれじたい色々と批判すべきところはあるとは思うけれども、こうした番組を耳にすると、やはり度量の広い報道機関だなあと、しばしば感じざるをえない。
関連エントリ → ★
Posted by まめやもり - mameyamori - 2006.07.19,Wed
見てきた。(一週間くらい前だけど)
レビューはコチラ。「歴史的ロマンチシズムの陥穽、リアリズムの力」(9.Aug.2006)
近くの映画館で平日の夜8時ごろからの上映で見たのだけど、座席はほぼ満杯。すごく小さいシアターなので元々人はそれほど入らないんだけど、それにしても今まで何度かここ来ててこんなのは初めてだ。やはりカンヌの受賞と、「anti-British!!」とかなんとかメディアがやいやい言ったことで、かなりの集客になっている様子。(まあわたしもそれで集客されたクチでもあるが)しかしただ話題性だけが先走った映画ではなかったことは、上映終了後、客の半分近くがテロップをずうっと眺めていたことからもうかがえるかもしれない。わたしの知る限り、これイギリスでのほうが珍しい現象であるように思う。(ほとんどの人はシアターがまだ暗い内からさっさとどっか行ってしまう)
しかし内容に関してはコメントが難しいのだ。少し留保する。(一週間経ってるのに!)
今日はとりあえずのところ、UKでの受け止められ方の一端を紹介するにとどめよう。
英国の監督ケン・ローチKen Loachが今年のカンヌ映画祭でパルムドールを受賞したこの映画The Wind That Shakes the Barleyは、1920年代アイルランドにおける対英独立闘争およびその後の独立派の内戦を描いたもの。医学生のデミアンはある日、アイルランド独立運動の鎮圧のために送り込まれている英国軍部隊(Black and Tans)の暴虐ぶりを目にして、兄テディがリーダーを務める地元の独立軍の一員となることを決める。ゲリラ戦をしぶとく展開していく独立軍であったが、ある日英国がアイルランドの独立を認めたというニュースが入る。しかし喜びもつかの間、その大きな条件付の「独立」を認めるかどうかをめぐって独立派の間に亀裂が入り・・・というお話。
こんな内容なので英国では物議を醸している。以下あんまり一語一句きちんと訳してないがお許し願います。
------Daily Mailの記事
彼(ケン・ローチ監督)のねらいは、1920-1922年のアイルランドと今日のイラクを直接対比させることにある。もちろんこのためには、英国人をサディストとして描き、アイルランド人をロマンチックで理想主義的なレジスタンスの闘士として描かなければならない。自己の尊厳を守るために他に手段がないゆえに仕方なく暴力の道を選ぶ闘士として、である。(略)
もちろん、彼の芸術的才能や、想像力、熱意、ユーモアなどの才能に疑いはない。だがローチは過去にあまりに(社会主義的な思想に)のめりこんでしまったため、古ぼけたプロパガンダ映画以外の作品を作れなくなってしまったようだ。(略)
大英帝国は不完全なものではあったが、しかし同時にその占領下の国に多くの有益なものをもたらした。加えて、すべては遙か昔に起こったことであり、それについて何者も謝罪を強いられるものではない。(5月30日)
この最後のパラグラフ、どこぞの国の保守派の言ってることとそっくりで笑えますね。全体的に英国の保守派は日本の保守派よりマイルドかつ狡猾で嫌味なほど皮肉っぽい——最後のは右派左派かぎらず言えることだが——印象があるのだが、こういう問題について下敷きにするベーシックな論理はわりと一定らしい。
ちなみにこの映画のUK公開は6月23日だった。つまりこの記事はUK公開のはるか以前に書かれている。このほかにもDaily Telegraphとかにもカンヌ受賞結果発表直後に「自国嫌いのマルキスト」とか言ってる記事がババババーと載った。これらの記事の文責者がカンヌに出向いて直接映画を見た可能性も無いわけではないが、ほとんど映画自体の内容に触れずに監督その人をあてこすっていることから、映画を見ないままに批判している可能性大。これはちょっと呆れた。
情報に寄ればTimesもなんか酷いあてこすりを書いたらしいのだが(きちんと確認してない)、映画公開後の正式レビューは意外にも5つ星満点中4つ星だった(コチラ)。いわく、「ローチは危機的状況の混沌とした様子を、批判的な距離をとりつつ切り取っている。英雄のクローズアップはここにはない。デミアンは興奮してぶるぶると震え、声からはそのパニックがうかがい取れる。(中略)なぜコークの労働者の小さなグループが武器をとり反逆のレパブリカン(注:アイルランド独立派)の運動に加わっていったのかを、物語は克明に描き出す。」まあこう褒めつつも、「ローチの階級的・文化的な不公正に対する関心は揺らぐことがない。だが不幸なことに何年もまったく同じ映画を作り続けている印象は否めない」と皮肉ってますが。
それに対し、左派の代表紙Guardianの評は意外と手厳しい。5つ星中3つ星(コチラ)。「パワフルなドラマ」「怒りと苦痛の物語だが、それと並行してローチ独特の優しくも朴訥なユーモアが各所に光っている」とか褒めてはいるが、ローチが現在の米英主導のイラク侵攻に重ねてこの映画を撮った(と自分で言っている)ことを批判する。「『麦の穂を揺らす風』は今日のアイルランドがEUの裕福な一国であり、その政府が英国同様熱狂的にイラク戦争を支持したことに目を向けていない」。また別な記事では、「イラク戦争がいかにまちがっていたかをアピールするためになぜアイルランドを題材にするのか。それぞれの国にはそれぞれの背景がある。イラクの歴史をわれわれがもっと知っていれば、あんな馬鹿げた占領は無かったのだ」と論ずる。
そんでもって、「UK」というからにはイングランドのだけでなく北アイルランド紙のレビューも見てみるか!(UKはThe United Kingdom of Great Britain and Northern Irelandの略称)と思ってBelfast Telegraphという地方紙のサイトに行ってみたところ、7月11日のレビューがすでにお金が必要だった。ので、見なかった。(情けない)たまにあるんだよねこういうところ・・・
そういえばOpen Democracyとかもわりと酷評していたなあ。うーん、そうかもしれない、難しいなあ。良い部分のたくさんある映画ではあったんだが・・・というのがわたしの感想。
そんなわけで、もう少し詳しいわたし自身の感想は数日中に書こう。いや多分。
ちなみに邦題は直訳の『大麦の穂を揺らす風』があんまピンと来ない感じなので『風立ちぬ』となっていたりするようですね。でもこれ堀辰雄をケンローチが映画化したとか勘違いする人いないのかしら(いないよ)
レビューはコチラ。「歴史的ロマンチシズムの陥穽、リアリズムの力」(9.Aug.2006)
近くの映画館で平日の夜8時ごろからの上映で見たのだけど、座席はほぼ満杯。すごく小さいシアターなので元々人はそれほど入らないんだけど、それにしても今まで何度かここ来ててこんなのは初めてだ。やはりカンヌの受賞と、「anti-British!!」とかなんとかメディアがやいやい言ったことで、かなりの集客になっている様子。(まあわたしもそれで集客されたクチでもあるが)しかしただ話題性だけが先走った映画ではなかったことは、上映終了後、客の半分近くがテロップをずうっと眺めていたことからもうかがえるかもしれない。わたしの知る限り、これイギリスでのほうが珍しい現象であるように思う。(ほとんどの人はシアターがまだ暗い内からさっさとどっか行ってしまう)
しかし内容に関してはコメントが難しいのだ。少し留保する。(一週間経ってるのに!)
今日はとりあえずのところ、UKでの受け止められ方の一端を紹介するにとどめよう。
英国の監督ケン・ローチKen Loachが今年のカンヌ映画祭でパルムドールを受賞したこの映画The Wind That Shakes the Barleyは、1920年代アイルランドにおける対英独立闘争およびその後の独立派の内戦を描いたもの。医学生のデミアンはある日、アイルランド独立運動の鎮圧のために送り込まれている英国軍部隊(Black and Tans)の暴虐ぶりを目にして、兄テディがリーダーを務める地元の独立軍の一員となることを決める。ゲリラ戦をしぶとく展開していく独立軍であったが、ある日英国がアイルランドの独立を認めたというニュースが入る。しかし喜びもつかの間、その大きな条件付の「独立」を認めるかどうかをめぐって独立派の間に亀裂が入り・・・というお話。
こんな内容なので英国では物議を醸している。以下あんまり一語一句きちんと訳してないがお許し願います。
------Daily Mailの記事
彼(ケン・ローチ監督)のねらいは、1920-1922年のアイルランドと今日のイラクを直接対比させることにある。もちろんこのためには、英国人をサディストとして描き、アイルランド人をロマンチックで理想主義的なレジスタンスの闘士として描かなければならない。自己の尊厳を守るために他に手段がないゆえに仕方なく暴力の道を選ぶ闘士として、である。(略)
もちろん、彼の芸術的才能や、想像力、熱意、ユーモアなどの才能に疑いはない。だがローチは過去にあまりに(社会主義的な思想に)のめりこんでしまったため、古ぼけたプロパガンダ映画以外の作品を作れなくなってしまったようだ。(略)
大英帝国は不完全なものではあったが、しかし同時にその占領下の国に多くの有益なものをもたらした。加えて、すべては遙か昔に起こったことであり、それについて何者も謝罪を強いられるものではない。(5月30日)
この最後のパラグラフ、どこぞの国の保守派の言ってることとそっくりで笑えますね。全体的に英国の保守派は日本の保守派よりマイルドかつ狡猾で嫌味なほど皮肉っぽい——最後のは右派左派かぎらず言えることだが——印象があるのだが、こういう問題について下敷きにするベーシックな論理はわりと一定らしい。
ちなみにこの映画のUK公開は6月23日だった。つまりこの記事はUK公開のはるか以前に書かれている。このほかにもDaily Telegraphとかにもカンヌ受賞結果発表直後に「自国嫌いのマルキスト」とか言ってる記事がババババーと載った。これらの記事の文責者がカンヌに出向いて直接映画を見た可能性も無いわけではないが、ほとんど映画自体の内容に触れずに監督その人をあてこすっていることから、映画を見ないままに批判している可能性大。これはちょっと呆れた。
情報に寄ればTimesもなんか酷いあてこすりを書いたらしいのだが(きちんと確認してない)、映画公開後の正式レビューは意外にも5つ星満点中4つ星だった(コチラ)。いわく、「ローチは危機的状況の混沌とした様子を、批判的な距離をとりつつ切り取っている。英雄のクローズアップはここにはない。デミアンは興奮してぶるぶると震え、声からはそのパニックがうかがい取れる。(中略)なぜコークの労働者の小さなグループが武器をとり反逆のレパブリカン(注:アイルランド独立派)の運動に加わっていったのかを、物語は克明に描き出す。」まあこう褒めつつも、「ローチの階級的・文化的な不公正に対する関心は揺らぐことがない。だが不幸なことに何年もまったく同じ映画を作り続けている印象は否めない」と皮肉ってますが。
それに対し、左派の代表紙Guardianの評は意外と手厳しい。5つ星中3つ星(コチラ)。「パワフルなドラマ」「怒りと苦痛の物語だが、それと並行してローチ独特の優しくも朴訥なユーモアが各所に光っている」とか褒めてはいるが、ローチが現在の米英主導のイラク侵攻に重ねてこの映画を撮った(と自分で言っている)ことを批判する。「『麦の穂を揺らす風』は今日のアイルランドがEUの裕福な一国であり、その政府が英国同様熱狂的にイラク戦争を支持したことに目を向けていない」。また別な記事では、「イラク戦争がいかにまちがっていたかをアピールするためになぜアイルランドを題材にするのか。それぞれの国にはそれぞれの背景がある。イラクの歴史をわれわれがもっと知っていれば、あんな馬鹿げた占領は無かったのだ」と論ずる。
そんでもって、「UK」というからにはイングランドのだけでなく北アイルランド紙のレビューも見てみるか!(UKはThe United Kingdom of Great Britain and Northern Irelandの略称)と思ってBelfast Telegraphという地方紙のサイトに行ってみたところ、7月11日のレビューがすでにお金が必要だった。ので、見なかった。(情けない)たまにあるんだよねこういうところ・・・
そういえばOpen Democracyとかもわりと酷評していたなあ。うーん、そうかもしれない、難しいなあ。良い部分のたくさんある映画ではあったんだが・・・というのがわたしの感想。
そんなわけで、もう少し詳しいわたし自身の感想は数日中に書こう。いや多分。
ちなみに邦題は直訳の『大麦の穂を揺らす風』があんまピンと来ない感じなので『風立ちぬ』となっていたりするようですね。でもこれ堀辰雄をケンローチが映画化したとか勘違いする人いないのかしら(いないよ)
CALENDER
CATEGORIES
SEARCH THIS BLOG
RECENT ENTRIES
(11/03)
(10/31)
(04/07)
(12/25)
(12/07)
(12/01)
(11/03)
(06/09)
(04/24)
(03/31)
RECENT COMMENTS
Since_12Apr07
ABOUT ME
HN:
まめやもり - mameyamori
怠け者のちいさなやもりですが色々ぶつぶつ言うのは好きなようです。
時折超つたない英語を喋りますが修行中なのでどうかお許しください。
A tiny lazy gecko (=yamori) always mumbling something
Please excuse my poor English -- I am still under training
時折超つたない英語を喋りますが修行中なのでどうかお許しください。
A tiny lazy gecko (=yamori) always mumbling something
Please excuse my poor English -- I am still under training
JUMPS
TRACKBACKS
Template by mavericyard*
Powered by "Samurai Factory"
Powered by "Samurai Factory"